2015年07月28日

天使の元后なる聖マリアの御絵

天使の元后なる聖マリアの御絵をご紹介します。

天使の元后.jpg


ずいぶん以前に、イタリア某所の聖母出現地に巡礼旅行した時、いただいた御絵です。はがき2枚分くらいの大きさでした。

この巡礼で、皆が不思議な虹を見ました。大きな虹の天辺に「V」の字の形に虹が立っているのでした。
ある小さな子供たちは、虹の半円のところに天使たちがいて、一番上のVのところに聖母マリア様がたっておられるのを見たそうです。その様子にとても近い御絵のようだったので配ったのだそうです。

聖母マリアさまの足下の百合は、聖ヨゼフさまの象徴なのだそうです。


天使の元皇聖マリア.jpg

マリア様の部分の拡大図




ところで、このご出現は、その後、カトリック教会権威から、否定されてしまいました。
聖母様がメッセージの中で、手による聖体拝領をやめるように仰ったことが、否定の主な理由だったようです。

実は、私個人としてはこの聖母出現は信じていますけれども、従順のために、宣伝はいたしません。


「手による聖体拝領がそんなに悪いなら、なぜ聖母様は色々な御出現で、そう言わないのか?」
といったようなご意見も聞いたことがあります。

でも、聖母様が手による聖体拝領をやめるように仰ったら、それを理由に教会権威から否定されてしまいますので、皆様の耳に届かないだけなのではないでしょうか?



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2013年08月08日

絶望的状況の内でも聖母に希望をおくということ

「ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」

(第三のお告げ 十月十三日、土曜日 より。)



環境問題について、なんどか記事を UPしましたが、特に環境活動に熱心になったから、というわけではなく、秋田の聖母のお言葉が、けっして的外れなものではなく、かなり現実味を帯びたものであることを、お伝えしたかったのです。


「もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。

火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。

その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。」




この「火が天から下り」というのが、何なのかは分かりませんが、いろいろな可能性が考えられるでしょう。

例えば、
自然的な要因ならば、

*隕石、または隕石群の落下

*人工衛星、または人工衛星群の落下

*彗星の激突 など


人的要因ならば、

*世界戦争による大空襲

*ICBM 核弾頭ミサイル

*宇宙配備されたレーザー兵器や核兵器

*新宇宙兵器「神の杖」など


この「火が天から下り」というのは、英語では、RAIN OF FIREと訳されている場合もあるようですが、実際は日本語だと単数なのか複数なのかも分かりませんので、巨大な彗星一個の激突、という可能性もあるわけですね。

また、核兵器の宇宙配備は、国際条約で禁止されていると思うのですが、絶対に遵守されているのか誰にも分からないですね。


いずれにしても、原発など核の施設や 核のゴミの廃棄所が、世界の各地にたくさんあるので、こういった災害時には、破壊されて放射能が大量に流出する可能性は高いでしょう。

それで、「生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難がある」というのは、放射能汚染による被害と苦しみだろうか、と思われるのです。


放射能によって、DNAが破壊されたなら、皮膚や髪は、もはや再生されません。髪は抜け落ち、全身赤剥けの状態になりながら、ゆっくり死んでいくのです。医療によって癒される可能性は全くありません。もし、地球の広範囲で、そのようになったら、人類には絶望しか無いのです。

http://matome.naver.jp/odai/2133619489996235201


それでも、秋田の聖母は、私たちに希望を示して下さいました。

「災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」 と。



秋田の聖母像の流された涙と血とは、安田神父様のおっしゃる通り、神の新たな創造であり、本質的な奇跡なのです。

「本質的な奇跡」とは、実体が変化する、という自然には決して起こりえない奇跡のことです。


聖母像の流された涙と血には人間の血液型で、B型とAB型とO型が鑑定されました。

この奇跡は、神には 全てが可能であり、多くの人々のDNAが破壊されて、人類が絶望の縁に至るときにも、聖母の取り次ぎによって、必ず人類が滅亡の危機から救われることの前印であろうと思われます。


全能の神、天地の創造主である真の神のみが、人間のDNAを新たに創造して下さることがお出来になります。

聖母マリアになされた、人間の父親の無い、キリストの処女懐胎(おとめかいたい)は、創造主なるまことの神による偉大な奇跡でした。

この奇跡を信じ、聖母マリアを尊び、愛し、寄りすがる人々のためには、神は人類のDNAの再生と全世界の再生の大奇跡をも行ない給うでしょう。



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追記:奇跡の分類について
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2013年05月24日

天候不順で思い出す預言


秋田巡礼が終って実家に帰っていた時、ニュースでは、各地の天候が不順なこと、北海道や岩手県などで雪が降っていることなど報道していました。画面を見ると、けっこうな大雪なので驚きました。5月も中旬にさしかかろうというころでしたから。

このような天候不順を見ていて、マリア⋅ワルトルタの預言を思い出しました。

マリア⋅ワルトルタといえば、「聖母マリアの詩(上下)」、「マグダラのマリア」、「イエズスの受難」など、バルバロ神父様の訳された、全10巻のシリーズが、よく知られています。
このシリーズは、原本は 天地創造からはじまる人類の歴史の幻視を 順を追って記述したものです。日本訳では、聖母マリアとイエズス⋅キリスト、そしてその時代の周囲の人々に焦点を当てた部分だけが抜粋訳され、あかし書房から出版されています。


このシリーズとは別に、天使館から、
マリア⋅ヴァルトルタ 「手記」抜粋 世紀末の黙示録
という本が、渡邊義愛先生の翻訳で出版されています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4938928345

こちらは、原本は2000ページを超えるもので、主に終末の預言をイエズス様が口述されたものです。大変興味深い内容です。
日本語版は、200ページ強ですが、とてもよくまとめられており、最後の時代のことが少し分かるようになると思います。

このなかから、天候不順の部分を、少し引用します。


。。。。。。。。。。。。。。。。

’43年、10月29日

 イエズスは言われる。

「。。。(前略)。。。

 飢饉と疫病による大量死は、わたしの再臨の前兆である。
 あなたたちを罰し、あなたたちを神のもとに呼び戻すために創られた懲らしめは、その苦痛を与える力をもって 神の子らとサタンの子らとの選別の一つを行うだろう。

 飢えは略奪によって、また国家独立の正当化のためではなく、もっぱら、人間の皮をかぶった悪魔たちの権力と傲慢の凶暴性による呪われた戦争によってもたらされ、神の意志による宇宙の法則の一時停止によりもたらされる。

 そのために 寒さはきびしく長くつづき、そのために焼けつくような灼熱は雨で軽減されず、そのために季節は逆転して、雨の季節に日照りがつづき、穀物の取り入れどきに長雨が降り、そのために にわかの暖かさや異常寒波の来襲にだまされて、木々は季節はずれの花を咲かせ、すでに実を実らせたばかりなのに、またあらたに無駄な花を咲かせ、今度は実を実らせることも出来ずに萎れてしまう 
 ー あらゆる無秩序には害があり、死に導くからだ。人間たちよ、そのことを銘記しておくがよい ー 
 こうしてもたらされる飢えは、この傲慢で神に敵対する人間という種族を容赦なく責めさいなむだろう。

 動物たちは、秣(まぐさ)、烏麦(からすむぎ)、その他の飼料に事欠いて飢え死にし、人間たちは飢えで家畜に子を産ませる時間さえ与えずそれを食べてしまうだろう。空の鳥と水中の魚、家畜と羊の群は、土地が最早あなたたちに僅かしか産出してくれない食物をあなたたちの胃袋に送り込むために、四方八方から、襲われるだろう。

 戦争、疫病、地震、豪雨によって誘起された大量死は、善人と悪人とを彼岸に突き落とすだろう。

  (中略)

 偶像崇拝、淫欲、憎悪、傲慢の罪によって汚された地球の祭壇を清めるために主が準備された生贄、それは、神の稲妻の研ぎ澄まされた鎌に刈り取られて幾千、幾万となく死んでいく人々、あなたたちだろう。
 四月の牧場で刈り取られる雑草のように、あなたたちは重なり合って倒れるだろう。すなわち、毒を含む花に混じる聖なる花々、やわらかな茎であるあなたたちは棘をもつ茨に混ぜ合わせられる。

 わたしの天使たちの手は祝福されたものと呪われたものを選り分け、前者を天に導き、後者を地獄の飼料として悪魔たちの熊手に委ねるだろう。

 乞食であろうと王であろうと、無知であろうと学者であろうと、老人であろうと若者であろうと、司祭であろうと兵士であろうと死に対して相違は無く、砦を築くことはなかろう。罰はあるだろうし、それは恐るべきものであろう。

  (中略)

 あなたたちの行いに対して、神は良くも悪くもなさらないと考えてはならない。

 わたしは あなたたちにそれを誓う。わたし自身に誓い、わたしの正義にかけて誓い、この三重の誓いを立てて、わたしはあなたたちが行なった善に対しては善をもって、あなたたちが行なった悪に対しては悪をもって報いる、と言う。

。。。(後略)。。。」



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2012年07月25日

黙示録の処女(もくじろくのおとめ)- The Virgin of Revelation その2

 どの御出現でもそうですが、単に奇跡などの現象よりも、「ミッション」、つまり「目的」が、一番大事です。

 安田神父様の著書の中にも、奇跡について、
「。。。(b)それが神にふさわしい何らかの合目的なものでなければならない。
人間のこの世的な虚栄や好奇心をはぐくむようなものであってはならない。
(c)そのような不思議なわざが、究極において神ご自身の栄光に結びつき、関連していなければならない。
それはこの世的な人間の商取引きのようなものに結びつくものであってはならない。 。。。」*
と、述べられています。

 *(「奇跡と涙」緑地社120ページより引用)

 それで、この黙示録の処女マリアの御出現で、聖母がブルーノさんに託した「使命」、「ミッション」を挙げておきたいと思います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。(ココから引用開始)。。。

<使命>

 黙示録の処女は、ブルーノにひとつの使命を委ねて言われました。

「あなたは、カテキズム(カトリック公教要理)、つまり公教会の真理を教えるための団体を創立しなければなりません。
 なぜなら、真理が忘れ去られるときが来るからです。
 人々は、もはや真理の道を歩まなくなるでしょう。
 でも、私の子供である あなたたちが、この団体を創ることによって、カテキズムは、家々で、広場で、家庭で、店頭で、どんな場所でも教えられるようになるでしょう。
 我が御子の救いの賜物に関する真理です。」

 処女聖母マリアは、聖母ご自身がブルーノのカテキスタ(カテキズムの先生)として、いつも共にいることを約束されました。

 処女聖母マリアは、カトリックの信仰を捨ててしまった人々の霊魂だけでなく、すべての人々が、「聖福音の純粋な泉」に戻るようにと配慮されます。
 そして、御子イエズスキリストの公教会において、愛と真理と救いのための三つの点、秘跡、無原罪、教皇が重んじられるように、と願われます。

 御出現一周年の記念日である1948年4月12日に、ブルーノ・コナッチオーラは、サクリ・アソシエーション(SACRI Catechetical Association)を創立しました。そして、聖母の御保護のもと、生涯にわたって、この団体を導きました。

 サクリの精神は、聖母の示された三つの点を重んじること、すなわち、御聖体の秘跡を尊び、無原罪の聖母マリアを愛し、教皇様への従順を示すことによって、教会への愛と従順に生きることです。

(管理人試訳)

サクリ・アソシエーションのカードより引用


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2011年07月13日

聖心の信心とともに聖血の信心も大切に


 1973年7月、姉妹笹川が、左の掌の十字架型の傷の痛みに苦しんでいた頃、同時に聖母像の右の掌に十字架型の傷が現れ、血が流れていました。
 姉妹笹川の掌の傷が、「ものすごい激痛」となり、「もはや居たたまれぬ」と思ったとき、天使から、以下のようなメッセージがありました。

「その苦しみも、今日で終わります。マリア様が御血を流されるのも 今日で終わりますよ。マリア様の御血の思いを大切に、心に刻んでください。マリア様が御血を流されたのには、大事な意義があります。あなた方の改心を求め、平和を求め、神様に対する忘恩、侮辱の償いのために流された尊い御血です。聖心の信心とともに聖血の信心も大切に。すべての人たちの償いのために祈ってください。」


 この、「聖心の信心とともに聖血の信心も大切に。」 という部分について、文脈からすると 聖母マリアの血とも受け取れるので、少し、違和感を感じる方もいらっしゃったそうです。
 それについて、安田神父様が ていねいな神学的な解説を書いてくださった時から、カッコつきで、「(主の)聖血」と 書かれる様になりました。確かに、人となられた神の御一人子、イエズス・キリストの聖血だけが、人類を贖うことができたのです。

 しかしながら、そのイエズス・キリスト、全世界の贖い主の尊い聖血は、すべてマリア様から受け取ったのではないでしょうか。

 イエズス様には、人間の父がありません。ですから聖母マリア様の母性のみを肉身の親として、この世に生まれ給うたのです。

イエズス様とマリア様には、100%の血の繋がりがあります。これは全人類のなかで、唯一の親子関係です。どんな子供も一人の親とは、50%の血の繋がりしかないからです。

 イエズス様の御体と、聖母マリア様の御体には、全く同じ御血が流れているのです。なんと驚くべき事でしょう。
 イエズス様が その御受難によって流された、贖いの聖血は、マリア様の御血と 全く同じものなのです。

 ヨゼフ・マリー・ジャック神父様は、このことについて、
「...尊い聖血は、イエズス様は、全部、母なるマリア様の御心からくみとったのではないでしょうか?
イエズスとマリアとの間の不思議な関係!...
この深い玄義に、教会はまだ触れていないような気がする...」
と、おっしゃっていました。

Heart.jpg


イエズス様の至聖なる御心と、聖マリアの汚れ無き御心は、全く同じ御血で完全に結ばれています。それで、このメッセージは、

 「イエズスの至聖なる聖心と 聖母マリアの汚れ無き御心の信心とともに、
そのふたつの心を ひとつに結ぶ いと尊き聖血の信心も大切に。」

とも、受けとめられるのではないか、と思います。


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2010年06月22日

聖母は日本を愛しておられます

 秋田に御出現になった天使のお言葉の中に、
「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。」
と、ありますが、いつ、どのように、日本は聖母の汚れなき聖心にささげられたのでしょうか?

安田神父様の御本から引用して、少し、歴史を振り返って見たいと思います。

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日本の再布教

 殉教の血にいろどられた二五九年を経て、ようやくフランスのパリ外国宣教会の一員フォルカード師が、日本の再布教を志して渡来した。
一八四四年五月一日、琉球の那覇港に到着した彼は、軍艦内の病室でミサを捧げ、感謝の祈りにつづいて “聖母の汚れなきみ心” に この新布教地を奉献して祈った。 この祈りを、少し長いが、浦川和三郎師著の 「切支丹の復活」(前篇)から 左に引用紹介しておきたい。

 「ああマリアの至聖なる聖心、
諸の心の中にも 至つて麗しく、清く、気高き聖心、
善良柔和、哀憐、情愛のつきぬ泉なる聖心、
諸徳の感ずべき奥殿、いと優しき美鑑なる聖心、
ただイエズスの神聖なる聖心に遜色あるばかりなる聖心よ、

我は きはめて不束なる者なれども
初めてこの琉球の島々に 福音宣伝の重任を托されたるにより、
我が力の及ぶ範囲内に於て、この島々をば 特に御保護の下に呈し奉り、献納し奉る。
その上、いよいよ布教を開始して、その基礎を固め、
この島人を 幾人にても空しき偶像礼拝より キリスト教の信仰に引き入れ、
一宇の小聖堂にても建設するを得るに至らば、
直ちにローマ聖座に運動して この国を残らず、
公に 又 正式に 御保護の下に托すべきことを 宣誓し奉る。

 ああ慈悲深きマリアの聖心、
神聖なるイエズスの聖心の前に於て いとも力ある聖心、
何人たりとも その祈祷の空しかりしを 覚えしことなき聖心よ、

卑しき我が祈願をも 軽んじ給はず 我が心を 一層善に立帰らしめ、
数々の暗黒に閉され居る この心の雲霧を払ひ給へ。
我は大なる困難、危険の中に在るものなれば、
願くは、謙遜、注意、鋭智、剛勇の精神を 我が為に請い求めさせ給へ。
全能、哀憐の神なる聖父と聖子と聖霊とは
この賤しき我を用ひて 『強き所を恥かしめ、現に在る所を亡し(コリント前一、二八)』
幾世紀前より 暗黒と死の蔭とに坐せるこの民をば 福音の光と永遠の生命とに引き戻し、
之に立向はしめ、辿り着かしめ給へ。アメン。」

 
その後 日本の政治の流れも変わり、鎖国の長い眠りも破られ、切支丹迫害の血なまぐさい歴史も 一応幕をおろした。しかし、迫害が止んだからといって、日本のキリスト教化が たちまち進展するものでもなかった。むしろ遅々として、布教の効果は一向にあがらないのが実情であった。

 やがて、日本民族にとって 有史以来 最大の惨事ともいうべき 大東亜戦争が起こり、ついに広島・長崎の 大いなる犠牲をもって終局を迎えたが、一九四五年のその記念すべき日が、八月十五日という聖母被昇天の祭日であった。このことは、終戦当時 九万そこそこのカトリック信者に、神の摂理による暗合を思わせ、聖母とのゆかりをあらためて想起させるものであった。

 このとき、日本の司教団は一致して、先に述べたフォルカード師の範にならい、「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにもその信心がすすめられたのであった。


 ところで、一九七五年一月四日、聖母像から三回も涙が流された日に、天使から姉妹笹川に告げられた言葉の中に「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」との指摘がある。

 昔から、神のおん母、人類に賜った母、聖マリアを 愛し尊ぶ聖母信心は、教会の伝統から言っても 聖書に照らしてみても、もっとも正統な、いつの時代にも 重んずべきものであった。先の切支丹たちも 聖母への信心によって、苛酷な迫害に堪え、殉教をとげる力を与えられていたのであった。そのように、聖母はいつも日本を愛し、日本民族を心にかけてこられた。その聖母が、なぜ今涙を流されるのであろうか。

「聖母の汚れなき御心に日本を献ぐる祈」は、今でも“公教会祈祷文”の二四一ページに、そのまま記載されている。しかし、もし誰かが、天使のような眼力をもって、現在の日本のカトリック教会を くまなく見わたしたとしたら、どこかで この祈りが唱えられているのを 発見できるであろうか。口に出して唱えぬまでも、この心を忠実に保って 聖母信心にはげんでいる教会を、いくつか見いだせるであろうか。


 こんにちでは、聖母を通して神にお恵みを願うことを、軽んじるばかりか、あたかも迷信か邪道のように言う人さえ、稀ではない。それに対しては、まじめに論議をまじえる前に、まず理解に苦しむ提言、といわざるをえない。

 第二バチカン公会議は、聖母信心に関して、はっきりと言明している。
「すべてのキリスト信者は、神の母、および人びとの母に対して、切なる嘆願をささげ、教会の発端を祈りをもって助けられた聖マリアが、すべての聖人と天使の上にあげられた天において、今もなおすべての聖人の交わりのうちで、御子の許で取り次ぎを続けて下さるよう祈らなければならないのです」
 
聖母は、この公会議の条項が 少しも信者たちにかえりみられないことを、泣いておられるのではなかろうか。


 先の天使のお告げのつづきに 「あなた方が捧げている“聖母マリアさまを通して、日本全土に神への改心のお恵みを、お与えくださいますように!”との願いをこめての祈りは喜ばれています」 との はげましの言葉がある。
 この祈りは、聖体奉仕会において、毎日の聖体礼拝中、ロザリオの祈りに先んじて提示される共同祈願の意向の第一として、 唱えられるものである。
 日ごろ姉妹たちと 口にし馴れたこの祈りが、聖ザビエルにはじまり、フォルカード師から日本司教団へと受けつがれてきた由緒ある、聖母の御心にかなった日本民族のごあいさつであり、敬愛と信頼をこめた すぐれた祈祷であることに、今さらに気づき、感慨をあらたにした次第である。


(聖母マリア像の涙 安田貞治著 エンデルレ書店 260〜265ページより引用 )
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聖母の汚れなき御心に日本を献ぐる祈
(毎年 聖母の汚れなき御心の 公式の祝日に 之を唱う)

 いと潔きあわれみの御母、平和の元后なる聖マリアよ、
われらは聖なる教会の導きに従い、今日、日本および日本国民を 御身の汚れなき御心に奉献し、そのすべてを御身の保護に委ね奉らんと欲す。
^願わくは聖母、慈しみの御まなざしもてわれらの心をみそなわし給え。

 ああ、人々 真理にうとく、その心くらみ、罪の汚れに染み、諸国はまた互いに分かれて相争い、天主の霊威を傷つけ、御身の御心を悲しませ参らするなり。
^されどわれら日本国民は、ひたすらに光をしたい、平和をこいねがうものなれば、願わくは聖母、御あわれみの御心をひらきて、われらの願いを聞き給え。われら今、この世のすべての苦しみ、悩みを雄々しく耐え忍び、そを世の罪の償いとして、天主に捧げ、その御怒りをなだめ奉り、わけても御身の汚れなき御心にならいて、主の御旨(みむね)を重んじ、身を清く持して、聖なる一生を送らんと決心す。
^願わくは聖母、力ある御手をのべて、われらの弱きを助け給え。

 かくて、われらは同胞、相互いに助けはげまし、諸国は正義と愛のきずなもて結ばれ、もって世界は、とこしなえの平和を楽しむにいたらんことを望む。
^願わくは、御身、慈母の愛もてわれらを護り給え。

 天主の聖母、われらのために祈り給え。
^キリストの御約束にわれらを かなわしめ給え。
 
 祈願 全能永遠なる天主、主は 童貞聖マリアの御心のうちに 聖霊のいみじき御宿をしつらえ給いたるにより、願わくは、御あわれみをたれて、かの汚れなき聖母の御心に 日本を捧げ奉りたる われらをして、主の聖心にそいて生くるを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

(公教会祈祷文 カトリック中央協議会編 中央出版社発行 241〜244ページより引用)



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2010年06月01日

秋田は東洋のファチマか?


 昨年の秋田巡礼には、有名なファチマの活動家で、いろいろな本も書いておられる、アメリカ人の弁護士、クリストファー・フェララさんも参加して下さいました。

 巡礼の後、興味深い記事を、書いておられました。

 試訳なさった三上先生のご許可を願いつつ、掲載させていただきたいと思います。

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ファチマ・パースペクテイヴス

党路線の撤回!


2009/05/28

クリストファー・A. フェララ



ベネディクト教皇は 2009年5月13日、ファチマの最初の御出現の記念日に、ベトレヘムで行ったある挨拶の中で、次のように宣言なさった。
「あなたは、ファチマで3人の子どもたちに、『最後には、私の汚れなき御心は勝利するでしょう』と約束なさいました。そうなるかもしれません!」

その所見は、知っている人々には、汚れなき御心の勝利がすでにわれわれの背後に去ったのだ、そしてその勝利が1984年の「ロシアの奉献」- ロシア人に不快感を与えないために、ロシアのいかなる言及をも避けた一つの儀式の間に - に続く「共産主義の崩壊」からなっているのだ、というバチカン国務長官の「党路線」の驚くべき撤回を意味する。

それはまた、汚れなき御心の勝利は マリアが2000年前にその「フィアット」(御心のままになれかし)をお与えになったときに起こった、という第三の秘密に関する2000年6月26日の バチカンの注釈における 元ラッツィンガー枢機卿の 真に人をまごつかせるような主張の撤回を意味する。

なぜ撤回なのか? 私は たった今 日本から戻ったところである。日本では、私は、 1973年に シスター・アグネス笹川への 聖母の御出現の場である秋田市で 日本人巡礼者たちに 一連の講話をする光栄を得た。巡礼者たちは 聖ピオ十世会アジア管区長ダニエル・クーチュール神父と文字通り今日の世界における唯一の日本人の伝統主義の司祭だと思われる聖ピオ十世会のジョゼフトマス(管理人による訂正)小野田神父の霊的指導を受けていた。私の講話はファチマのメッセージ、秋田のメッセージとファチマの第三の秘密の ほとんど確実な内容との間の関係についてであった。

秋田の御出現は 1984年に教区の司教ヨハネ伊藤庄治郎師によって真正のもの、信仰に値するものとして承認された。その承認は 御出現に関連した奇跡の科学的な検証の後になされた。
 その奇跡というのは、シスター・アグネスが住んでいた修道院で木製の御像が101回の涙を流し、血を流したという奇跡である - それはシスターが、新しい近代主義の司教の教唆で1988年にその修道院から追い出される前のことであった。
 この101回の御像が「涙を流したこと」は伊藤司教によって4回、そしてシスター・アグネスの霊的指導司祭、神言会のトマス・アクィナス安田貞治神父によって98回目撃された。

私の著書「今なお隠されている秘密」に基づいた、秋田での私の講話の中で、私は、第三の秘密がそのうちに公表されねばならないテキスト - その中では祝せられたおとめ[マリア]が「白い衣装をまとった司教」の幻視のいわば「サウンド・トラック」を提供なさっており、そこではたどたどしく歩む教皇が死体でいっぱいになった半分廃墟になった都市の外のある丘の頂上で処刑されるのである - を含んでいるということを 道徳的に確実なものとする多くの証拠を再検討した。

私の著書の中で、私は、ローマで秋田の御出現に関して 伊藤司教と対面して協議された元ラッツィンガー枢機卿が元フィリッピン・バチカン大使ハワード・ディーに、ファチマのメッセージと秋田のメッセージとは「本質的に同じである」と語ったということを示している。しかしここに、聖母が1973年10月13日、まさにファチマでの太陽の奇跡のその記念日、にシスター笹川に語られたことがある:

前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰をくだそうとしておられます。そのときおん父は、大洪水より重い、今までにない罰をくだされるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々をうらやむほどの苦難があるでしょう。

そのとき、私たちに残る武器はロザリオとおん子の残された印だけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが、私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しはなくなるでしょう。


おそらく、「ファチマは終わった」というバチカン国務長官の「党路線」の教皇による撤回は、半分廃墟となった都市の外での「白い衣装をまとった司教」 - 未来の一人の教皇 - の処刑(ファチマのメッセージ)と「天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬ」火、「よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬ」火(秋田のメッセージ)との間の関連に何か関係がある。

他の何かが教皇にそのように促したであろうと考えることは困難である。教皇は、われわれがまだファチマで約束された汚れなき御心の勝利を見て来なかったと宣言するという、カトリックの伝統に有利になるようなその動き(そうだとされてきた聖ピオ十世会の司教たちの破門の免除を含む)のために世界中で攻撃されておられる。
 このことから、必然的な結果として、もしロシアの奉献が成し遂げられないならば、「さまざまな民族が絶滅させられるでしょう」というファチマでの警告に、世界は今なお直面しているのだということが帰結する。なぜなら、もし 1984年の「ロシアの奉献」が実際にそのようなものであったのならば、われわれは四半世紀後の今なお汚れなき御心の勝利を待っているということはなかったであろうからである。

バチカン当局のある人々が 何度ファチマを葬ろうと努めるとしても、教皇たちはそれについて語ることをやめることはできない - かつて(ラッツィンガー枢機卿として)ファチマ・メッセージ全体の地位を低下させることに熱心であったと思われた教皇でさえそうである - 。

 ファチマの聖母の諸々の約束と警告は 今なお非常に生き生きとしている。そしてこのようにして、われわれは希望の理由を持っている。しかしまた恐れの理由をも持っている。
 それゆえ、われわれは「東洋のファチマ」秋田の神の御母によって警告されたのである。




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posted by テレジア at 00:07| Comment(2) | TrackBack(0) | メッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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