2017年12月11日

クリスマスリースと待降節の祈り


クリスマスリース1.jpg



コメント欄で、クリスマスリースについてのご質問がありましたので、少しご紹介したいと思います。


リースの由来は厳密には不明なのですが、もともとヨーロッパでは、暗い冬に、枝を丸くしたものを燭台にしたり、車輪の所にろうそくを立てる習慣があり、そこから、暗い冬に明るい春を待つ、救いの光を待つ、という意味として、リースの上にろうそくを立てて祈るカトリックの習慣になったようです。


近年、一般に飾られるクリスマスリースは、玄関のドアに掛けているものと、テーブルや台に置くタイプのものとあります。

待降節の祈りのために使うのは、置くタイプのものです。

本来の祈りに使うものは、クリスマスリースではなく、アドヴェントリース(Advent wreath)と呼びます。
カトリックの典礼暦の「待降節」に、クリスマスの準備の祈りをするために使うものだからです。

アドヴェントリース2.jpg


輪にした常緑樹の枝の中に、4本のローソクを立ててあり、待降節の第一主日の前晩から、その1本に火を灯して祈りが始まります。第2主日前晩から2本、第3主日から3本、第4主日から4本全部と、灯すローソクの数を増やします。
ローソクの色は、3本は待降節の司祭の祭服に合わせて紫、1本だけ薔薇の主日(第3主日)に合わせてピンクです。

なので、待降節が終わったその年のアドヴェントリースは、残ったろうそくの高さが少しずつ違うのです。

教会では、特別な祈りはしないのですが、ミサの間、アドヴェントリースのろうそくが灯されます。
修道会や、家庭では、夕方から皆でアドヴェントリースを囲んで祈りを唱えます。


以前、フィリピンでいただいたアドヴェントリースに祈り方の冊子が付いていたのですが、なくしてしまったので、今は我が家なりのやり方で以下のようにお祈りしています。

1。ろうそくを灯して、まず、「VENI VENI EMMANUEL」(来ませ救い主)を歌います。

2。それから、「聖アンドレアの祈り」を15回、唱えます。
  「真夜中のベトレヘム、肌を刺すような寒さの中、
   いとも清らかな乙女マリアより、
   天主の御子がお生まれになった
   その時間、その瞬間は、讃えられ祝されますように。
   おぉ我が天主よ、
   その時間に、我が祈りを聞き入れ、願いを叶え給え。
   我らの救い主イエズスキリストと
   その祝された御母の御功徳によりて、恵みを与え給え。
   アーメン。」

3。そして、喜びの玄義、第3の主の降誕を黙想しつつ、ロザリオ1連唱えます。


他にもいろいろな唱え方があるようです。
修道院にいた時は、最初の歌は、Veni Veni Emmanuel ではなくRorate coeli でした。
どちらでも良いようです。
両方とも、待降節の聖歌です。


近年は、いろいろな色や飾りのついたクリスマスリースやアドヴェントリースがありますが、教会のアドヴァントリースはやはり紫のリボンなどでシンプルに飾られているものが多いです。
クリスマスのお祝いをまだ待っている時だからだと思います。


photo-9.JPG
うちのアドヴェントリース。かなり賑やかです。



一昨年のこの日の記事と我が家の聖歌の動画です。
http://akitadiary.seesaa.net/article/430778847.html?1512918776



こちらはプロの動画です。




クリスマスリースの写真
https://www.google.com.au/search?q=christmas+wreath&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwim5-Hgq_nXAhUBzbwKHbogBp4QsAQIqAI&biw=1324&bih=898


アドヴェントリースの写真
https://www.google.com.au/search?biw=1324&bih=875&tbm=isch&sa=1&ei=gvUpWrrbHM3y8AWzr6eICg&q=advent+wreath&oq=advent+wreath&gs_l=psy-ab.3..0l10.5212039.5223603.0.5225035.23.19.1.0.0.0.1201.3015.2-1j3j1j7-1.6.0....0...1c.1j4.64.psy-ab..17.4.1422...0i67k1j0i7i30k1j0i10k1.0.W1oI4i59NwU#imgrc=_


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2017年12月04日

自分の信仰を表すこと

ロザリオの聖母子.jpg


待降節になりました。
みなさまお元気でお過ごしでしょうか?

私は体調不良と帰省旅行といろいろ重なりました。

なかなか外出もできず、ブログも書けずにおりました。
記事を更新できない間も、多くの方がブログを読みに訪問してくださり、また応援ポチもしてくださり、本当に感謝しています。

アクセス解析を見たら過去記事に検索からポンと入ってくる方もいらっしゃいます。その中でダントツで多いのが
「ウサイン・ボルトも身につけている聖母マリアの「不思議のメダイ」」
の記事です。
http://akitadiary.seesaa.net/article/441155095.html

それを見て、有名人はもちろんですが、私たちも自分の言動の他人に対する責任というのは大きいな、と思いました。
特に親が子供に対して、先生が生徒に対して、立場が上のものが下のものに対して、良い模範を示す責任があるのではないでしょうか。
主任司祭が信徒に対しても、もちろんですね。
良い主任司祭に恵まれている信徒たちは、本当に幸いです。その反対は本当に不幸なことです。


人々に示す模範について、以前、こんな逸話を聞いたことがあります。

。。。。。。。


中世ヨーロッパ、ブルターニュのドミニコ会士アラヌス・デ・ルーペが、現在の形に「ロザリオの祈り」をまとめ普及させた頃のこと。

ある国の王様が、この聖母への信心のことを聞き、自分も唱えようと、献上された非常に美しいロザリオを腰の帯に下げていた。
でも、この王様はとても飽きっぽい性格で、なかなかロザリオが唱えられなかった。時々、腰の帯から下がっているロザリオを触りながら、「唱えなくちゃなぁ」と、思うばかりだったとか。

でも、美しいロザリオを帯から下げ、しばしばそれに触れる王様の様子を見ていた家臣や人民は、「王様はロザリオの信心に熱心な方だ」と思い込み、「王様に見習わねば」と熱心にロザリオを唱え、この国では、ロザリオの普及が非常に速やかに進んだそうな。

王様が亡くなって神様の御前に立った裁きの時、王様の一生には、神様がいろいろ顔をしかめるようなこともあったし、過ちも多いし、公式の勤め以外は信心や祈りもほとんど無く、難しい状況ではあった。
が、家臣や人民が非常に多くのロザリオを唱え聖母を賛美したので、その功績のために王様の天国行きが確定したという。

上に立つ者の意向、態度は大事というお話でした。

。。。。。。

王様はロザリオを帯から下げていただけで天国行きになったワケですが、権威ある者として、人々に見える形でロザリオの普及を推進したことは、とても大きい事ですよね。


善業は隠すことが良いとされていますが、信仰を表明することは大事ですね。


大事な信仰表明をしているミサ曲、音符も出ているので練習用にもいいかもしれません。
クレド(信仰宣言)





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2017年11月03日

トリエント・ミサの定番ミサ曲のご紹介


トリエント・ミサに初めていらっしゃる方は、少々、戸惑うことがあるかもしれません。

最初は、あまり根を詰めて、全部フォローしようとしなくてもいいんです。
なんとなく雰囲気を感じていただければ、それで良いと思います。

メインのミサ曲、
キリエ(あわれみの賛歌)、グロリア(栄光の賛歌)、
クレド(信仰宣言)、サンクトゥス(感謝の賛歌)、
パーテル・ノステル(主の祈り)、アニュスデイ(平和の賛歌)
などの聖歌を知っていれば、だいたいどこを祈っているのかわかり、入りやすいと思いますので、「天使ミサ」の聖歌を、いくつかご紹介します。


世界中の全てのカトリック教会で、トリエント・ミサが捧げられていた頃(1969年くらいまで)、歌ミサといえば、日本では「天使ミサ」のことでした。
たぶん、ほとんどどこの小教区でも、このミサ曲ばかりだったのではないか、と思います。
動画にあるように、カトリック聖歌週にも載っていました。


天使ミサ キリエ グロリア サンクトゥス アニュスデイ




とても美しく、親しみやすいメロディーだと思います。
毎週日曜日、あるいは隔週でも、このミサ曲を聞いていたら、一年も経たずに覚えてしまいます。キリエやサンクトゥスなどは、暗譜で歌えるようになります。

本当は、典礼暦の季節ごとに違うミサ曲もあるのですが、けっこう聖歌隊が充実していないと、なかなかこなせないのです。一家族丸ごと聖歌隊で、毎日お家で練習しているとか、修道会系の教会で、ブラザーが聖歌隊員とかですね。

それで、天使ミサ(Missa De Angelis)は、ある意味オールマイティーに使われています。プラパー(答唱)なども、簡易式のメロディーで歌っているところがほとんどだったと思います。

各教会や各修道会の聖歌隊によって、息の合わせ方、というか、速さや語尾の長さに少し違いがありますが、このミサ曲は世界共通、どこでも同じものです。

現在の新ミサ(ノブスオルドミサ)でも、まだ歌われているところも多いです。
下の動画は、フランシスコ教皇様司式の叙階式ミサのグロリアです。
教皇様の先唱が美しいのに、お顔が写ってなくてすごく残念ですが。


バチカン叙階式ミサ グロリア(栄光の賛歌)






司祭のソロ以外の会衆が歌う部分は、席の左右のグループや聖歌隊と全会衆など、2つのグループに分けて、1〜2節づつテレコ(交互)に歌うものなのですが、人数が少ないところでは、全員揃って、ベタで全部歌います。

実際のミサに与られた時には、最初は、気楽に歌えるところだけ歌えばオーケーです。発音とかカタカナ読みそのままで、あまり気になさらなくても大丈夫です。

上の動画を見ながら、一緒に歌って、練習してみてくださいね。


次回は、主の祈り、クレドも探してみようと思います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


【参考】

1。一番上の動画に譜面の出てくる「カトリック聖歌集」は、昭和41年に初版が発行されたもの。
この前のものは、昭和23年に初版が発行された「公教聖歌集」で、内容はやや異なり、天使ミサは583番(294ページ)からになっている。いずれも光明社発行。

2。別の動画

キリエ グロリア サンクトス アニュスデイ
https://www.youtube.com/watch?v=O3ETFI2U9RA

日本の結婚式の練習風景、一人でもこれだけ歌える!という感じ、ちょっと早めです。
https://www.youtube.com/watch?v=m1o_evcTu8g




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2017年09月25日

幼きイエズスの聖テレジアへのノベナの薦め



このノベナはとても簡単です。

聖女の24年の生涯を讃美して、二十四回の栄唱を唱え、
最後に「幼きイエズスの聖テレジア、我らのために祈り給え」と、唱えます。

1日に一回、九日間唱えてノベナとします。
今日から始めると、聖テレジアの祝日(10月3日/旧典礼暦)にちょうど終わりますから、始めてみてはいかがでしょうか。


実は、これがすごく強力なんです。

うちの次男が大学卒業して、こちらの就職氷河期でなかなか就職できませんでした。
色々な聖人にもお祈りしたり、いろんなノベナをしたり。。。
それで最後に聖テレジア様へのこのノベナを始めた時、失礼ながら「いろいろ試してダメだったから、またダメかも」なんて頭のスミでは思っていましたが、心の中には「今度はお願いを聞いていただけます」という囁きのようなものがありました。
ノベナが終わる前に、正規の雇用が決まりました。そしてその後6ヶ月くらいでヘッドハントされ、さらに良い会社に移りました。

テレジア様、すごい!と思い、長男のこともお願いしました。

健康に悪いくらい体重が増えてしまっていたのですが、
「痩せさせてください」なんてお祈りするのは悪いような気がしていたのです。
でも、「ハゲを治してください」と祈ったという、癌治療でハゲになった司祭の話を思い出し、テレジア様にお祈りしました。
程なく痩せ始めました。6ヶ月くらい経った今、25kgも体重が減りました。


感謝のために、チャプレットを作ってみました。
7+7+7+3=24 のビーズを繋いで、一番先に、聖テレジアのメダイをつけました。

photo-2.JPG


ノベナを祈っていた時、二十四回の栄唱は、ちょっと単調な感じがしたのですが、
ある日、手近にあった御悲しみのロザリオで分けて祈ったら、とてもよく黙想できたことから、このように分けて祈るようになりました。シェアします。


最初の7回の栄唱で、7歳までの幼児期を想います。
乳母と実母と姉と、短い間に3人の母親を失い、その苦しみを家族にも理解されなかったテレジアは、精神的に壊れてしまいます。叫んだり、怯えたり、家族の顔も分からない程の重症になります。でも聖母マリアの微笑みで一瞬で癒されます。


次の7回の詠唱で、8歳から14歳までの少女の頃を想います。
学校に行き始めますが、なかなか打ち解けられず、理解されず、いじめられたりもします。感受性が強くメソメソすることを止められませんでしたが、あるクリスマスに、一瞬で治ります。しばらくの間、普通の楽しい生活をし、ヨーロッパ巡礼旅行では、パパ様に14歳でカルメル会に入れるよう直訴したりします。


次の7回の栄唱で、カルメル入会後のことを想います。
15歳で入会した、若いカルメル会修道女の生活は、よく知られている通りです。


最後の3回の栄唱で、結核に感染してから死ぬまでの、最も苦しい期間を想います。テレジアは愛と苦しみに、捧げ尽くされていきます。


7つの詠唱の間にも、「幼きイエズスの聖テレジア我らのために祈り給え」と祈ると良いと思います。



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posted by テレジア at 01:58| Comment(6) | 祈り、信心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

シスター笹川への祈りの啓示


ファチマの聖母.jpg


 ファチマで三人の牧童に、聖母マリアが「ロザリオの各連の祈りの後に唱えるように」と、教えられた祈りと全く同じ祈りを、シスター笹川も守護の天使から教えられていました。

 せっかく天使様から「日本語で」教えていただいたので、訳文ものも良いのですが、この美しい文語のものも、お薦めいたします。

「ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より守り給え。
また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を、天国に導き給え。アーメン。」


 この祈りの啓示の詳細を、シスター笹川の日記と後日の補足からまとめたものを「聖母マリア像の涙」より引用します。
 一人称は、シスター笹川です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

(引用ココから)

。。。。私が妙高教会でカテキスタをしていたとき、風邪の高熱で倒れ、意識不明となって妙高病院に入院したことがありました。 
 四日間というもの意識はもどらず、外部の世界から完全に遮断されたかたちだったそうです。
 体温計いっぱいの高熱がつづき、二日目の夜とかに病油の秘跡が授けられたとき、ふしぎなことに、何も意識しないような私が感謝の祈りとして主祷文、天使祝詞、栄誦、使徒信経までを、はっきりとラテン語でとなえたそうです。

 後日、その時の神父様から、ラテン語をいつ覚えたのか、と問われ、私は答えに困りました。ラテン語を自分で唱えられるほど勉強したこともないし今でも唱えられないのですから。これは、居合わせた人々の証言がなければ自分でも信じられないようなことです。

 付添いの母の言では、私はどこからか光に照らされているような顔で、胸に手を組んだまま、たえず何か祈っていたそうです。
 
 私自身の記憶では、きれいな野原のような所で美しい人に手招きされているのに、ガイコツのようにやせこけた人々にすがりつかれて、そちらへ行けないでいたり、清水を求めて争い、人をおしのけて濁った河に落ちる哀れな人々の姿に胸をいためたりして、そんな人のためにも祈ったりしていました。とくにロザリオの祈りを唱えつづけていました。

 ところが、そのうち、ふいに、ひとりの見知らぬうるわしい女の方がベッドの右側に現れてきて、一緒にロザリオの祈りを唱えて下さったのです。そして一連の終わりに、わたしの知らない祈りを加えられるので、おどろいてあとをついて唱えました。すると、“ロザリオの各連のあとにこの祈りをつけ加えなさい”と教えられました。それはこうです。

 “ああ、イエズスよ、われらの罪を許し給え。われらを地獄の火より守り給え。またすべての霊魂、ことに主のおん憐れみをもっとも必要とする霊魂を、天国に導き給え。アーメン”

 あとから聞くと、このときKさんという友人が見舞いに来ていて、母が「もう遅くなるから」と帰宅をすすめたところ「今きれいなお祈りが始まったから、いっしょに祈りたい」といって、そのまま、母とふたり、わたしのロザリオに声を合わせ、この聞き馴れぬ祈りに耳を傾けたのだそうです。

 私としては、この時おぼえたこの句は、意識が回復したのちも心に深く刻みつけられていて、以後ロザリオの祈りには欠かさず加えるようになりました。

 また、しばらく後のことですが、たまたまそれを唱えていた時、サレジオ会の亀沢神父様のお耳にとまり、その美しい祈りを教えてほしい、どこで覚えたのか、とたずねられて、お教えしたことがありました。
 しばらくたってお手紙があり“あの祈りはファチマで聖母が三人の牧童に教えられたもので、まだ日本語に訳されていないが、訳せばこの通りになるそうです”と教えて下さいました。それではじめて私も貴い由来を知ったわけでした。

「聖母マリア像の涙」安田貞治箸 35〜37ページより引用


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2017年08月26日

アヴェマリア讃歌 三部作


 安田神父様は、ルルドの聖母出現は「喜びの玄義」を、ファチマは「栄えの玄義」を、そして秋田は「苦しみの玄義」を、表象していると、おっしゃっていました。

 ところで 最近気がついたのですが、いろいろある美しいアヴェマリアの聖歌の中で、ルルドのアヴェマリア、ファチマのアヴェマリア、そして秋田のアヴェマリアは、まるで三部作のように、4/3拍子で、全く同じ構成で、8小節のメロディーと8小節のサビ(アヴェマリアの部分)からなっているのです。

 本当に御摂理のようですね。

 そして、どの曲も、互いに引けをとらず、とても美しいだけでなく、同じ構成なのに、それぞれに独特の趣があるのが不思議な感じがします。

 聴き比べてみてくださいね。

。。。。。。。。。。

アヴェマリア讃歌三部作


あめのきさき(ルルドのアヴェマリア)





ああうるわし(ファチマのアヴェマリア)ポルトガル語





百一度の涙(秋田のアヴェマリア)



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2017年04月04日

4月4日は福者フランシスコの命日



福者フランシスコ.jpg


4月4日は、ファチマの牧童、福者フランシスコの命日です。

普通は、福者や聖人の命日が、新しい命の始まった日として記念日になることが多いのですが、フランシスコの記念日は、妹ヤシンタの命日2月20日に一緒に祝われます。


ファチマでのフランシスコの役割は何だったのでしょうか?

3人の幻視者の中では、最も目立たない存在です。
聖母を見ただけで、お声も聞こえませんでした。

天国へ行けますか、との問いに、ヤシンタについては、聖母は「いけます」と言われましたが、フランシスコは、「彼も天国へ行くでしょう。しかし、彼はロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。」と、条件を出されています。

もしかしたら、男の子ですから、おとなしく座ってお祈りをする、といったことが苦手だったのかもしれません。日常のいろいろなことも雑で、女の子たちのようにキチンとしていなかったのかもしれません。

でも、フランシスコが、聖母出現での役割に関して、二人の少女と自分を比較して羨んだり、妬んだりしなかったことは、本当に素晴らしいと思います。

世間でも、よくありがちなことですが、何かで2番や3番の人が、1番の人を妬む、というのは多いのです。自分が素晴らしいタレントをいただいていて感謝すれば良いのに、より多く受けた人を妬むとは、残念なことです。

いろいろな聖母出現でも、自分の修道会に大きな恵みを受けたことを喜び感謝すれば良いのに、リパのように、恵みを伝える役割を担った人を妬む、ということがあるのは、大変残念なことです。
「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受ける」(マテオ10・41)とは慰めに満ちた聖句だと思います。それぞれ自分の「分」を果たすことが善なのです。


フランシスコは、聖母を幻視するという、素晴らしいお恵みをいただき、謙遜に受け入れ感謝したことによって、短期間に素晴らしく霊的に成長したのではないでしょうか。

フランシスコの謙遜と隠れた善行、改心と償いの努力に学びたいと思います。

3人の幻視者たちは、もうすぐ列聖もされるようですね。
http://ja.radiovaticana.va/news/2017/03/23/ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ、近く聖人に/1300782

お取り次ぎを願いましょう。聖母の近くにいる子供たちは、聖母マリアから多くの恵みを受け取ってくださるでしょう。



ファチマの真実(2)から、小さな福者フランシスコの紹介を引用します。

。。。。。。

(引用ココから)。。。


フランシスコ・マルト(1917年10月−1919年4月4日)

フランシスコは瞑想的で優しい心の持ち主でした。彼は御出現を受けて聖母と神御自身が無限に悲しそうであると感じ、この御二人を慰めたいといつも考えていました。

エフェソの信徒への手紙の中で聖パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません」(4,30)と言っているように、神は私たちの罪のために悲しまれるのです。

イエズスはゲッセマネで祈られたときに「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ、14,34)と言われました。

イエズスの御受難を預言していると言われる詩編69ではこう言われています。「わたしが受けている嘲りを、恥を、屈辱をあなたはよくご存じです。わたしを苦しめる者は、すべて御前にいます。嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見だせません。人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(20-22)。

イエズスはパレ・ル・モニアルで聖マルガリタ・マリアに御出現になったとき、詩編のこの言葉と同じ嘆きを、棘に取り巻かれた御自分の聖心をお示しになりながら洩らされました。


フランシスコはこの神の悲しみを慰めたいと心底から思っていました。彼は妹のジャシンタといとこのルシアにかつてこう言っています。

「ぼくは神様をとても愛している。だけど罪があまりにも多いので、神様はたいへん悲しんでいらっしゃる。ぼくたちはもう二度と罪を犯してはいけないんだ。」


すでに1916年にカベソにおいて 天使が3人の子どもたちに御聖体のうちにおられるイエズスに対する侮辱の償いをし、イエズスを慰めるように招きました。

御聖体と御血を与える前に天使は彼らにこう言いました。「恩知らずの人々によって恐ろしく侮辱されたイエズス・キリストの御身体を受け、御血を飲みなさい。彼らの罪のために償いをし、あなたがたの神を慰めなさい。」


フランシスコはこの償いと慰めが祈りと犠牲によって行われることをよく理解していました。

フランシスコは一人でいることを好み、神を慰めるためによく祈りました。彼はまた食事や水を自らに制限して犠牲を捧げ、神を慰めていました。

フランシスコは神の「悲しみ」に対する感受性を持っていましたが、同時にまた病人や苦しんでいる人々に対して同情する優しい心を持っていました。彼は人から祈りを頼まれると必ず約束を守り、また彼の祈りはよく聞き入れられました。


1917年6月13日の御出現のとき、ルシアは聖母に天国に連れて行ってもらえるかどうかを訊ねていますが、聖母はそれに対して「ええ、フランシスコとジャシンタをまもなく連れて行きます」と答えておられます。このときからフランシスコとジャシンタは自分たちの生命がそれほど長くないことを知っていました。フランシスコは最後の御出現から1年半後に天国に召されるのです。

聖母から天国へ連れていってもらえるという確信と神の「悲しみ」に対する特別の感受性はフランシスコの行いをよく説明します。彼は短期間に驚くほど進歩しました。彼はある婦人から将来何になりたいか、いろいろの職業を挙げて質問されますが、そのどれをも否定してこう言っています。「そのどれにもなりたくありません。ぼくは死んで天国に行きたいのです」と。彼は「隠れたイエズス」すなわち、御聖体をしばしば訪問します。


最後の御出現からわずか1年後の1918年10月終わりにスペインに端を発したインフルエンザがヨーロッパに猛威を振るい、ポルトガルにも大流行します。8歳だったジャシンタと10歳だったフランシスコもこのインフルエンザにかかります。

フランシスコもジャシンタもいったんはよくなるのですが、12月23日に再び悪化します。このとき特にフランシスコは半月も高熱が続き、動くこともできないほどになりました。

そのような病状にもかかわらず、フランシスコはいつも明るく振る舞い、主イエズスを慰めるために自分の苦しみを捧げていました。


ジャシンタがルシアに語ったところによると、聖母がフランシスコとジャシンタに再び御出現になり、フランシスコをまもなく天国に連れて行くと言われたそうです。おそらく1918年のクリスマスの頃だったようです。

翌1919年1月の半ば頃には2度目の回復の兆しがあり、起きあがれるほどでした。家族は喜んだのですが、フランシスコは自分の運命をすでに知っていて、「聖母がまもなく迎えにこられます」と繰り返していました。

1月の終わりか2月の初めにフランシスコは懐かしいコヴァ・ダ・イリアへ行くことができました。彼はそれがこの祝福された土地への最後の訪問であることを知っていました。


フランシスコは自分の役割がイエズスの聖心と聖母マリアの汚れなき御心を慰めることであるということをよく知っていました。彼が病床に臥していちばん残念だったことは、教会に行って御聖体の前で長い時間を過ごすことができなくなったことでした。


4月2日水曜日、フランシスコは御聖体をうけるために告解をしたいと望み、父のティ・マルトは教区司祭フェレイラ師に家に来てくれるように司祭館まで頼みに行きます。フランシスコは告解のための入念な準備をします。告解の後、遂に念願の聖体拝領をします。



1919年4月4日金曜日フランシスコは最後の日を迎えます。彼は母親を側に呼び、こう言います。「お母さん、ドアの側にあの美しい光を見てよ!」しばらくして、「もう見えないよ」。夜10時頃、彼の顔は天使のほほえみで輝き、苦しむことなく静かに息を引き取ります。



4月5日土曜日小さな葬列がフランシスコの遺体をファチマの墓地へ運びました。ルシアは涙ながらに葬列に加わりましたが、ジャシンタは病床にとどまらなければなりませんでした。このようにして、聖母の預言は成就し、ファチマの幻視者の一人が天国へ旅立ちました。



フレール・ミッシェルは聖ルイ・ド・モンフォールの次の言葉がフランシスコに適用できると言っています。「人は自分自身の意志に長年従い、自分自身に頼ることによってよりも、短い時間にマリアに従い、より頼むことによってより多く進歩する」。



引用元はコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima2.htm

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