2017年06月16日

いのちがいちばん! 「もう一人」運動はいかがですか?



マーチフォーライフ2.jpg
マーチフォーライフ2016(舟木撮影)より
どこかでお見かけしたような方も笑顔で参加しておられますね
 


 プロライフは、カトリック信者にとっては当然のことです。
 昔は、「カトリックの子だくさん」などと、一般にもよく言われていました。長崎あたりでは、司教様が「まぁ、子供5人持って親として一人前」とか、おっしゃっていたそうです。

 ところが、最近は、カトリックでも「子だくさん」どころか、平気で堕胎も避妊も 公に容認している有様です。(両方とも、霊魂から聖寵を失わせる「大罪」です。)
 私の友人なども、「二人で充分!もう縛ってもらっちゃったわ」などと平気で言っています。私は、この「縛ってもらった」というのが何かよくわからないのですが、子供ができないようにしたそうです。
 そこですぐに、「それは大罪よ、わかっているの?」と、言えない自分が情けない。勇気が無い、真実を告げる本当の愛が無いんですね、きっと。
 
 カトリック系の掲示板でも、以前、「もともと教会は、弱い立場の人の堕胎には寛大だった = 容認していた」(*1)という主旨の、とんでもない意見が、もっともらしく出た時に、皆が一斉に反対すべきなのに、誰も何も言わなくて残念に思いました。コムズカシイ教義的議論の時は、堂々と意見するような知識溢れる方々も、ほとんどスルーしていました。
「堕胎は殺人の大罪」など、アタリマエすぎて言う必要もない、と思われたのか、アタリマエすぎて議論しても面白くない、と思われたのか。。。残念です。

 でも、こういった「教会の教えに明らかに反する意見」が、「カトリック」を謳う掲示板(あるいはフェイスブック、などなど)で出た時は、管理人はもちろん、それを読んだ参加している信徒たちも、ただ一言でも反対意見を述べる義務があるのではないか、と思うのです。
 多くのカトリックの人々も、もはや正しいカトリックの教えを知らないのかもしれませんが。

「1。人間の受精卵の性格とアイデンティティーを考えた場合、人間の受精卵に対してどのような尊重を払うべきか。
人間は、その存在の最初の瞬間から人間として尊重されるべきである。」
(生命のはじまりに関する教書ー教皇庁教理省 p。23)

「519。婚姻の第一の目的は、天主の御定めにより、子を挙げることでありますから、避妊を計るような行為は婚姻の目的に背く甚だしい大罪であります」
(公教要理 ドンボスコ社 p。219)



 ところで、最近になって、伝統的なカトリックのグループで、プロライフ(命を守る)活動が増えているようです。すごく良いこと、そして本当に大事なことと思います。

 新しく素晴らしいブログが始まりました。
リンク先http://blog.goo.ne.jp/fatimanoseibo

 マーチフォーライフへの参加者も増えたようです。
 今年は7月17日にあります。応援しています。


マーチフォーライフ.jpg




 マザーテレサは、未婚の女性たちに、「堕胎せず生む勇気を持ってください」と、おっしゃっていました。日本での最初の活動の一つは、やむない事情で妊娠したシングルマザーを保護し助けることでした。

しかし、今の日本の場合、むしろ既婚の女性たちにも、そう言いたい!

経済的に苦しくなるかもしれません。
親族に、反対されるかもしれません。

本当に、世の風潮とはおかしなもので、
年取って授かった尊い子供を、「恥かっき子」などと言って蔑む。
そのくせ、倫理に反することは、「男の甲斐性」などと言って持ち上げる。

このような勝手なことを言う世相に負けないで、子供を守ってほしい、と思います。
小さな命を守ってあげられるのは、お母さんとお父さんしかいないのですから。

子供の命を守る両親には、必ず大きな祝福があるでしょう。
「見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。
壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。
矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。」
(詩篇127・3〜5)


「そんなこと言ったって、そう子沢山というワケにもいかない」と、思われるかもしれません。でも、まずとにかくこの一人、お母さんのお腹にいる「この子」を受け入れてほしい、と願います。

 カトリックの家庭だけでなく、日本のすべての家族のために「もう一人運動」と思って祈っています。
 各家庭もう一人ずつだけでも、どれほど多くの命が救われることか。それが日本にとって、どんなに大きな祝福となることか。

 すべての罪なき胎児の御母 聖マリア、我らのために祈り給え。
 アーメン。なれかし。
 


(*1)極端なケース、例えば、カトリックでない配偶者に堕胎を強制され、暴力を振るわれるような場合、その立場に同情し、罪ではない形で助けます。が、罪の容認はありません。
 「仕方ない、殺しなさい」はありえないし、
 「仕方ない、踏み絵を踏みなさい」はありえないのです。



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posted by テレジア at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | カトリック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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