2017年09月25日

幼きイエズスの聖テレジアへのノベナの薦め



このノベナはとても簡単です。

聖女の24年の生涯を讃美して、二十四回の栄唱を唱え、
最後に「幼きイエズスの聖テレジア、我らのために祈り給え」と、唱えます。

1日に一回、九日間唱えてノベナとします。
今日から始めると、聖テレジアの祝日(10月3日/旧典礼暦)にちょうど終わりますから、始めてみてはいかがでしょうか。


実は、これがすごく強力なんです。

うちの次男が大学卒業して、こちらの就職氷河期でなかなか就職できませんでした。
色々な聖人にもお祈りしたり、いろんなノベナをしたり。。。
それで最後に聖テレジア様へのこのノベナを始めた時、失礼ながら「いろいろ試してダメだったから、またダメかも」なんて頭のスミでは思っていましたが、心の中には「今度はお願いを聞いていただけます」という囁きのようなものがありました。
ノベナが終わる前に、正規の雇用が決まりました。そしてその後6ヶ月くらいでヘッドハントされ、さらに良い会社に移りました。

テレジア様、すごい!と思い、長男のこともお願いしました。

健康に悪いくらい体重が増えてしまっていたのですが、
「痩せさせてください」なんてお祈りするのは悪いような気がしていたのです。
でも、「ハゲを治してください」と祈ったという、癌治療でハゲになった司祭の話を思い出し、テレジア様にお祈りしました。
程なく痩せ始めました。6ヶ月くらい経った今、25kgも体重が減りました。


感謝のために、チャプレットを作ってみました。
7+7+7+3=24 のビーズを繋いで、一番先に、聖テレジアのメダイをつけました。

photo-2.JPG


ノベナを祈っていた時、二十四回の栄唱は、ちょっと単調な感じがしたのですが、
ある日、手近にあった御悲しみのロザリオで分けて祈ったら、とてもよく黙想できたことから、このように分けて祈るようになりました。シェアします。


最初の7回の栄唱で、7歳までの幼児期を想います。
乳母と実母と姉と、短い間に3人の母親を失い、その苦しみを家族にも理解されなかったテレジアは、精神的に壊れてしまいます。叫んだり、怯えたり、家族の顔も分からない程の重症になります。でも聖母マリアの微笑みで一瞬で癒されます。


次の7回の詠唱で、8歳から14歳までの少女の頃を想います。
学校に行き始めますが、なかなか打ち解けられず、理解されず、いじめられたりもします。感受性が強くメソメソすることを止められませんでしたが、あるクリスマスに、一瞬で治ります。しばらくの間、普通の楽しい生活をし、ヨーロッパ巡礼旅行では、パパ様に14歳でカルメル会に入れるよう直訴したりします。


次の7回の栄唱で、カルメル入会後のことを想います。
15歳で入会した、若いカルメル会修道女の生活は、よく知られている通りです。


最後の3回の栄唱で、結核に感染してから死ぬまでの、最も苦しい期間を想います。テレジアは愛と苦しみに、捧げ尽くされていきます。


7つの詠唱の間にも、「幼きイエズスの聖テレジア我らのために祈り給え」と祈ると良いと思います。



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posted by テレジア at 01:58| Comment(6) | 祈り、信心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

シスター笹川への祈りの啓示


ファチマの聖母.jpg


 ファチマで三人の牧童に、聖母マリアが「ロザリオの各連の祈りの後に唱えるように」と、教えられた祈りと全く同じ祈りを、シスター笹川も守護の天使から教えられていました。

 せっかく天使様から「日本語で」教えていただいたので、訳文ものも良いのですが、この美しい文語のものも、お薦めいたします。

「ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より守り給え。
また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を、天国に導き給え。アーメン。」


 この祈りの啓示の詳細を、シスター笹川の日記と後日の補足からまとめたものを「聖母マリア像の涙」より引用します。
 一人称は、シスター笹川です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

(引用ココから)

。。。。私が妙高教会でカテキスタをしていたとき、風邪の高熱で倒れ、意識不明となって妙高病院に入院したことがありました。 
 四日間というもの意識はもどらず、外部の世界から完全に遮断されたかたちだったそうです。
 体温計いっぱいの高熱がつづき、二日目の夜とかに病油の秘跡が授けられたとき、ふしぎなことに、何も意識しないような私が感謝の祈りとして主祷文、天使祝詞、栄誦、使徒信経までを、はっきりとラテン語でとなえたそうです。

 後日、その時の神父様から、ラテン語をいつ覚えたのか、と問われ、私は答えに困りました。ラテン語を自分で唱えられるほど勉強したこともないし今でも唱えられないのですから。これは、居合わせた人々の証言がなければ自分でも信じられないようなことです。

 付添いの母の言では、私はどこからか光に照らされているような顔で、胸に手を組んだまま、たえず何か祈っていたそうです。
 
 私自身の記憶では、きれいな野原のような所で美しい人に手招きされているのに、ガイコツのようにやせこけた人々にすがりつかれて、そちらへ行けないでいたり、清水を求めて争い、人をおしのけて濁った河に落ちる哀れな人々の姿に胸をいためたりして、そんな人のためにも祈ったりしていました。とくにロザリオの祈りを唱えつづけていました。

 ところが、そのうち、ふいに、ひとりの見知らぬうるわしい女の方がベッドの右側に現れてきて、一緒にロザリオの祈りを唱えて下さったのです。そして一連の終わりに、わたしの知らない祈りを加えられるので、おどろいてあとをついて唱えました。すると、“ロザリオの各連のあとにこの祈りをつけ加えなさい”と教えられました。それはこうです。

 “ああ、イエズスよ、われらの罪を許し給え。われらを地獄の火より守り給え。またすべての霊魂、ことに主のおん憐れみをもっとも必要とする霊魂を、天国に導き給え。アーメン”

 あとから聞くと、このときKさんという友人が見舞いに来ていて、母が「もう遅くなるから」と帰宅をすすめたところ「今きれいなお祈りが始まったから、いっしょに祈りたい」といって、そのまま、母とふたり、わたしのロザリオに声を合わせ、この聞き馴れぬ祈りに耳を傾けたのだそうです。

 私としては、この時おぼえたこの句は、意識が回復したのちも心に深く刻みつけられていて、以後ロザリオの祈りには欠かさず加えるようになりました。

 また、しばらく後のことですが、たまたまそれを唱えていた時、サレジオ会の亀沢神父様のお耳にとまり、その美しい祈りを教えてほしい、どこで覚えたのか、とたずねられて、お教えしたことがありました。
 しばらくたってお手紙があり“あの祈りはファチマで聖母が三人の牧童に教えられたもので、まだ日本語に訳されていないが、訳せばこの通りになるそうです”と教えて下さいました。それではじめて私も貴い由来を知ったわけでした。

「聖母マリア像の涙」安田貞治箸 35〜37ページより引用


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2017年08月26日

アヴェマリア讃歌 三部作


 安田神父様は、ルルドの聖母出現は「喜びの玄義」を、ファチマは「栄えの玄義」を、そして秋田は「苦しみの玄義」を、表象していると、おっしゃっていました。

 ところで 最近気がついたのですが、いろいろある美しいアヴェマリアの聖歌の中で、ルルドのアヴェマリア、ファチマのアヴェマリア、そして秋田のアヴェマリアは、まるで三部作のように、4/3拍子で、全く同じ構成で、8小節のメロディーと8小節のサビ(アヴェマリアの部分)からなっているのです。

 本当に御摂理のようですね。

 そして、どの曲も、互いに引けをとらず、とても美しいだけでなく、同じ構成なのに、それぞれに独特の趣があるのが不思議な感じがします。

 聴き比べてみてくださいね。

。。。。。。。。。。

アヴェマリア讃歌三部作


あめのきさき(ルルドのアヴェマリア)





ああうるわし(ファチマのアヴェマリア)ポルトガル語





百一度の涙(秋田のアヴェマリア)



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2017年04月04日

4月4日は福者フランシスコの命日



福者フランシスコ.jpg


4月4日は、ファチマの牧童、福者フランシスコの命日です。

普通は、福者や聖人の命日が、新しい命の始まった日として記念日になることが多いのですが、フランシスコの記念日は、妹ヤシンタの命日2月20日に一緒に祝われます。


ファチマでのフランシスコの役割は何だったのでしょうか?

3人の幻視者の中では、最も目立たない存在です。
聖母を見ただけで、お声も聞こえませんでした。

天国へ行けますか、との問いに、ヤシンタについては、聖母は「いけます」と言われましたが、フランシスコは、「彼も天国へ行くでしょう。しかし、彼はロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。」と、条件を出されています。

もしかしたら、男の子ですから、おとなしく座ってお祈りをする、といったことが苦手だったのかもしれません。日常のいろいろなことも雑で、女の子たちのようにキチンとしていなかったのかもしれません。

でも、フランシスコが、聖母出現での役割に関して、二人の少女と自分を比較して羨んだり、妬んだりしなかったことは、本当に素晴らしいと思います。

世間でも、よくありがちなことですが、何かで2番や3番の人が、1番の人を妬む、というのは多いのです。自分が素晴らしいタレントをいただいていて感謝すれば良いのに、より多く受けた人を妬むとは、残念なことです。

いろいろな聖母出現でも、自分の修道会に大きな恵みを受けたことを喜び感謝すれば良いのに、リパのように、恵みを伝える役割を担った人を妬む、ということがあるのは、大変残念なことです。
「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受ける」(マテオ10・41)とは慰めに満ちた聖句だと思います。それぞれ自分の「分」を果たすことが善なのです。


フランシスコは、聖母を幻視するという、素晴らしいお恵みをいただき、謙遜に受け入れ感謝したことによって、短期間に素晴らしく霊的に成長したのではないでしょうか。

フランシスコの謙遜と隠れた善行、改心と償いの努力に学びたいと思います。

3人の幻視者たちは、もうすぐ列聖もされるようですね。
http://ja.radiovaticana.va/news/2017/03/23/ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ、近く聖人に/1300782

お取り次ぎを願いましょう。聖母の近くにいる子供たちは、聖母マリアから多くの恵みを受け取ってくださるでしょう。



ファチマの真実(2)から、小さな福者フランシスコの紹介を引用します。

。。。。。。

(引用ココから)。。。


フランシスコ・マルト(1917年10月−1919年4月4日)

フランシスコは瞑想的で優しい心の持ち主でした。彼は御出現を受けて聖母と神御自身が無限に悲しそうであると感じ、この御二人を慰めたいといつも考えていました。

エフェソの信徒への手紙の中で聖パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません」(4,30)と言っているように、神は私たちの罪のために悲しまれるのです。

イエズスはゲッセマネで祈られたときに「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ、14,34)と言われました。

イエズスの御受難を預言していると言われる詩編69ではこう言われています。「わたしが受けている嘲りを、恥を、屈辱をあなたはよくご存じです。わたしを苦しめる者は、すべて御前にいます。嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見だせません。人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(20-22)。

イエズスはパレ・ル・モニアルで聖マルガリタ・マリアに御出現になったとき、詩編のこの言葉と同じ嘆きを、棘に取り巻かれた御自分の聖心をお示しになりながら洩らされました。


フランシスコはこの神の悲しみを慰めたいと心底から思っていました。彼は妹のジャシンタといとこのルシアにかつてこう言っています。

「ぼくは神様をとても愛している。だけど罪があまりにも多いので、神様はたいへん悲しんでいらっしゃる。ぼくたちはもう二度と罪を犯してはいけないんだ。」


すでに1916年にカベソにおいて 天使が3人の子どもたちに御聖体のうちにおられるイエズスに対する侮辱の償いをし、イエズスを慰めるように招きました。

御聖体と御血を与える前に天使は彼らにこう言いました。「恩知らずの人々によって恐ろしく侮辱されたイエズス・キリストの御身体を受け、御血を飲みなさい。彼らの罪のために償いをし、あなたがたの神を慰めなさい。」


フランシスコはこの償いと慰めが祈りと犠牲によって行われることをよく理解していました。

フランシスコは一人でいることを好み、神を慰めるためによく祈りました。彼はまた食事や水を自らに制限して犠牲を捧げ、神を慰めていました。

フランシスコは神の「悲しみ」に対する感受性を持っていましたが、同時にまた病人や苦しんでいる人々に対して同情する優しい心を持っていました。彼は人から祈りを頼まれると必ず約束を守り、また彼の祈りはよく聞き入れられました。


1917年6月13日の御出現のとき、ルシアは聖母に天国に連れて行ってもらえるかどうかを訊ねていますが、聖母はそれに対して「ええ、フランシスコとジャシンタをまもなく連れて行きます」と答えておられます。このときからフランシスコとジャシンタは自分たちの生命がそれほど長くないことを知っていました。フランシスコは最後の御出現から1年半後に天国に召されるのです。

聖母から天国へ連れていってもらえるという確信と神の「悲しみ」に対する特別の感受性はフランシスコの行いをよく説明します。彼は短期間に驚くほど進歩しました。彼はある婦人から将来何になりたいか、いろいろの職業を挙げて質問されますが、そのどれをも否定してこう言っています。「そのどれにもなりたくありません。ぼくは死んで天国に行きたいのです」と。彼は「隠れたイエズス」すなわち、御聖体をしばしば訪問します。


最後の御出現からわずか1年後の1918年10月終わりにスペインに端を発したインフルエンザがヨーロッパに猛威を振るい、ポルトガルにも大流行します。8歳だったジャシンタと10歳だったフランシスコもこのインフルエンザにかかります。

フランシスコもジャシンタもいったんはよくなるのですが、12月23日に再び悪化します。このとき特にフランシスコは半月も高熱が続き、動くこともできないほどになりました。

そのような病状にもかかわらず、フランシスコはいつも明るく振る舞い、主イエズスを慰めるために自分の苦しみを捧げていました。


ジャシンタがルシアに語ったところによると、聖母がフランシスコとジャシンタに再び御出現になり、フランシスコをまもなく天国に連れて行くと言われたそうです。おそらく1918年のクリスマスの頃だったようです。

翌1919年1月の半ば頃には2度目の回復の兆しがあり、起きあがれるほどでした。家族は喜んだのですが、フランシスコは自分の運命をすでに知っていて、「聖母がまもなく迎えにこられます」と繰り返していました。

1月の終わりか2月の初めにフランシスコは懐かしいコヴァ・ダ・イリアへ行くことができました。彼はそれがこの祝福された土地への最後の訪問であることを知っていました。


フランシスコは自分の役割がイエズスの聖心と聖母マリアの汚れなき御心を慰めることであるということをよく知っていました。彼が病床に臥していちばん残念だったことは、教会に行って御聖体の前で長い時間を過ごすことができなくなったことでした。


4月2日水曜日、フランシスコは御聖体をうけるために告解をしたいと望み、父のティ・マルトは教区司祭フェレイラ師に家に来てくれるように司祭館まで頼みに行きます。フランシスコは告解のための入念な準備をします。告解の後、遂に念願の聖体拝領をします。



1919年4月4日金曜日フランシスコは最後の日を迎えます。彼は母親を側に呼び、こう言います。「お母さん、ドアの側にあの美しい光を見てよ!」しばらくして、「もう見えないよ」。夜10時頃、彼の顔は天使のほほえみで輝き、苦しむことなく静かに息を引き取ります。



4月5日土曜日小さな葬列がフランシスコの遺体をファチマの墓地へ運びました。ルシアは涙ながらに葬列に加わりましたが、ジャシンタは病床にとどまらなければなりませんでした。このようにして、聖母の預言は成就し、ファチマの幻視者の一人が天国へ旅立ちました。



フレール・ミッシェルは聖ルイ・ド・モンフォールの次の言葉がフランシスコに適用できると言っています。「人は自分自身の意志に長年従い、自分自身に頼ることによってよりも、短い時間にマリアに従い、より頼むことによってより多く進歩する」。



引用元はコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima2.htm

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2017年04月02日

今年はファチマ聖母出現の100周年


ファチマの聖母マリア.jpg


昨日、4月1日は初土曜日でした。

ファチマの出来事について、もう一度思い出してみたいと思います。


ウィキの記事から引用します。よくまとまっています。

。。。。。。。。。。。。。。。

(引用ココから)。。。


【概要】

1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に 平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。

1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された。


聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。

死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。
具体的に、聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した。地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、入ったが最後、二度と出ることはできない。


大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。その前兆として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう、ということ。


秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。
教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。ヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述した理由から疑問視する意見もある。


聖母から教皇への要望は以下であった。

ロシアの奉献:ロシアを聖母に奉献し、ロシアが引き起こしかねない災厄と誤謬から世界を救うこと。
また、祈り、カトリック信者はロシアの回心と世界の平和の為にロザリオを唱えること、
5ヶ月連続で初土曜日に償いの聖体拝領をすること。
人々の回心:カトリック信者は毎週主日に聖体拝領するように。そして、よく告解し、罪を避け、敬虔な生活を送るように。


聖母からの大きな奇跡があった。

1917年10月13日、集まった約七万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。
多くの人々はこの奇跡は世の終わりのことを指していると考えて恐怖を感じた。


後年にカトリック教会・ローマ教皇庁はこの一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされた。

出現を受けた3人のうちフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹は聖母の預言どおりにまもなく病死して2000年にヨハネ・パウロ2世により列福されている。
残る一人のルシア・ドス・サントスは修道女になり「予言」の内容を教皇庁に伝え、2005年2月13日に97歳で死去している。
一連の奇跡や教皇庁の認可、啓示などからファティマは有名になり、カトリック信者の大規模な巡礼地である。

ジャシンタ・マルトの遺体は1935年と1951年に墓地から掘り返されたが顔の箇所は全く腐敗しておらずに奇跡とされ、現在はファティマ大聖堂の中に安置されている。

2017年3月23日、ローマ教皇庁はフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの取り次ぎによる奇跡を認定する教令に教皇フランシスコが署名した、と発表した。福者の2人は列聖されることとなる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファティマの聖母 より引用)
 

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メッセージなど、さらに詳しくはコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima1.htm

聖母マリアの汚れなき御心よ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。アーメン。



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2016年10月01日

尾去沢鉱山跡ミニ巡礼


話は前後しますが、「秋田の聖母の日」の祈りの集いに行く途中で、9月13日に尾去沢鉱山跡に行ってきました。

江戸時代、鉱山は一種の治外法権地域だったので、多くのキリシタンが隠れ住んだと言われています。秋田や岩手など、東北地方にも金山や銅山がいくつも有り、尾去沢鉱山は、その中でも大きなものです。

キリシタンが隠れ住んだ歴史を知ってから、ぜひ一度訪れてみたいと思っていました。



9月13日、小雨模様の中、盛岡からOさんの運転で、Oさんご家族と一緒に車で出発しました。

一時間ちょっとで、ほとんど迷うことなく鉱山跡に到着しました。

非常に大きく、周り一帯には多くの廃屋があり、往年は鉱山の街として賑わっていたのだろうと思われました。


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入り口前の注意書きによると、坑内は常時10〜12℃前後、とのことでしたが、もっと寒く感じました。

いよいよ中へ入りましたが、日本のカタコンブというか、なんとも不思議な空間でした。
約一時間、湿った坑道を歩きました。


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行く前は、実は内心少し心配していました。
坑内で怖くなって泣き出してしまった子供の写真などUPしている人もいましたし、私も閉所恐怖症ではないですが、足がすくんで坑内に降りていけないのではないか、と思ったのです。


でも大丈夫でした。
むしろ、暗く冷たく濡れたような坑内とは裏腹に、心も軽く不思議なほど明るい気持ちでトコトコと歩きました。
きっと、ここで働いて命をつないだキリシタンたちは、辛い重労働でも心は明るかったのではないでしょうか。

以前、ヨーロッパの古城を訪れたときは逆でした。「ロマンチックな古城巡り」などという謳い文句とは裏腹に、心には何かゾッとするようなうすら寒さを感じたのです。肖像画がたくさん掛かっている部屋は特に怖かったのでした。


坑道の最後の方にありました、キリシタンの像が。


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夫婦が組になって働いていたようで、夫が掘り手で、妻は照らしたり集めたりしたようです。腰に巻いているものは、座布団代わりにも、掘った鉱石を入れる袋代わりにもしたそうです。


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夫婦で働く鉱山.jpg




仕事の終わりには、毎日、「お告げの祈り」を一緒に唱えたのでしょうか?
そう思ってみると、ただのマネキンでも、ミレーの名画「晩鐘」に劣らない美しさかもしれません。



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岩に掘ってあると言われる十字架は、それらしき引っ掻き傷があるようでしたが、よくわかりませんでした。
ただ、スマホの灯りで照らしていた時、一瞬、大きな十字架の形が現れたように見えた時があったので、もしかしたら、隠し絵のようになっていて、ある一点にろうそくを置くと十字の影が大きく浮き出るのかもしれないと思いました。


岩に彫られた十字架の印.jpeg



カーディガン2枚とジャケットを着ていたのですが、坑道散策の終わりの頃は、もう寒さと湿気が骨身に浸みて来るという感じになって来ました。湿気は92%くらいということで、かなり身体に悪いな、と思いました。


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昔、鉱山の働き手は30歳で長寿の祝いをした、ということが思い出され、ひどい湿気と粉塵という劣悪な環境で、毎日働いた人々が短命だったということが、身に浸みて分かるように思いました。


最後は、急な坂を登った後、長いエスカレーターで地上に出てきました。気づかないうちに、随分深く潜っていたのでした。

出口に、触るとご利益のあるという金の牛がありました、触りませんでしたが。。。
モーゼが「天主の十戒」を受けている間に、待ちきれなくなったイスラエルの民が金の子牛を作って拝んだそうですが、なぜ他の動物や鳥などでなく、金で 牛 を作るのだろうと偶然の一致を不思議に思いました。




地上に出てくると暖かく、お土産やさんで出してくれた「金粉茶」🍵を飲みながら、ほっと一息つきました。
金粉茶は、キノコ味のものはスープのよう、ゆず味のものはレモンティーのようで、とても美味しかったのでオススメです。

秋田以外の東北を散策したのは初めてだったので、帰りに寄った郷土館のようなところもお土産屋さんも楽しかったです。



行き帰りの車で、ロザリオを唱えました。信仰を共にする方々と一緒に巡礼ができて嬉しかったです。

ファイル_006.jpeg
Oさんご夫妻、ありがとうございました。



良き巡礼ができて、天主様にに感謝!
同行してくださった、Oさんご家族にも感謝!

またいつか、どこかのキリシタン所縁の地に巡礼してみたいですね。


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2016年08月25日

不思議のメダイに纏わる色々なお話


不思議のメダイにまつわるいろいろな体験談があります。
外国語では無数にありますが、日本語でも結構あります。

よく知られたものはラスティボンの回心と言われるものです。
無神論者だったラスティボンが、聖母の幻視によって改心し、その後カトリックの司祭になったという話です。


ラティスボンと聖母.jpg





日本で起こった様々なことも、身近に感じられて本当に興味ふかいです。
カトリック信者の方も、そうでない方のお話もあって、いろいろな方がそれなりに理解したり、恵みを受けたりしているように思えました。
よかったら以下のリンクからご覧くださいね。



ミクシィ「こんな奇跡が起こりました」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=859630&id=8536394


☆奇跡のメダイの不思議なお話し♪☆
http://ameblo.jp/dr-mana/entry-11125198758.html


こちらは、パリの「不思議のメダイ教会」に行かれた方の記事。教会の雰囲気が、よく伝わってきます。

奇跡のメダイユ(メダル)を求めて 奇跡(不思議)のメダイユ教会@パリhttp://blog.goo.ne.jp/jestertook/e/e252d8d4279f74d02d27d2b89026b984


いろいろと読んでいる中で、信者さんでない方のブログにこんな言葉がありました。


「原罪なくして宿り給いし聖母マリア 御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え

これを平仮名読みすると、

(げんざいなくして やどりたまいし せいまりあ おんみに よりたのみたてまつる われらのために いのり たまえ)

まるで、神道の祝詞を思わせるような美しい神言葉に、心に滞っていたネガティブな感情がすっと洗い流されていくよう。。。」

http://www.el-aura.com/まだまだ人気も効能も落ちません!「奇跡のメダ-2/


「神道の祝詞を思わせるような美しい神言葉」というのを読んで、なるほど〜と思いました。

ムリに簡略化するよりも、カトリックの祈りの原文のままの方が、日本人の感性にも、合っているのかもしれません。


多くの方が不思議のメダイを身につけて、恵みを受けられますように、やさしい母マリア様の愛に触れられますように、と願っています。

信者さんでない方が着けておられる場合、カトリックの方から見れば、その意向とか希望とかが、ちょっと的外れに思えることがあるかもしれませんが、あまり厳しくなくても良いように思います。私たちは皆完璧ではありませんし、マリア様が全てよく配慮して、私たちのよくないところは矯め直して助けてくださると思います。
アンクレットはさすがにいただけませんが。


全ての日本人の方が不思議のメダイをつけていたなら、日本は天罰も免れそうな気がします。


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