2017年04月04日

4月4日は福者フランシスコの命日



福者フランシスコ.jpg


4月4日は、ファチマの牧童、福者フランシスコの命日です。

普通は、福者や聖人の命日が、新しい命の始まった日として記念日になることが多いのですが、フランシスコの記念日は、妹ヤシンタの命日2月20日に一緒に祝われます。


ファチマでのフランシスコの役割は何だったのでしょうか?

3人の幻視者の中では、最も目立たない存在です。
聖母を見ただけで、お声も聞こえませんでした。

天国へ行けますか、との問いに、ヤシンタについては、聖母は「いけます」と言われましたが、フランシスコは、「彼も天国へ行くでしょう。しかし、彼はロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。」と、条件を出されています。

もしかしたら、男の子ですから、おとなしく座ってお祈りをする、といったことが苦手だったのかもしれません。日常のいろいろなことも雑で、女の子たちのようにキチンとしていなかったのかもしれません。

でも、フランシスコが、聖母出現での役割に関して、二人の少女と自分を比較して羨んだり、妬んだりしなかったことは、本当に素晴らしいと思います。

世間でも、よくありがちなことですが、何かで2番や3番の人が、1番の人を妬む、というのは多いのです。自分が素晴らしいタレントをいただいていて感謝すれば良いのに、より多く受けた人を妬むとは、残念なことです。

いろいろな聖母出現でも、自分の修道会に大きな恵みを受けたことを喜び感謝すれば良いのに、リパのように、恵みを伝える役割を担った人を妬む、ということがあるのは、大変残念なことです。
「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受ける」(マテオ10・41)とは慰めに満ちた聖句だと思います。それぞれ自分の「分」を果たすことが善なのです。


フランシスコは、聖母を幻視するという、素晴らしいお恵みをいただき、謙遜に受け入れ感謝したことによって、短期間に素晴らしく霊的に成長したのではないでしょうか。

フランシスコの謙遜と隠れた善行、改心と償いの努力に学びたいと思います。

3人の幻視者たちは、もうすぐ列聖もされるようですね。
http://ja.radiovaticana.va/news/2017/03/23/ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ、近く聖人に/1300782

お取り次ぎを願いましょう。聖母の近くにいる子供たちは、聖母マリアから多くの恵みを受け取ってくださるでしょう。



ファチマの真実(2)から、小さな福者フランシスコの紹介を引用します。

。。。。。。

(引用ココから)。。。


フランシスコ・マルト(1917年10月−1919年4月4日)

フランシスコは瞑想的で優しい心の持ち主でした。彼は御出現を受けて聖母と神御自身が無限に悲しそうであると感じ、この御二人を慰めたいといつも考えていました。

エフェソの信徒への手紙の中で聖パウロが「神の聖霊を悲しませてはいけません」(4,30)と言っているように、神は私たちの罪のために悲しまれるのです。

イエズスはゲッセマネで祈られたときに「わたしは死ぬばかりに悲しい」(マルコ、14,34)と言われました。

イエズスの御受難を預言していると言われる詩編69ではこう言われています。「わたしが受けている嘲りを、恥を、屈辱をあなたはよくご存じです。わたしを苦しめる者は、すべて御前にいます。嘲りに心を打ち砕かれ、わたしは無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見だせません。人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」(20-22)。

イエズスはパレ・ル・モニアルで聖マルガリタ・マリアに御出現になったとき、詩編のこの言葉と同じ嘆きを、棘に取り巻かれた御自分の聖心をお示しになりながら洩らされました。


フランシスコはこの神の悲しみを慰めたいと心底から思っていました。彼は妹のジャシンタといとこのルシアにかつてこう言っています。

「ぼくは神様をとても愛している。だけど罪があまりにも多いので、神様はたいへん悲しんでいらっしゃる。ぼくたちはもう二度と罪を犯してはいけないんだ。」


すでに1916年にカベソにおいて 天使が3人の子どもたちに御聖体のうちにおられるイエズスに対する侮辱の償いをし、イエズスを慰めるように招きました。

御聖体と御血を与える前に天使は彼らにこう言いました。「恩知らずの人々によって恐ろしく侮辱されたイエズス・キリストの御身体を受け、御血を飲みなさい。彼らの罪のために償いをし、あなたがたの神を慰めなさい。」


フランシスコはこの償いと慰めが祈りと犠牲によって行われることをよく理解していました。

フランシスコは一人でいることを好み、神を慰めるためによく祈りました。彼はまた食事や水を自らに制限して犠牲を捧げ、神を慰めていました。

フランシスコは神の「悲しみ」に対する感受性を持っていましたが、同時にまた病人や苦しんでいる人々に対して同情する優しい心を持っていました。彼は人から祈りを頼まれると必ず約束を守り、また彼の祈りはよく聞き入れられました。


1917年6月13日の御出現のとき、ルシアは聖母に天国に連れて行ってもらえるかどうかを訊ねていますが、聖母はそれに対して「ええ、フランシスコとジャシンタをまもなく連れて行きます」と答えておられます。このときからフランシスコとジャシンタは自分たちの生命がそれほど長くないことを知っていました。フランシスコは最後の御出現から1年半後に天国に召されるのです。

聖母から天国へ連れていってもらえるという確信と神の「悲しみ」に対する特別の感受性はフランシスコの行いをよく説明します。彼は短期間に驚くほど進歩しました。彼はある婦人から将来何になりたいか、いろいろの職業を挙げて質問されますが、そのどれをも否定してこう言っています。「そのどれにもなりたくありません。ぼくは死んで天国に行きたいのです」と。彼は「隠れたイエズス」すなわち、御聖体をしばしば訪問します。


最後の御出現からわずか1年後の1918年10月終わりにスペインに端を発したインフルエンザがヨーロッパに猛威を振るい、ポルトガルにも大流行します。8歳だったジャシンタと10歳だったフランシスコもこのインフルエンザにかかります。

フランシスコもジャシンタもいったんはよくなるのですが、12月23日に再び悪化します。このとき特にフランシスコは半月も高熱が続き、動くこともできないほどになりました。

そのような病状にもかかわらず、フランシスコはいつも明るく振る舞い、主イエズスを慰めるために自分の苦しみを捧げていました。


ジャシンタがルシアに語ったところによると、聖母がフランシスコとジャシンタに再び御出現になり、フランシスコをまもなく天国に連れて行くと言われたそうです。おそらく1918年のクリスマスの頃だったようです。

翌1919年1月の半ば頃には2度目の回復の兆しがあり、起きあがれるほどでした。家族は喜んだのですが、フランシスコは自分の運命をすでに知っていて、「聖母がまもなく迎えにこられます」と繰り返していました。

1月の終わりか2月の初めにフランシスコは懐かしいコヴァ・ダ・イリアへ行くことができました。彼はそれがこの祝福された土地への最後の訪問であることを知っていました。


フランシスコは自分の役割がイエズスの聖心と聖母マリアの汚れなき御心を慰めることであるということをよく知っていました。彼が病床に臥していちばん残念だったことは、教会に行って御聖体の前で長い時間を過ごすことができなくなったことでした。


4月2日水曜日、フランシスコは御聖体をうけるために告解をしたいと望み、父のティ・マルトは教区司祭フェレイラ師に家に来てくれるように司祭館まで頼みに行きます。フランシスコは告解のための入念な準備をします。告解の後、遂に念願の聖体拝領をします。



1919年4月4日金曜日フランシスコは最後の日を迎えます。彼は母親を側に呼び、こう言います。「お母さん、ドアの側にあの美しい光を見てよ!」しばらくして、「もう見えないよ」。夜10時頃、彼の顔は天使のほほえみで輝き、苦しむことなく静かに息を引き取ります。



4月5日土曜日小さな葬列がフランシスコの遺体をファチマの墓地へ運びました。ルシアは涙ながらに葬列に加わりましたが、ジャシンタは病床にとどまらなければなりませんでした。このようにして、聖母の預言は成就し、ファチマの幻視者の一人が天国へ旅立ちました。



フレール・ミッシェルは聖ルイ・ド・モンフォールの次の言葉がフランシスコに適用できると言っています。「人は自分自身の意志に長年従い、自分自身に頼ることによってよりも、短い時間にマリアに従い、より頼むことによってより多く進歩する」。



引用元はコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima2.htm

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2017年04月02日

今年はファチマ聖母出現の100周年


ファチマの聖母マリア.jpg


昨日、4月1日は初土曜日でした。

ファチマの出来事について、もう一度思い出してみたいと思います。


ウィキの記事から引用します。よくまとまっています。

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(引用ココから)。。。


【概要】

1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に 平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。

1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された。


聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。

死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。
具体的に、聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した。地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、入ったが最後、二度と出ることはできない。


大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。その前兆として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう、ということ。


秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。
教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。ヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述した理由から疑問視する意見もある。


聖母から教皇への要望は以下であった。

ロシアの奉献:ロシアを聖母に奉献し、ロシアが引き起こしかねない災厄と誤謬から世界を救うこと。
また、祈り、カトリック信者はロシアの回心と世界の平和の為にロザリオを唱えること、
5ヶ月連続で初土曜日に償いの聖体拝領をすること。
人々の回心:カトリック信者は毎週主日に聖体拝領するように。そして、よく告解し、罪を避け、敬虔な生活を送るように。


聖母からの大きな奇跡があった。

1917年10月13日、集まった約七万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。
多くの人々はこの奇跡は世の終わりのことを指していると考えて恐怖を感じた。


後年にカトリック教会・ローマ教皇庁はこの一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされた。

出現を受けた3人のうちフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹は聖母の預言どおりにまもなく病死して2000年にヨハネ・パウロ2世により列福されている。
残る一人のルシア・ドス・サントスは修道女になり「予言」の内容を教皇庁に伝え、2005年2月13日に97歳で死去している。
一連の奇跡や教皇庁の認可、啓示などからファティマは有名になり、カトリック信者の大規模な巡礼地である。

ジャシンタ・マルトの遺体は1935年と1951年に墓地から掘り返されたが顔の箇所は全く腐敗しておらずに奇跡とされ、現在はファティマ大聖堂の中に安置されている。

2017年3月23日、ローマ教皇庁はフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの取り次ぎによる奇跡を認定する教令に教皇フランシスコが署名した、と発表した。福者の2人は列聖されることとなる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファティマの聖母 より引用)
 

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メッセージなど、さらに詳しくはコチラ
http://www.d-b.ne.jp/mikami/fatima1.htm

聖母マリアの汚れなき御心よ、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え。アーメン。



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2016年10月01日

尾去沢鉱山跡ミニ巡礼


話は前後しますが、「秋田の聖母の日」の祈りの集いに行く途中で、9月13日に尾去沢鉱山跡に行ってきました。

江戸時代、鉱山は一種の治外法権地域だったので、多くのキリシタンが隠れ住んだと言われています。秋田や岩手など、東北地方にも金山や銅山がいくつも有り、尾去沢鉱山は、その中でも大きなものです。

キリシタンが隠れ住んだ歴史を知ってから、ぜひ一度訪れてみたいと思っていました。



9月13日、小雨模様の中、盛岡からOさんの運転で、Oさんご家族と一緒に車で出発しました。

一時間ちょっとで、ほとんど迷うことなく鉱山跡に到着しました。

非常に大きく、周り一帯には多くの廃屋があり、往年は鉱山の街として賑わっていたのだろうと思われました。


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入り口前の注意書きによると、坑内は常時10〜12℃前後、とのことでしたが、もっと寒く感じました。

いよいよ中へ入りましたが、日本のカタコンブというか、なんとも不思議な空間でした。
約一時間、湿った坑道を歩きました。


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行く前は、実は内心少し心配していました。
坑内で怖くなって泣き出してしまった子供の写真などUPしている人もいましたし、私も閉所恐怖症ではないですが、足がすくんで坑内に降りていけないのではないか、と思ったのです。


でも大丈夫でした。
むしろ、暗く冷たく濡れたような坑内とは裏腹に、心も軽く不思議なほど明るい気持ちでトコトコと歩きました。
きっと、ここで働いて命をつないだキリシタンたちは、辛い重労働でも心は明るかったのではないでしょうか。

以前、ヨーロッパの古城を訪れたときは逆でした。「ロマンチックな古城巡り」などという謳い文句とは裏腹に、心には何かゾッとするようなうすら寒さを感じたのです。肖像画がたくさん掛かっている部屋は特に怖かったのでした。


坑道の最後の方にありました、キリシタンの像が。


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夫婦が組になって働いていたようで、夫が掘り手で、妻は照らしたり集めたりしたようです。腰に巻いているものは、座布団代わりにも、掘った鉱石を入れる袋代わりにもしたそうです。


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夫婦で働く鉱山.jpg




仕事の終わりには、毎日、「お告げの祈り」を一緒に唱えたのでしょうか?
そう思ってみると、ただのマネキンでも、ミレーの名画「晩鐘」に劣らない美しさかもしれません。



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岩に掘ってあると言われる十字架は、それらしき引っ掻き傷があるようでしたが、よくわかりませんでした。
ただ、スマホの灯りで照らしていた時、一瞬、大きな十字架の形が現れたように見えた時があったので、もしかしたら、隠し絵のようになっていて、ある一点にろうそくを置くと十字の影が大きく浮き出るのかもしれないと思いました。


岩に彫られた十字架の印.jpeg



カーディガン2枚とジャケットを着ていたのですが、坑道散策の終わりの頃は、もう寒さと湿気が骨身に浸みて来るという感じになって来ました。湿気は92%くらいということで、かなり身体に悪いな、と思いました。


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昔、鉱山の働き手は30歳で長寿の祝いをした、ということが思い出され、ひどい湿気と粉塵という劣悪な環境で、毎日働いた人々が短命だったということが、身に浸みて分かるように思いました。


最後は、急な坂を登った後、長いエスカレーターで地上に出てきました。気づかないうちに、随分深く潜っていたのでした。

出口に、触るとご利益のあるという金の牛がありました、触りませんでしたが。。。
モーゼが「天主の十戒」を受けている間に、待ちきれなくなったイスラエルの民が金の子牛を作って拝んだそうですが、なぜ他の動物や鳥などでなく、金で 牛 を作るのだろうと偶然の一致を不思議に思いました。




地上に出てくると暖かく、お土産やさんで出してくれた「金粉茶」🍵を飲みながら、ほっと一息つきました。
金粉茶は、キノコ味のものはスープのよう、ゆず味のものはレモンティーのようで、とても美味しかったのでオススメです。

秋田以外の東北を散策したのは初めてだったので、帰りに寄った郷土館のようなところもお土産屋さんも楽しかったです。



行き帰りの車で、ロザリオを唱えました。信仰を共にする方々と一緒に巡礼ができて嬉しかったです。

ファイル_006.jpeg
Oさんご夫妻、ありがとうございました。



良き巡礼ができて、天主様にに感謝!
同行してくださった、Oさんご家族にも感謝!

またいつか、どこかのキリシタン所縁の地に巡礼してみたいですね。


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2016年08月25日

不思議のメダイに纏わる色々なお話


不思議のメダイにまつわるいろいろな体験談があります。
外国語では無数にありますが、日本語でも結構あります。

よく知られたものはラスティボンの回心と言われるものです。
無神論者だったラスティボンが、聖母の幻視によって改心し、その後カトリックの司祭になったという話です。


ラティスボンと聖母.jpg





日本で起こった様々なことも、身近に感じられて本当に興味ふかいです。
カトリック信者の方も、そうでない方のお話もあって、いろいろな方がそれなりに理解したり、恵みを受けたりしているように思えました。
よかったら以下のリンクからご覧くださいね。



ミクシィ「こんな奇跡が起こりました」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=859630&id=8536394


☆奇跡のメダイの不思議なお話し♪☆
http://ameblo.jp/dr-mana/entry-11125198758.html


こちらは、パリの「不思議のメダイ教会」に行かれた方の記事。教会の雰囲気が、よく伝わってきます。

奇跡のメダイユ(メダル)を求めて 奇跡(不思議)のメダイユ教会@パリhttp://blog.goo.ne.jp/jestertook/e/e252d8d4279f74d02d27d2b89026b984


いろいろと読んでいる中で、信者さんでない方のブログにこんな言葉がありました。


「原罪なくして宿り給いし聖母マリア 御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え

これを平仮名読みすると、

(げんざいなくして やどりたまいし せいまりあ おんみに よりたのみたてまつる われらのために いのり たまえ)

まるで、神道の祝詞を思わせるような美しい神言葉に、心に滞っていたネガティブな感情がすっと洗い流されていくよう。。。」

http://www.el-aura.com/まだまだ人気も効能も落ちません!「奇跡のメダ-2/


「神道の祝詞を思わせるような美しい神言葉」というのを読んで、なるほど〜と思いました。

ムリに簡略化するよりも、カトリックの祈りの原文のままの方が、日本人の感性にも、合っているのかもしれません。


多くの方が不思議のメダイを身につけて、恵みを受けられますように、やさしい母マリア様の愛に触れられますように、と願っています。

信者さんでない方が着けておられる場合、カトリックの方から見れば、その意向とか希望とかが、ちょっと的外れに思えることがあるかもしれませんが、あまり厳しくなくても良いように思います。私たちは皆完璧ではありませんし、マリア様が全てよく配慮して、私たちのよくないところは矯め直して助けてくださると思います。
アンクレットはさすがにいただけませんが。


全ての日本人の方が不思議のメダイをつけていたなら、日本は天罰も免れそうな気がします。


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2016年08月18日

ウサイン・ボルトも身につけている聖母マリアの「不思議のメダイ」


 ウサイン・ボルト、また金メダルですね。
3大会連続の100m金メダル、すごい!

 この後は、トリプル/トリプル(100m、200m、100mx4リレー X 3大会)への挑戦です。

 テレビで、100m決勝のレースを見ていたら、ウサイン・ボルトの首の周りに、金色の「不思議のメダイ」らしきものが、かかっています。。。??

「え、まさかね?」と思ってググってみたら、やっぱりそうでした。沢山出てきました。

 日本語の記事では、「不思議のメダイ」の話は無いようなので、英文記事の一つを試訳してお届けします。


。。。。。。。。。。。。。。。。。
(引用ココから)

【カトリックのウサイン・ボルトが肌身離さず着けている唯一の金メダル】

 ジャマイカのオリンピック選手、ウサイン・ボルトは、世界一速い男として知られ、多くの世界記録とオリンピック金メダルを獲得している。2008年のロンドン大会では3つの金メダル、2012年の北京でもさらに3つの金メダル、現在開催中のリオ大会にも出場中である。


ウサインボルト.jpg


 しかし、ウサインボルトが常に身につけているただ一つのメダルは「不思議のメダイ」だ。
(カトリックでは信心用のメダルをメダイと呼ぶ *管理人注)

 ウサイン・ボルトは、”聖レオ”というミドルネームを持ち、レースの前には十字架のしるしをする敬虔なカトリックとして知られている。
 さらに、彼はバチカンにスピーチのために招かれたり、レースの時でさえも「不思議のメダイ」を首にかけているのを、しばしば見かけられている。

 不思議のメダイを知らない人々のために説明すると、「不思議のメダイ」とはカトリックの信心のためのメダルで、1830年に、聖カタリナ・ラブレという修道女に幻視の中で託された。

 聖母マリア自身によってデザインされたといわれるこのメダルは、「罪無く宿られたマリアよ、あなたに依り頼む私たちのために祈ってください」という言葉が、半球の上に立つマリアの周りを囲っている。腰の高さに広げられた両手の指からは光線が流れ出ている。

 裏面には、大きな「M」という字とそこから立っている十字架を12の星が囲っている。その下には炎の燃える2つの心があり、その一つは棘で囲まれ、もう一つは剣で刺されている。


不思議のメダイ.jpg




 この幻視の中で、聖母マリアは、「このメダイを身につける者、特にこれを首にかける者は、大きな恵みを受ける」と約束された。


 ウサイン・ボルトは、すでにリオ大会でも100m男子で、金メダルを獲得している。次は200m男子でも金を狙う。

(引用ココまで)


元記事はコチラ
For Catholic Usain Bolt, There’s Only One Gold Medal He Always Wears
http://ucatholic.com/blog/catholic-usain-bolt-theres-one-gold-medal-always-wears/


他にもいろいろな記事があります。

Usain Bolt, His Catholic Faith, and His Miraculous Medal
http://epicpew.com/truly-miraculous-medal-usain-bolt-catholic-faith-2/

The Miraculous Medal runs the 100 meter race with Usain Bolt at the Olympic Games
http://famvin.org/en/2016/08/15/the-miraculous-medal-run-the-100-meters-career-with-usain-bolt-at-the-olympic-games/


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 この不思議のメダイは、いわば「最強のお守り」と言って良いものだと思います。
 カトリックでなくても、クリスチャンでなくても、いつでも、特に辛い時、悩む時に、身につけていることをお勧めします。
 聖母マリアが、蛇を踏んでいるのは、「あなたの苦しみの源を踏み砕きます」という意味で、心が刺されているのは「あなたの苦しみを理解しています」という意味に受け取れます。


貴金属のものでなければ、比較的安価で手に入ります。

ドンボスコ社の不思議のメダイ
http://www.donboscosha.com/product-list/167


無料で配っているところもあります。
高価なものでも、手頃なものでも、効果は同じです。


 このメダイは、上の記事にあるとおり、聖母マリアの出現によってカタリナ・ラブレという修道女に示された後、大戦中にまさに奇跡的に広がりました。
 このメダイに敵の弾が当たって止まり死を免れた、とか、瀕死のときに聖母が現れて助けてくれた、とか、もう本当に多くのいろいろな体験談があるのです。

 西欧では、「ルルドの奇跡の泉」と並んで最も有名な「不思議のメダイ」です。


 メダルを身につけるにあたって、信心は必要ですが簡単です。
 このメダイの表の聖母の周りに書いてある言葉を唱えれば良いのです。

 日本語で、カトリックの人なら、
「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え」

キリスト教でない人なら、
「汚れなき聖母マリア、私たちのために祈ってください」

と、唱えると良いと思います。

 願うのは、「御利益」ではなく「幸福」です。

 不思議のメダイを身につける兄弟姉妹の皆さんのために、私も共に心から祈っております。



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2016年08月12日

8月11日は聖フィロメナの祝日でした


昨日は聖フィロメナの祝日でした、古い教会暦では。

聖アンナ教会に行って、ミサに与かりました。
ミサの後、聖遺物の崇敬と、聖体降福式もありました。
(聖フィロメナの祝日は、公式の典礼暦からは外されてしまったのですが、私的信心としてはそのまま許されています。)

聖フィロメナは、13歳で殉教したと言い伝えられている美しい聖少女です。

この聖少女の取り次ぎで、あまりにも多くの奇跡が次々と起こったので、英語圏では、Saint Philomena, the Wonder-Worker (ワンダーワーカー)と言われているほどです。


その一端がよく叙述されているものを、戸塚文卿神父様の著書『農村の改革者・聖ヴィアンネー』から引用してみます。(戸塚文卿神父様は、岩下壮一神父様と同時代の方です。)

全文はコチラ  聖ヴィアンネーと聖フィロメナ
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/971aca361c72c99d01dddfdacb409383 


聖ヴィアンネーの聖フィロメナへの深い信心はよく知られています。聖ヴィアンネーが行った多くの奇跡は、ほとんどが聖フィロメナの取り次ぎで起こったそうです。


聖フィロメナ教会.jpg
フィラデルフィアにある聖フィロメナ教会、祭壇後方向かって左に聖フィロメナ右に聖ヴィアンネーが描かれている。


聖フィロメナの像.jpg
同教会内、側祭壇の聖フィロメナ像



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(引用ココから)


 謙遜なヴィアンネー師は、自分が尊敬されることを極端にきらった。しかし、そのうちに種々の病人が師のもとに連れてこられるようになった。非常に当惑した彼は、彼がその遺骨の一小片を所有しており、彼が非常に愛していた聖女フィロメナのとりなしに、すべての奇跡を帰して、自分はいわばその影にかくれようとした。

 聖女フィロメナ小聖堂では、肺病や、めくらや、おしや、半身不随の患者がいやされた。師は病の治ることを求める病人に、そこで祈るようにすすめたが、その前に、彼らに熱心に罪を痛悔するように命じた。「それはだめだ」とか、「あなたはそれに値しない」とか、師に言われれば、決して奇跡的に病の治ることはおこらなかった。

 のちに述べる一八四三年の師の重体のすぐ後であった。のどの病におかされて、二年このかた一語も発することができず、ようやく筆談で用を弁じ、そのうえ、のどにたえまない激しい痛みを訴えている婦人が師のもとに来た。

「あなたには地上の薬は役にたたぬ。しかし、天主はあなたを癒そうと思し召しになっています。聖女フィロメナに祈りなさい。筆談の道具を聖女の祭壇の上にのせて、無理におねだりなさい。もし天主があなたに声を返してくださらないならば、聖女の声をゆずってくださいと願いなさい!」

 彼女の祈祷はたちどころに聞き入れられた。

 シャルル・ブラジーという男は、両足が痲痺して、松葉杖にすがらねば歩くことができなかった。ヴィアンネー師は、彼に聖女に向かって九日間の祈祷をしなさいと薦めた。なんの効果も表われない。信仰がたりないのだ。この男はもう一度祈祷をくりかえした。しかし、まだ疑いの心がさらなかった。
「神父様、杖をここにおいて帰ることができるでしょうか?」
「さあ、まだいるだろうよ!」と師は答えた。

 しかしながら、祈祷の日をかさねているうちに、彼の心に信仰がもえだした。満願の日は八月一五日、聖母被昇天の大祝日だった。病人はその日、師のミサ聖祭のあとに、祭器室に身をひきずってやって来た。

「神父様、どうでしょう?今度は杖を聖女フィロメナにさしあげて、よろしゅうございますか?」
「よろしい!」

 この男は両杖を空中にさしあげながら、群衆をかきわけ、聖女の小聖堂に走り去った。両足の痲痺はこの瞬間に完全になおってしまったのだ。

 一八五七年の灰の水曜日に、八才になる男の子を乳母車にのせて連れて来た、身なりのいやしい貧しい母があった。この女は告白をすませてから、ミサのあとに無理に祭器室にはいって来た。そして、子供のために師の祝福を願った。

「この子は抱いて歩くには大きすぎる。さあ、あなたは立ち上がって、子供を床にたたせてごらん!」
「でも、立てませんもの!」
「きっとできる。聖女フィロメナにおすがりなさい」

 師に言われたように、女は子供を床におろして、その手をとって、どうかこうか、聖女の小聖堂まで連れていった。子供はおよそ四五分間ほどそこに跪いて祈っていた。

 母は激しい感動にとらえられて、その間始終涙にむせんでいた。

 すると突然子供は自分で立ち上がって、「おなかがへった!」というと、いきなり母のさし出す手をふりきって、聖堂の入り口に向かってくつ下のままかけて行った。見ると雨が降りだしていた。
「おかあさん、だから靴をもってくれはいいのに!」

 木靴を買ってもらった子供は、大喜びで、他の子供たちと遊びだした。この奇跡はアルスでも大評判になった奇跡の一つだ。

(中略)


 しかし、確かに、聖女フィロメナは、(ダンテにとってベアトリチェがそうであったように)ヴィアンネー師の「ベアトリチェ、彼の理想、彼の星、彼の導き手、彼の慰め手、彼の清き光」であったので、この友情は聖司祭が年老いるとともに、ますます深く、ますますこまやかになっていった。師はある時、カトリンにこのようなことを言った。

「この三晩というものは、私は、ものたりない思いがした。何か空虚がある。聖女フィロメナは、私の彼女に対する思い方がたりないと言って、私を叱っているようだ。私はもう少し彼女に祈ろうと約束した」

 ヴィアンネー師の心の中にあったものは、「熱い、騎士的の愛」であったのだ。彼の心は、人からくるそしりや中傷、たえまなき悪魔の攻撃のうちで、聖女フィロメナによって、どれほどささえられ、慰められたかしれないのである。

(引用終わり)



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2016年08月06日

聖ヨゼフ小聖堂



Post7.jpg


先日の聖ヨゼフの記事に、リンクを教えて下さった方がいて、現在の聖ヨゼフ小聖堂の様子などがわかりました。
やはり長崎なんですね。




聖ヨゼフ天国の栄光.jpg


無くなっていた絵葉書の絵はコチラ。祭壇の後ろのメインの絵ですね。




初水曜日のミサの後でしょうか?
シスターたちの歌声が美しい。
ビデオが見れない場合は以下のリンクからどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=6sfOHfeB10s&feature=youtu.be



聖ヨゼフによる取次の恵みの正確なお話は以下の通りです。
。。。。。。。。。。


サルベヨゼフ、ホームページより引用


【現在の諫早市小長井町において、聖母の騎士修道女会のシスターたちにおけるお恵み。】

重症心身障害児施設「みさかえの園むつみの家」を開園した45年ほど前、入園希望者が殺到したため、それに対応すべく、施設の拡大工事を決定した。
しかし、莫大な費用と、職員の確保が重大な問題だった。
このため、困難・危急に際して、力強いとりつぎ手として崇敬する聖ヨセフに、3つの願を立てて、工事を3期に分けて事業を進めることにした。

1:第1期が完成したら、聖ヨセフの信心を広める。
2:第2期が完成したら、聖ヨセフの祭服をつくる。
3:第3期が完成したら、聖ヨセフの参詣所をつくる。

そして、困難なことを乗り越え、祈願が成就し、この小聖堂が建てられたとのことです。
長崎市街地からは離れており、里離れた山の中にあるため、公式ガイドには一切載らないですが、聖ヨセフの取り次ぎを求めるなら、巡礼すべき場所です。

(引用終了)

。。。。。。。。。。。




お礼に小聖堂を立てるなんて、どんだけ大きい事業なのだろう、と思って見てみたら、本当に大きかった。
素晴らしいですね。


みさかえの園.jpg
聖母の騎士修道女会本部
医療型障害児入所施設・療養介護事業・短期入所・日中一時支援 みさかえの園あゆみの家
医療型障害児入所施設・療養介護事業・短期入所・日中一時支援 みさかえの園総合発達医療福祉センターむつみの家
障害者支援施設 みさかえの園第二めぐみの家(生活介護)
障害者支援施設 みさかえの園のぞみの家(生活介護・短期入所・日中一時支援事業)
職員宿舎
厚生福祉研修会館(2階法人事務局)
みさかえの園児童遊園地
就労継続支援B型事業所 ワークスペースあん(就労継続支援B型事業)

汚水浄化槽施設
就労継続支援B型事業所 ワークスペースあん(就労移行支援事業)
聖母の騎士修道女会 来客駐車場
第1駐車場
長崎県立虹の原特別支援学校みさかえ分校



【みさかえの園】ホームページ
http://www.misakae.or.jp/seikazokukai/institution.html



公教会の保護者なる聖ヨゼフ様、日本のカトリック教会もお護りください。


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