2017年02月23日

「聖書正典」を故意に軽視するものは破門という深刻な問題について


 カトリック教会が、聖書の正典目録に入れる書物を区別する基準は、「聖霊の神感」です。したがって、聖霊の神感を受けた書として認められたものは、正典目録(カノン)に加えられ、「カタニコイ」(正典書)と呼ばれました。
 聖霊の神感を受けた書物だといううわさがあっても、実際上、その保証のないものは、正典書として認められず、後に「外典書」と名づけられました。

。。。。

 聖書正典の中で、最後に書かれたのは、ヨハネの福音書 / ヨハネの手紙で、1世紀末(西暦90〜100年)頃と言われています。
 聖書の正典目録が完成したのは、かなり時代を下ってからのことですが、その後は決してブレることなく、一貫して73書の伝統的なカトリック教会の聖書を世に示し続けています。


 各時代に、教皇書簡や公会議などで、度々、聖書正典目録は再確認されています。
 その中から、公会議の宣言文を数例、ご紹介します。

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第3カタルゴ教会会議(397年)
「正典目録にあるもの以外は、教会内で聖書として読んではならない。正典は次のものである。」

第1トレド教会会議(400年と447年)
「カトリック教会が認めている以外の聖書を権威あるものとして敬うべきだと信じるものは排斥(破門)される。」

フィレンツェ公会議(1442年)
「旧約および新約聖書、すなわち律法と予言と福音の作者は、唯一の同じ神であると宣言する。事実、旧新約両聖書の聖なる人々は、同じ聖霊の神感によって語ったのである。次の目録に載せた書を受け入れ、そして尊敬する。」


いずれも、宣言文の後に、カトリックの伝統的な「聖書目録」が載せられています。
正典目録はコチラ↓
カトリック教会の真の聖書とは?
http://akitadiary.seesaa.net/article/446207315.html

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 16世紀になり、プロテスタントが発生すると、彼らはカトリック教会に反対し、以前に何度も排斥された異端説を持ち出すなどして、旧約及び新約聖書の一部分を正典と認めないと主張しました。

 旧約聖書では、トビアの書、ユディットの書、知恵の書、集会の書、バルクの書、マカべの書前後の7書全体と、エステルの書、ダニエルの書の2書の一部分で、それらを「外典書」(聖霊の神感のないもの)と呼ぶようになりました。
 また、それまで、カトリック教会が「外典書」としていたものは、上記のものと区別して「偽典」と呼ぶようになりました。

 新約聖書では、ヘブライ人への手紙、ヤコボの手紙、ユダの手紙、ペトロの第二の手紙、ヨハネの第二第三の手紙、ヨハネの黙示禄などが、プロテスタントの一部に反対され外されたそうですが、議論ののち再び正典と認めることになったそうです。 特に、マルティン・ルターが「ヨハネの黙示録」を、正典と認められなかったことは有名な話ですが、彼の後継者によって聖書に戻されました。


 カトリックでは、プロテスタントとの議論のために、彼らが正典と認めないことにしたこれらの部分を、便宜上「第二正典書」と呼び、それ以外のものを「原正典書」(あるいは第一正典書)と、呼ぶようになりました。

 しかし、第二正典と呼ばれた部分が原正典より劣るということではなく、同等に尊ぶべきものと教えています。カトリックの聖書の目次などでも、差別はありません。聖書正典のための承認が遅かったとしても、「聖霊の神感」によって書かれたことに違いはなく、人間の判断に時間がかかったということです。


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 そのような混乱した状況下で、カトリック教会は、この問題を決定的に解決し、聖書の正典をはっきりと再確認するために、トレント公会議1546年の第四総会で、聖書と使徒の伝承に基づいて、以下の宣言を出しました。

 「聖霊によって、合法的に召集された聖なるトレント公会議は、使徒的座(=教皇座)の三人の使節の指導のもとに行われ、次の目的を常に目指している。すなわち、すべての誤謬を取り除き、教会の中に福音の純粋性を保存する目的である。
 福音はその昔、予言者によって聖書の中に約束され、まず神の子イエズス・キリスト自身の口によって公布され、次にその使徒たちに、すべての救いの真理と道徳律の源泉として「すべての被造物に」(マタイ28・19以下、マルコ16・15)伝えるように命じられたものである。
 この真理と規律は、書かれた書物と、書かれていない伝承とに含まれている。
 伝承は、使徒たちがキリスト自身の口から受け継ぎ、または聖霊の神感によって、手から手へ渡すようにして、使徒たちから私たちに伝えられたものである。私たちは、正統派の教父たちの模範に従って、旧約と新約のすべての書物を受け入れ、尊敬する。それは、唯一の神が両聖書の著者だからである。
 また同じように、キリストによって口授され、聖霊が書き取らせ、カトリック教会の中に受け継がれ、保存されている信仰と道徳に関する伝承を、同じ敬虔の情と尊敬の心をもって受け入れ、尊ぶものである。
 だれひとりとして疑う者の無いように、この公会議が認めた聖書の目録をこの教令の中に書き記すものである。聖書の目録は次の通りである。」


 聖書の目録をのべてから、トレント公会議は、続ける。

 正典目録はコチラ↓
http://akitadiary.seesaa.net/article/446207315.html


「以上の書物を、カトリック教会において普通に読まれている古代ラテン語訳ヴルガダ版に従って、全部を残らず そのすべての部分をもって、正典に属する聖書として受け入れなかったり、上に説明した伝承を、知りながら故意に軽視したりする者は排斥(破門)される。」
〔トレント公会議 DENZ. 1501、1504〕

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 これによって、全く疑いようもなく聖書正典は確認され、宣言されたのです。

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 ところが、これに反する動きが1960年ごろから起こり始めました。共同訳聖書を作る動きです。


 共同訳聖書は、1966年にプロテスタントの聖書協会世界連盟とローマの教皇庁キリスト教一致推進事務局とが合意して「標準原則」として指針が示されました。が、この指針は、プロテスタント側が優先され、危険な妥協が潜んでいる、とデルコル神父様は警告していました。事務局は正式な聖省ではないし、教会の方針を尊重しないならば権威が無いのです。
 
 日本では、1970年頃に共同訳聖書の翻訳が始まりました。

 出来上がったものは、プロテスタントの慣例を優先させたものでした。いわゆる「第二正典書」と呼ばれる部分を、カトリックの聖書として本来あるべき位置から全て抜き出して、まとめて、「続編」として旧約の最後に付け足しのように載せたのです。

 新共同訳聖書は、さらに悪く、カトリック教会が明らかに「外典書」とした書物、そしてプロテスタントが「偽典」とまで呼ぶ書物を、あたかも「続編」の一部かのように加えてあるのです。

 これについての注釈は、別の場所、しかも巻末の誰も見ないような場所に書かれているだけです。この「注釈」を見損なって、本文そのまま「聖書」と信じてしまえば、異端として「排斥される(破門される)」というほど信仰に反したものであるのに、これが推奨され、多くの司祭、修道者、一般信徒に読ませているのが、日本のカトリック教会の現在の状況なのです。


 聖書の日本語訳に長年関わられ、旧新約聖書の翻訳で文化功労賞さえも受けられたデルコル神父様の義憤の声をお聞きください。

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(引用ココから)

新共同訳の立場 (続編と外典書)

さて、新共同訳(聖書)では、どうなっているのだろうか?

 第二正典の書物、またはその部分を、第一正典の書物から別にして、「続編」として第一正典の次に置いたことは、トレント公会議の決定に合わないというべきである。
 また、「続編」の最後の三つとして、確実に外典書(偽典)であるエズラ記第三と第四、そしてマナッセの祈りを同程度に加えたのは、なおさらトレント公会議とその以前のすべての公文書を無視したものである。このように、何の区別もなしに、何の注もなしに、何もことわらないで(*カトリックが正典と認めないものを正典であるかのように)加えたのは、聖書と聖書を忠実に守る使命を受けているカトリック教会とに対するこの上もない侮辱である。

 新共同訳聖書の巻末にある「付録」(6ページ)には、この三書について、「いずれもカトリック教会では正典の中に数えられていない」と言っているが、それなのに、なぜ他の続編と一緒に置いているのか? 巻末の付録のことばを、だれが読むのか? わたしは、何人かの聖職者に聞いてみたが、その付録があることにさえ気がついていなかったそうである。

 新共同訳のこの位置づけは誤解を招くものである。 
 おまけに、「続編」とその最後の三つの外典書が入っているのは、新共同訳のカトリック用の版だけで、プロテスタント用の版には入っていない。

 日本の一般信徒も聖職者もだまされて、あの三つの外典書(偽典)は本当の聖書であるかのように考えるようになり、いわゆる第二正典書は他の正典書に劣るものと考えるようになる危険がある。


 また、このやり方は、聖書とカトリック教会とに対するこの上もない侮辱である、と私は先に言った。カトリック教会が、公会議、教会会議、諸教皇の教令などによって、疑えないほど明白に自分の信仰を宣言したにもかかわらず、それを全部無視しているからである。

 新共同訳に協力したカトリック側のメンバーたちは、こうして、教導権の確かな教えに背き、カトリック教会を裏切ったというべきである。


ご存知ですかシリーズ35 「神のみことば その啓示と伝達」 
デルコル神父著 世のひかり社1989年6月29日発行 30〜32ページより引用


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参考文献

1。口語訳 新約旧約 聖書 ドン・ボスコ社発行 (全聖書序論、各書の解説等)

2。ご存知ですかシリーズ35 「神のみことば その啓示と伝達」 
  デルコル神父著 世のひかり社 1989年発行

3。公教要理

*。文献によって、日本語の翻訳の言葉が、「聖霊の神感」「聖霊の霊感」「霊感」などと違いがあるのですが、同義語と思われます。ここでは、「聖霊の神感」で統一しました。


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2017年01月26日

「聖書の何たるか」を理解する

 
聖書と教皇ベネディクト十六世.jpg


 「聖書」についてのカトリック教会の基本的な教えが、分かりやすくまとめられた部分を、全聖書序論より引用してご紹介したいと思います。
 聖書の聖句を黙想することも大事ですが、まず、
「聖書の何たるか」を理解するよう努めることも、さらに大事と思います。

 下記の内容は、「公教要理」の聖書についての部分と同様ですが、さらに詳しく説明されているので、参考になるかと思います。
 ここで、「霊感」と言われているものは、公教要理で「聖霊の神感」と言われているものと同義です。
(公教要理の該当箇所は、一番下に載せますのでご参照ください。)

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4福音記者.jpg



(引用ココから)


霊感

 聖書の本は、人間の本ではなく、神の本である。それらの本を書いた第一の著者は、神だからである。
 これらの本を書いた人は、「霊感」とよばれる神の特別な保護と指導とをうけて、書きあげた。霊感についての、この教義は、多かれ少なかれ聖書の本のいろいろなところに、暗示されている。(とくに、ティモテオ後3・16、ペトロ後1・20−21)。教会の教父と博士たちも、そのことを、はっきりと教えており、カトリック教会も、それを信仰の教義と定めている。

 この教義によると、「霊感」は、聖書の本を書いた人間に対しておこなわれる神の特別な保護と援助である。これによって聖霊は、「超自然の力によって、かれら(聖書著者)に、書くようにすすめ、うごかし、かれらが書いているあいだには、神のご命令になるすべてのことを、そして、そのことだけを、正しく考え、忠実に書きしるしたいとのぞませる。さらに、あやまりない真理を、適当に表現するように、かれらを保護される」(”プロヴィデンティッシムス” 回勅#1893年渙発)。

 これによると、聖書著者にたいする神の御働きは、三つに分けて考えられる。

1。聖書著者が「正しく知る」ことのできるように、その知恵を照らす(これを知恵の照明という)。
2。かれらに、「忠実に書く」のぞみを起こさせるように、かれらの意思力に働きかける(これを意思の発動という)。
3。それを「あやまりなく正しく」しるすように、書く場合に保護する(これを記述の保護という)。

 しかし、著者である人は、「霊感をうけて」神の口述によって書く単なる書き写し手だと考えてはならない。あるいは、意識なしに、虚脱状態で書いていたと考えるのも、あやまりである。
 著者である人間は、完全に自分の自由と、個性と、教養とを保ちつつ、しかも、神の干渉をうけて、超自然の世界にあげられる。こうして、個々の本の思索と記述との、人間的な、自由な道具となるのが、著者である人間である。

 そのために、聖書の各本と各部分との第一の著者は、神であり、手段的な道具的な著者として、人間をおくわけである。人間としての著者の、その文体や性格や教養やそういったものを研究することも、したがって正しいわけである。霊感をうけていても著者の人間的な個性は残されて、それが完全に表現されているからである。

 かれらの著作に、あやまりがないという点は、「霊感」の保護のためであるといってよい。実に、神が聖書の本の第一の著者であるのなら、その本にしるされているすべての宣言は、神ご自身の宣言であるわけである。真理そのものである神は、あやまちをすることも、他のものだますこともありえないのであるから、霊感をうけてしるされている本は、絶対に、あやまりのないものだと考えなければならない。
 「霊感」をうけてしるされたものではあっても、人間として、人間の表現を用いている人間の著者のほうは、比喩を用いたり、自然現象をしるすために、当時の表現を用いたりしているが、それはゆるされていることである。そういう表現は、比喩として解釈するか、あるいは科学的な事実ではなくて、単に自然現象の記述として解釈しなければならない。たとえば、「神の怒り」、あるいは、「後悔」などが、聖書に出てくるが、それは、比喩的な言い方である。あるいは、「太陽が昇る」、「日が暮れる」というのは、一般の人の用いていた言い方である。

 また注意すべきは、現在のある聖書テキストの中にあるあやまりは、長い世紀にわたって原文を書き写し書き写ししてきたときの写しあやまりか、訳のあやまりである。

 「霊感」の教義を教えて、保証しているのは、カトリック教会である。カトリック教会は、この点について、昔のユダヤの教えにも基づいている。

 カトリック教会の権威を否定したプロテスタントは、聖書が霊感によるものであることを証明し、あるいは、認めるために、各時代にわたって、カトリック教会のこの教導権にかわるものを見つけようとしたが、結局は失敗し、現在は、その点について放置されている状態である。

「口語訳 旧約新約聖書」バルバロ/デル・コル訳(ドン・ボスコ社1964年発行) 
全聖書序論 10〜12ページより引用



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聖書著者3.jpg

四福音史家


公教要理 第一部 第二課 〔信仰とその源〕より

8 天主の啓示し給うた事柄を、人々に教えるのは誰ですか。
  天主の啓示し給うた事柄を、人々に教えるのは、公教会であります。
  「汝等往きて万民に教えよ」(マテオ 28-19)

9 公教会が教える天主の啓示は、何に含まれていますか。
  公教会が教える天主の啓示は、聖書と聖伝との中に含まれています。
   聖書と聖伝とを信仰の二つの源(みなもと)と申します。そしてこれらは天主の特別の御助によって、誤りなく、公教会に保存されております。

10  聖書とは何でありますか。
聖書とは、聖霊の神感によって、天主の御言葉を書きしるした書物であります。
   聖霊の神感とは、天主の超自然の御助によって、一、聖書記者に筆をとる心を起させ、二,内容を示し、三,書く時に誤りがないように導くことであります。

公教要理の全文はコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/catech.htm#02



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2017年01月22日

カトリック教会の真の聖書とは?

聖書と教皇.jpg




 「聖書は神感によって書かれた書物である」と、カトリック教会の教導権をもって宣言されたことに「聖書」の聖なる書物としての根拠があります。

 この教導権を否定していながら、プロテスタントが聖書を絶対視するのは、どう考えても矛盾しています。突き詰めれば、「個人の理解」として「私はこの本が聖書だと信じる」という他に根拠がないからです。

 こうした根本の問題を抱えていれば、その解釈についても、プロテスタント各派、各人の、それぞれの意見が出て、食い違いや誤りが起こり得るのは当然の事です。それは聖書の翻訳にも反映されますので、カトリック者は、カトリック教会が正典と認めるすべての書を含んだ「真のカトリックの聖書」を読むべきです。

  エキュメニカルな対話は大切とはいえ、プロテスタント諸派との安易な迎合は、「唯一、聖、公、使徒承伝」というカトリック教会の本質を破壊するものではないでしょうか。

 一般にプロテスタント主流各派の聖書は66巻のみ、その他は様々ですが、新興宗教的なものの中には教祖様の書いたものを別巻として加えたりしているものもあります。

 カトリックの伝統的な聖書の正典(全73巻)は以下の通りです。

 各書の日本語の呼び方は翻訳によって何通りかあるのですが、ここでは「口語訳 旧約新約聖書」バルバロ/デル・コル訳 (ドン・ボスコ社1964年発行)の目次より引用します。

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旧約聖書(46巻)

【歴史書】

創世の書
出エジプトの書
レヴィの書
民数の書
第二法の書
ヨズエの書
判事の書
ルトの書
サムエルの書 上
サムエルの書 下
列王の書 上
列王の書 下
歴代の書 上
歴代の書 下
エズラ
ネヘミア
トビア
ユディット
エステル
マカベ前書
マカベ後書


【教訓書】

ヨブの書
詩篇
格言の書
伝道の書
雅歌
知恵の書 
集会の書 


【預言書】

イザヤ
イエレミア
イエレミアの哀歌
バルク
エゼキエル
ダニエル
ホゼア
ヨエル
アモス
アブディア
ヨナ
ミカヤ
ナホム
ハバクク
ソフォニア
ハガイ
ザカリア
マラキア



新約聖書(27巻)

【歴史書】

マテオによる聖福音書
マルコによる聖福音書
ルカによる聖福音書
ヨハネによる聖福音書
使徒行録


【教訓書】

ローマ人への手紙 
コリント人への前の手紙 
コリント人への後の手紙 
ガラツィア人への手紙 
エフェゾ人への手紙
フィリッピ人への手紙 
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への前の手紙 
テサロニケ人への後の手紙
ティモテオへの前の手紙
ティモテオへの後の手紙
ティトへの手紙
フィレモンへの手紙
ヘブライ人への手紙

ヤコボの手紙
ペトロの前の手紙
ペトロの後の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙

【預言書】

ヨハネの黙示録


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〔トレント公会議 DENZ. 1504〕

「以上の書物を、カトリック教会において普通に読まれている古代ラテン語ヴルガダ版に従って、全部を残らず そのすべての部分をもって、正典に属する聖書として受け入れなかったり、上に説明した伝承を、知りながら故意に軽視したりする者は排斥される。」(* 太字の部分は、日本語訳では抜けている)


 第一次ヴァティカン公会議(1870年、DENZ1787)も、第二次ヴァティカン公会議(1965年)も、トレント公会議の教えをそのまま伝えている。


〔第二ヴァティカン公会議/神の啓示に関する協議憲章11〕

「教会は、旧約及び新約の全部の書をそのすべての部分を含めて、使徒伝来の信仰にもとづき、聖なるもの、正典であるとしている。なぜならば、これらの書は、聖霊の霊感によって書かれ、神を作者とし、またそのようなものとして、教会にゆだねられているからである」。



「神のみことば – その啓示と伝達」 デルコル神父著(世のひかり社発行)
(29〜30ページ)より、公会議文書の部分は引用しました。


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2017年01月02日

尊者チマッティ神父様の奇跡


チマッティ神父様



 チマッティ神父様とは、イタリア人のサレジオ会員で、1926年に来日してから1965年に亡くなるまで、日本の宣教と司牧に尽くして下さったカトリック司祭です。
(「尊者」とは、カトリック教会が正式に調査した後、聖人と認められるような隣人愛と聖徳に生きた人々に授けられる称号です。)
 
チマッティ神父様と子供たち
子供たちに囲まれるチマッティ神父様



詳しくはコチラ
http://www.v-cimatti.com/



 生前は、その音楽の才能と謙虚な奉仕で有名になられましたし、没後は、その奇跡で知られるようになりましたので、ご存知の方も多いでしょう。


チマッティ神父様コンサート
イタリアや日本各地で宣教と奉仕のために何度もコンサートをされた神父様



チマッティ神父様の奇跡というと、2種類考えられると思います。

まず、ご自身に起こった奇跡として、そのご遺体が腐敗を免れていることです。

チマッティ神父様は1965年10月6日に亡くなられ、1976年には列福調査が始まりました。以下はその調査の遺体検証の様子です。

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1977年11月18日、教会の規定に従って棺を開き、二人の医師が遺体を検証した。医師団は次のとおり証言した。

「遺体はミイラ状態に非ず、死蝋状態に非ず、白骨化せず、全身にやや湿潤す。死臭は存せず、ただし、特別の匂いあり。皮膚は弾力性あり、。。。。軟部組織は柔軟にして弾力性あり、。。。。諸関節は他動的にほとんど正常範囲まで運動可能なり。。。。。以上の所見を総合して、死後十二年を経過したる死体としては、われわれ二人の医学常識によっては説明することは不可能なものであることを認めたい」。
遺体は新しい服を着せられ、新しい石棺に安置された。

(「チマッティ神父 日本を愛した宣教師」 テレジオ・ボスコ/ガエタノ・コンプリ共著 ドン・ボスコ社発行 59ページより引用)

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 最後に、「遺体は新しい服を着せられ、新しい石棺に安置された。」と、ありますが、1965年に亡くなった時、府中カトリック墓地に土葬され、その後神学院の地下聖堂に移され、死後12年以上経っていますから、身体は奇跡的に生前のままの状態で保たれていても、たぶん服のほうは自然に風化されるままで、ボロボロだったのかもしれません。その辺の事情は記録がありませんが、服がきれいに残っていたら、奇跡の一部としてそのまま着せていたのではないでしょうか? 


 遺体が腐敗を免れる、というのは、一般に「聖人の印」であると言われています。

 ルルドの聖ベルナデッタさまや聖心の聖マルガリタ・マリアさまなど、カトリック教会の聖人には多数の例があります。
こういった聖人方のご遺体は、普通はガラスの棺に納められて、訪問者から見えるように祭壇近くに置いてある場合が多いです。


聖べルナデッタ
聖ベルナデッタの御遺体ー腐敗防止処置は施されていない




チマッティ神父様のご遺体は石の棺に納められていて、訪問はできるようですが、残念ながら中は見えないようです。

チマッティ神父様棺2




次に、チマッティ神父様の取り次ぎによって起こった他の人々への多くの奇跡です。

ここで、奇跡というのは、「奇跡的恵み」と考えられるもので、教会で認可された「奇跡」ということではありません。
が、希望が失われたように思われる時に癒しを受けた方々にとって、かけがえのない恵みに違いはありません。

鬱病の治癒、癌の治癒など、多くの恵みの報告があるようですが、その一部は以下のリンク先でお読みいただけます。

チマッティ神父の取り次ぎによる恵み
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_toritugi.htm


毎月6日に、チマッティ神父様の特別の取り次ぎを願って御ミサが捧げられます。
FAXで意向を送って御ミサで捧げていただけるようお願いすることもできます。

私も、主人の甥が目の具合が悪くなり、「手術をしても50%の確率(で失明する)」、手術をしなくてもだんだん悪化して失明する可能性が50%」と、どうにもならない状況で、ミサの意向に加えていただけるようFAXでお願いして祈った後、悪化が止まり、手術をせず小康状態を保つようになりました。

私たちのために、やさしく力強い取り次ぎ手が天国にいらっしゃると思えるのは、ありがたいことですね。
機会があったら、調布サレジオ神学院のチマッティ資料館、地下聖堂にある棺を訪問したいです。

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2016年12月22日

すべてのカトリック者のための聖伝ミサ


聖伝のミサ(トリエント・ミサ)は誰でも与かって良いのでしょうか?
カトリックの司祭は、誰でも皆、捧げても良いのでしょうか?

 はい、大丈夫です。
すべてのカトリック信徒は、このミサに与ることが、許可されています。
 そして、
すべての司祭は、トリエント・ミサを捧げることが、世の終わりまで、絶対的に許可されています。



「ヴァチカンの道」(横浜アクショングループ発行)第19巻 第3号の 
「何故教皇様は司祭がトリエントミサを捧げ信者がそれに与る権利を再確認なさったのか?」という
 福島睦男氏筆の記事より引用したいと思います。



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(引用ココから)


 伝統的ラテン語ミサが、トリエント・ミサと広く呼ばれるようになった理由は、トリエント公会議(1545〜1563)の命令に基づき設けられた神学者の委員会が、古代からの各時代のミサ典書の写本と典礼様式を精査・比較、その結論を受けて、聖ピオ5世が、当時バチカンのクリア(内閣)と西欧の多くの国々で、既に使われていたミサ典書を、その内容の神学的正確さと深遠さに鑑み、全世界の教会が使用すべきミサ典書として選択、勅令『クオ・プリームム』により、教皇の最高の権威を持って、その祈りの文言を固定し、この典書の使用を命令し、出版したからです。
 
(中略)

 この時、聖ピオ5世は、古代から受け継がれてきたミサ典文が、信仰を防御し、育て、強固にする豊かな内容を備えていることを深く考え、ミサ典書そのものを異端に対する防壁としたのです。
同教皇は、賢明にも、将来同じような異端が、表面上の装いと表現を巧妙に変えて、ある種の神学者の心に入り込み、「ミサ典書の典文の意味の歪曲を目指す可能性」を予見したのです。

そのため彼は、世々、トリエント・ミサの典文を厳密に防衛すべきことを命じました。このミサ典書の文言を削除してはならず、何も付加してはならないと命じた上、違反者への最後の審判での神の永遠処罰に関する警告を、勅令『クオ・プリームム』に組み込んだのです。

 この勅令の最も重要な部分は次の通りです。


 「永遠に法的拘束力を持つこの憲章により、私は、新たに出版されたこのミサ典書に、何も付加してはならず、何も省略してはならず、また、ここにあるどんな文言も変更してはならないと、申し付け、命ずる。
 私は、すべての教会において、このミサを、歌ミサ、あるいは読誦ミサとして捧げる際、司祭は、何の良心の呵責も感じる必要もなく、どのような罰則、判決、避難を受ける恐れも無く、絶対的に、このミサ典書を使用する永遠の許可と承諾を与える。
 司祭がこのミサ典書を使用するのは自由かつ合法である。」



(引用ココまで)
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 聖ピオ5世教皇様の、なんと力強い、はっきりしたお言葉でしょうか。

 使徒継承のカトリック教会のミサ、すなわちトリエント・ミサを守るために、この勅令は1563年に発布されました。
 この勅令を出すにあたって、トリエント公会議の間(約18年)、多くの神学者たちが、古代の典礼文から始まって当時の最新の典礼文まで、ほぼすべての典書や写本を網羅して調査、研究して、最終的に絶対的決定版としたのが、トリエント・ミサなのです。
 しかも、教皇様の出される書簡の中では重要性の高い「勅令」によって、「すべてのカトリック司祭がトリエント・ミサを捧げる絶対的な永遠の許可を与えられている」のです。

 2007年にベネディクト16世教皇様の出された自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』は、トリエント・ミサの この「絶対的な永遠の許可」を再確認したものです。
 新ミサが発布されたとしても、このトリエント・ミサの「絶対的な永遠の許可」は常に有効で、取り消し得ないものである、と。
 このミサは、”けっして廃止されていない”(numquam abrogatam)と。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm


 トリエント・ミサは懐古的なミサなのではなく、時間を経ても価値の変わらない真にカトリック的な美しいミサなのです。

 それほどに素晴らしいミサなので、もっと多くの司祭が捧げられ、もっと多くの信徒の方々が与る機会がありますようにと、心から願っております。



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2016年12月11日

トリエント・ミサとノブス・オルド・ミサの具体的な違いは?


 トリエント・ミサ(聖伝のミサ)からノブスオルド・ミサ(現在の教会で一般的な新ミサ)へ具体的にはどう変わったのか?
 2つのミサの典礼文の変化について、具体的でわかりやすい記事があったので、(ここで許可を願いつつ)その部分を引用したいと思います。


 私が10歳くらいの頃、すべてのカトリック教会で、新ミサに移行したんです。
 その時から、「新ミサには良い点が沢山ある。例えば、各国語になって皆に分かりやすくなった」と、説明されてきました。どの神父様も、ほぼ、異口同音にそう言っていました。

 しかし、この記事を書かれた方が指摘しているような、「本来のミサ典礼文の大幅な削除」とか、「それまでなかった文の追加」があったことなどの説明は、聞いたことがありません。
 私自身も、この記事を読むまで、よく分かっていませんでした。

 おそらく、ほとんどの信徒は、国語に訳された新ミサに与っていて、「これがミサだ」と理解していると思いますが、本来のミサとはかなり違うわけで、それは問題だと思います。
 
 クチュール神父様が、「ラテン語の新ミサよりは、国語のトリエント・ミサの方が良いのです」とおっしゃっていた意味が、やっと分かったように思いました。


。。。。。。。。。。。。


ー(「ヴァチカンの道」第19巻 第3号の記事より引用、ココから。)ー


 それでは、1969年に儀式聖省が発布した使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌフ』で新ミサの典文を公布し、トリエント・ミサが廃止されたかのような印象を世界に与えた典礼改革とはなんだったのでしょうか?そして 何故、そのような改定を行ったのでしょうか?

 トリエント・ミサは、「主は皆さんと共に」「また司祭の霊魂と共に」と言ったやり取りの部分を除いた上で段落数を数えてみると、ラテン語で80ほどのパラグラフ(段落)から成り立っています。これを平日の読誦ミサで、説教なしで捧げた場合は40分ほどかかります。

 一方、新ミサは、平日の読誦ミサとして捧げた場合は、15分以内で読み終わることができます。実際そのような超特級ミサに与って驚いた記憶があります。司祭が、第二奉献分を使い、通常の祈りと聖書朗読部分を読み上げるだけなら、おそらく10分もかからないのではないかと思います。

 あわれみの賛歌、信仰宣言、奉献文の一部など、文言の骨格部分がほぼ両者に共通している段落は、20パラグラフほどです。
 つまり、トリエント・ミサの典文の75%以上を削り取ることによって、新ミサは成立したのです。

 ですから、1964年に、ローマ聖座の一機関として設立された典礼改革実行委員会 (*注1) の事務局長だったアンニバレ・ブニニ大司教 ( *注2) が作成した 新ミサとは、一言で言えば、徹底的な削除作業の結果なのです。

 削除の一方で、新ミサにはトリエント・ミサには無い文章が付け加えられています。この付加部分、特に奉献文中の付加文言には、ミサの意味と定義を根源的に変えるほどの、深刻な問題があります。


 。。。(中略)。。。。

 上記の75%にも上る削除の目的は、何だったのでしょうか? これを検討するために、「改革」のなかで、削除されたトリエント・ミサの祈りのうちのいくつかを ここでお目にかけ、読者に先ず『何が削られてしまったか』を知ってほしいと思います。

 トリエント・ミサには、序唱の後の「カノン、すなわち 奉献文」が始まる前に、「オフェルトリー、すなわち奉献の部」という11段落からなる一群の祈りがありました。
 ここで、信者に対し、今からミサが聖変化に向かって進み、十字架のいけにえが もうすぐ再現され、イエズス様が御自分を私達の罪の償いのために、祭壇上で天の御父に捧げてくださることを 予告していたのです。
 この予告は、信者の信仰のため教育的効果があり、イエズス様の犠牲の奉献に向かって、信者の心を準備させる部分でしたが、新ミサでは、この11パラグラフが、ほぼ全文、削られているのです。この削除部分から二つだけ紹介します。

 たとえば Suscipe sante Pater の祈りでは
「聖なる父、全能永遠の神、不肖の下僕である私が、活ける真の神に捧げる、この汚れ無きいけにえを受け入れ給え。私は、私の数知れぬ罪と侮辱と怠りのため、又、ここに列席する人々の為、そして生きる者、死んだ者、全てのキリスト信者のために、これを御身に捧げ奉る。願わくは、これを私と彼らとの永遠のたすかりに役立つものと成らせ給え」
と司祭は祈り、

 さらに、Offerimus の祈りでは、
「主よ、我らは、助かりのカリスを御身に捧げ、御慈悲に願い奉る。願わくは、これが、甘美な香りを放ちつつ、我らと全世界との救いの為に、主の御稜威の御前に立ちのぼらんことを」
と祈っていました。

 続くカノンも、本来の19段落が半分に削られています。カノンが始まるとまず、Te igitur の祈りが出てきます。
「いと寛仁なる父よ、我らは深くへりくだって祈り奉る。願わくは、御子イエズス・キリストによって、この賜物、この捧げもの、この汚れなく聖なるいけにえを受け入れ、祝し給わんことを。」

 次に Memento の祈りがあり、司祭は、生きている信者の名を唱えて、次にように神の御恵みを祈り求めたのです。
「主よ、主の僕、。。。。を記憶したまえ。また、御身が、その信仰と敬虔とを知りたもう、ここに列席している人々をも記憶したまえ。我らは、彼らのために、更にまた、彼ら自ら、称讃のこのいけにえを、自分と自分に縁ある人々のために捧げ奉る。それは彼らの霊魂の贖いの為、救霊の希望を強める為、また、全ての危険を免れるためであって、永遠の活ける真の神にその称賛を捧げ奉る。」

 さらに 司祭はホスチアとカリスの上に按手して Hanc Igitur の祈りを捧げます。
「主よ、主の全教会と僕らの捧げ奉るこの供え物を、受け入れ給え。そして、主の正義をなだめ、我らを 日々 主の平安のうちに生きさせ、永遠の罰より救い出し、なお又、御身の選び給うもののうちに、我らをも加え給え。我らの主キリストによって。アメン」

 ここで、パンとぶどう酒の聖変化が行われます。....... その後 Supplices te rogamus の美しい祈りが捧げられます。
「全能の神に恭しく願い奉る。主の聖なる天使の手をもって、主の祭壇と神聖な御稜威の御前に、このいけにえを運ばせ給え。この祭壇のいけにえにあずかり、御子の至聖なる御体と御血を受け奉る全ての人々が天の祝福と恩寵とに満たされんことを。同じ我らの主キリストによって。」 


 このように、トリエント・ミサの典文のなかには、御ミサにおけるキリストのいけにえの再現に対し、信者の注意を惹きつけ、その贖いの効果に対し黙想を促す祈りが散りばめられていました。これは、拝領前に、聖体におけるキリストの現存への信仰を呼び起こし、『心構え(disposition) と心の準備』をさせた上で拝領させ、その霊魂に恩寵を豊かに注ぎ込むことを目的としていました。なぜ、これらの大切な表現と祈りの言葉を削除してしまったのでしょうか?

 この削除は、永遠にまで続く損失をもたらす破壊であり、信者の霊的財産の奪取というべきではないか、と思います。なぜなら、同じ一つの御聖体をいただくのにも、この聖体への心構えと準備がよくできている霊魂ほど、より豊かに恩寵を受け取ることができるからです。

。。。トリエント公会議は、この重大なポイントについて「我々は、一人一人の心構えと協力に応じて、恩寵を受ける」(*注3)と教えています。
 トリエントミサが、信者、司祭の心を愛で満たす効果が強い主要な理由の一つは、それがカトリック教理の正確な表現によって、聖体拝領に先立ち、司祭、信者の心構えを整えるからです。これによって、神の恵みが豊かに、大海の潮流のように、信者の心に流れ込むことを可能にするのです。



 さてここまで削除箇所の検討をした上で、筆者は、12人のスコラ神学者が、1969年に、約2ヶ月共同研究を行い、まとめた、『新ミサ式次第の批判的研究』を提示します。

(中略)。。。。

『批判的研究書』は、新ミサの典文から、
「ミサにおける十字架のいけにえの再現」に関する数々の祈りや表現群が、ほぼ全面的に削除されている事実について、「いけにえに関することをこのようにはっきり表現しないことの理由は、トリエント・ミサにおいて あれほど輝かしく中心を占めていたキリストの聖体における現存が、今では、最早ミサの中心から閉め出されてしまっているからである」
と述べています。

 これは重大な指摘です。ミサ典文の書き換えによって、本来のミサの核心点である「ご聖体におけるキリストの現存」から信者の注意の焦点がそらされれば、その結果、彼らの聖体信仰が弱められ、少しずつ、消えていくからです。
 このような巧妙な焦点外しは、信者の霊魂に教会に流れ込むべき神様の恵みをせき止めることによって、カトリック教会の衰弱・衰退をもたらすからです。



「ヴァチカンの道」(横浜アクショングループ発行)第19巻 第3号 
「何故教皇様は司祭がトリエントミサを捧げ信者がそれに与る権利を再確認なさったのか?」福島睦男氏筆の記事より引用
(*行変え、太字強調は管理人による*)
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(*注1)コンシリウム Consilium ad exsequedam Constitutionem de Sacra Liturgia
(*注2)Annivale Bugnini
(*注3)Secundum propriam cuiusque dispositionem et cooperationem (Denzinger 1529)


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2016年04月23日

第二バチカン公会議の驚愕すべき内幕


第二バチカン公会議@.jpg

Foto: Lothar Wolleh(写真引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Second_Vatican_Council_by_Lothar_Wolleh_005.jpg)



 第二バチカン公会議の内幕が良く分かる、興味深い記述がありましたので引用します。

 それにしても、「救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する。」などというカトリック高位聖職者とは、本当に善意で、ただ迷い間違っているだけなのだろうか? と、疑問に思いませんか。
 神にすべてを捧げ、何年も神学を勉強したはずの方々が? 普通に考えて、そんなことありえませんよね。

 このしばらく後、教皇パウロ6世は
「教会内に悪魔の煙が侵入してきた」
と言って物議を醸しています。


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(引用ココから。。。)

「教会の忠実なしもべ ウゴ・ラッタンツィ神父」

〔3章 教皇首位権のために戦った人〕

 18年間も、こうして模範的な主任司祭の任務を果たし続けたウゴ・ラッタンツィ神父に目をかけたものがいました。それはローマの教会関係者たちです。
 あれほどの天才を地方に埋れさせるのは、もったいないと、1953年、彼をローマに呼び寄せました。新しく任命された職務は、ローマラテラン大学神学部の部長です。
 そして、まもなく、教皇ヨハネ23世によって、第二ヴァティカン公会議が開かれると、彼は、教皇立神学委員会のメンバーとして選ばれることになりました。

 ラッタンツィ神父の仕事は、教会憲章の作成に協力することです。その頃、公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。

 こうして準備されたのが、憲章の下ごしらえともいうべき、一つの案です。これは、大勢の司教たちの要求によって出来たものでしたが、ラッタンツィ神父は、それを見ると、みるみる蒼白になり眉をひそめました。彼は、非常に憂えていました、『この案がそのまま通ると、聖ペトロと、その後継ぎであるローマの司教、教皇様の首位権が危ない』と。

 なぜなら、そこには、第一次ヴァティカン公会議で信仰箇条として宣言されていた この首位権と、教皇の不可謬権を取り消したほうがいい、という意見が、強く打ち出されていたからです。
 なかでも、北部ヨーロッパのエキスパートたちにこの声があがりました。彼らは、プロテスタントの要求に劣等感を持っていたので、この説を強く宣伝しました。そのため、公会議に参加した少なからぬ司教たちが、これに賛成する傾きを見せはじめたのです。

 これをほっておいたら、いったいどうなるのでしょう?
 そうなれば、もはや教皇様は、司教たちの「スピーカー」でしかないことになります。それどころか、信仰の大切な教義も、歴史的な時代の要求が変化するにつれて、不変的なその特長を失うことになるのです。事実、この説から出された結論は、次のようになっていたのです。

 “救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する”。

 そして、この説の行きつく先として、
 “ 最近のマルクス主義の思想も、キリスト教の思想に劣らない真理として認めるべきである” という結論まで、すでに提出されていたのです。

 また、こうも言われていました。すなわち、
“ 福音書に記されているイエズスの幼年時代の物語は、単なる作り話であり、歴史的な根拠が認められない” と。

 この説は、形こそ変わっていますが、今でもなお残っています。とにかくあの当時、有名な司教でさえ、この立場を支持していたのです。

 大変な危険をはらんだこの案に気づいたウゴ・ラッタンツィ神父は、自分の委員会仲間とともに、正しい立場を守ることにしました。



 彼を中心としたこの仲間たちは、どんな方法でそれを実行したのでしょう?

 提出すべき 3000部もの文書を印刷しました。そのタイトルには、「新しい神学教義の誤謬をあばく注意書き」と書いてあります。これを書いたのは、もちろんラッタンツィ神父その人です。こうして、この文書は1963年の6月14日、第二バチカン公会議に参加するすべての教父たちに配られました。
 
 あとで、正式に教会憲章が教皇パウロ6世によって発布された時、まず、この文書が、”前書き”(ノータ・プレーヴィア)として読まれました。
 こうして、危なかった憲章の正しい意味が確かなものとなったのです。

 公会議の記録によりますと、この文書が読まれると、司教たちの大部分が拍手喝采して賛成しました。

 エキスパートとして、この時、教義神学委員会の席に連なっていたラッタンツィ神父の気持ちは、どんなだったでしょう? その喜びは、察するに余りあると思います。
 公会議の慣わしで、彼の名が特別に発表されなかったとしても、正しい信仰を守るために、これほど親しく協力してきたことを、イエズスとマリアに、心で感謝していたに違いありません。

 公会議の前後も、その進行中も、ラッタンツィ神父は、正しい信仰を守るための記事をいろいろと書きました。 
 その記事は、主として、教皇立大学の雑誌、あるいは、単行本としていろいろの出版社から出ています。
 その中のあるもの、特に教皇の首位権と聖書に関するものは、スペイン語にも、フランス語にも、翻訳されています。その翻訳を別にしても、彼の著は全部で50点にものぼっています。

(中略)。。。


  教会憲章の作成に協力できたことだけではありません。その案の危険な箇所を指摘することに成功したのです。しかもその労を教皇パウロ6世は認め、大きくねぎらわれたのです。これは、何と言っても、大きな慰めとなる思い出となっていました。
。。。教皇パウロ6世は、ウゴ・ラッタンツィ神父のために祈りと、祝福を送り、彼のことを、「教会の忠実なしもべ」と称えました。これこそ、ウゴ・ラッタンツィ神父最大の特徴と言わねばなりません!

 
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「教会の忠実なしもべ ウゴ・ラッタンツィ神父」(デルコル神父企画)37〜44ページより引用

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