2017年06月10日

聖母マリアは教会神秘体の「首」であるという伝統的なたとえ


御公現の聖母子.jpg


 天主なる神は、全知全能のお方です。

 主イエズスは、その全能の御力によって、成人した人間として空中に現れ、宣教を始めることも可能でした、もしそう望まれたならば。

 しかし、それでは、人類の一人となり、人類全ての罪を背負って犠牲となり、すべての人のための贖いを成すわけにはいかないでしょう。
 人類の誰とも、縁もゆかりも無いならば、人類の代表として罪を贖うことはできません。

 主イエズスが、キリスト、救い主となるためには、どうしても一人の母から生まれなければなりませんでした。そして、その母を通して、すべての人類と血の繫がっている真の人類の一員となったのです。

 このことは本当に偉大な奥義です。


 神学者スキレベークス司祭の著書の中に、

「キリストが神秘体の頭(かしら)であるなら、マリアは首である」

という、伝統的たとえの説明がありましたが、真に的を得た比喩だと思います。

 首は、頭ではありません。すべては頭から来るのです。
しかし、首がなければ、身体は頭と繫がっていることができません。
 首の骨、頸椎が潰されれば、脳から身体への連絡が絶たれた人は、ぐんにゃりと倒れて程なく死んでしまうのです。(*1)

 聖母マリアを失った信仰も、教会も、同じように命の無い、虚しいものになってしまうでしょう。


 救い主イエズス・キリストは、処女マリアから生まれ、幼子としてこの世に来られ、私たちに、天の命を与えて下さいました。

「しかして御言葉は人となり給い我らの内に住み給えり」

 この偉大な奥義が言い表される時、敬意と感謝のために跪くならば、全贖宥が受けられます。(*2)
 海外では、お告げの祈りの時、この部分で必ず跪きます。(日本では、祈り全文で 跪くようです。)


 また、ミサの使徒信経、ミサの最後の朗読ヨハネの福音書も、そのためにその部分で跪きます。(片膝を付く形です)

「聖霊によって、童貞なるマリアより生れ、人間となり給い。」
(Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine: ET HOMO FACTUS EST)



救い主の御母マリアに賛美と感謝。
天主の御母聖マリア、今も臨終の時も我らのために祈り給え。アーメン。


。。。。。。。。。。。

(*1)
首、上部頚椎にある延髄が生命維持に関わる呼吸、血管運動、心臓の中枢のほかに感覚神経、運動神経の通路になっている
http://online.sbcr.jp/2015/02/003924.html

http://specificbg.exblog.jp/11412098/


(*2)
贖宥については、第二バチカン公会議以後、いろいろと変更になっているようです。





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posted by テレジア at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 黙想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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