2016年04月05日

お告げの祝日に(聖主の愛を信じるキリスト者は幸い)


お告げのマリア.jpg




 カトリック教会の典礼カレンダーでは、3月24日が聖ガブリエルの祝日、3月25日がお告げ(受胎告知)の祝日となっております。

 今年は、3月25日が聖金曜日に重なってしまったので、復活祭のオクターブ(一週間)が終わった後の月曜日、つまり昨日がその代替祝日になりました。

 私たちは、この日を大祝日として喜び記念します。

 なぜなら、この日、ガブリエルの「アヴェ 恩寵に満ちた方」という挨拶と「あなたは身籠って子を生む。その子をイエズスと名づけなさい。それは偉大な方で、いと高きものの子と言われます。」「聖霊があなたに降り、いと高きものの力の影があなたを覆うのです。ですから、生まれる子は聖なるお方で、神の子と言われます。」という言葉を受けたマリアが「お言葉のとおり、この身になりますように。」と拝諾した瞬間に、天地の創造主、神なるキリストは人間となり、この世に来られたからです。

 この瞬間に、私たちの救いの歴史が始まりました。

 ところで、以前、イスラム教の素朴な人と話したときに、「イエズスは血がある。血は汚いでしょ? だからイエズスは神じゃない。」と、言われたことがあります。
 イスラム教は、イエズスを救い主なる神と認めず、預言者の一人と見るのです。無限に偉大な神が、私たちと同じ血肉を持った人間となる、ということが信じられないのです。
 言い換えれば、神が人間の救いのために天から降る程の大いなる謙遜と愛が、信じられないのです。


 神なる主イエズスは、どれほど大きな愛を私たちに注いでくださったことでしょうか。
 普通には考えられない、驚天動地、信じられないほどのことなのです。

 この大きな愛を、恵みによって信じられる私たちキリスト者は本当に幸いです。
 信じた者のみが、この愛に満たされて真の命に到達することができるからです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。

2016年04月01日

4月の聖伝カレンダー


4月の聖伝カレンダーを作ってみました。
聖伝カレンダー4月(April).docx


復活節ですね。
聖人の祝日と略伝は以下の通りです。聖伝のものは現在のものと、少し聖人方の祝日が違うところがあります。

聖人の祝日が、日曜日(主日)や、より大きな祝日と重なったところは、そちらが優先されます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。


4月の諸聖人の祝日

4月2日 証聖者、パウラの聖フランチスコ
 フランシスコ会の支会の一つ「最も小さき者の会」(ミニミ)を創立したパウラの聖フランチスコは、霊的父なるアッシジの聖フランチスコの謙遜と清貧とを、生涯守りつづけた。
1416年イタリアのカラブリア州パウラで生まれ、1507年4月2日、フランスのプレシ・レ・トゥールにおいて、九十一歳で帰天。1519年5月1日列聖。

4月4日 教会博士、証聖者、司教、聖イジドロ
 スペインの教会の大聖人である。西ゴート族の侵入ののち、イベリア半島における公教会の再建者として有名である。スペイン・カタルヘナの名門の出身でセビリァ大司教レアンドロ、カルタヘナ大司教フルゼンツィオの二兄、妹で修道女のフロレンティナ、みな共に聖人である。長兄レアンドロ大司教の没後、その後継者となり、セビリァの教会を約四十年間司教として治めた。該博な知識を有し、百科的著述家といわれ、その著書は中世紀に最も弘く読まれたものの一つである。生年は560年頃。636年に没した。ベネディクト十四世の時教会博士にあげられた。

4月4日 教会博士、証聖者、教皇、大聖レオ一世
 教皇、教会博士である聖レオ一世は、二十余年(440年から461年まで)、アッティラがフン族をひきいてイタリアに侵入して来た時代に、公教会を治めた聖人である。
 この聖人の外交によって、ローマは破壊をまぬがれ、アッティラは、パンノニア国に去った。教皇は、また、当時の諸異端と戦った。
 彼の説教と書簡とは、教会教父らの残した著書のうちでも、特に美しいものであり、初代教会の典礼についての、貴重な文献でもある。461年11月10日没。遺物移転の日を祝日とした。1754年教会博士にあげられた。

4月8日 童貞、福者、ユリア・ビアール
 ナミュールのノートルダム修道女会の創立者、福者ユリアは、1751年7月12日、フランスのキュピイに生まれた。彼女は、フランス革命後の混乱のときに、人々にふたたび信仰を取戻させるべく、摂理によって選ばれた聖女であった。1804年2月2日、フランス・アミアンで同志とともに、修道女会を創立した。
 二十二年間病気に苦しめられたが、瞬時も神への信仰を失うことなく、1816年4月8日、六十五歳をもってベルギーのナミュールで帰天した。この修道会の主要目的は、少女教育、公教要理を教えることである。
1906年、聖ピオ十世によって福者にあげられた。

4月13日 殉教者、聖ヘルメネジルド
 スペインの西ゴート族の王で、アリウス派の異端の支持者であったレオヴィジルド王の子であったヘルメネジルドは、セビリァ(スペイン)の大司教、聖レアンドロによって、カトリックに改宗した。
 のちに彼は捕虜となり、父王の命によって、585年4月13日、殺された。

4月14日 殉教者、聖ユスティノ
 彼は異教徒の哲学者であったが、聖寵により、まことの上智が神より出ることを悟り、キリスト教に改宗した。その名著、「護教論」によって守りに立った信仰をのちに、自らの血でもって証認した。166年ローマで殉教。
4月14日 殉教者、聖ティブルツィオ、聖ヴァレリアノ、聖マキシモ
 聖女チェチリアは、祈りによって、夫ヴァレリアノを回心させたが、ヴァレリアノの回心によって、彼の弟ティブルツィオも信者となった。のちにこの兄弟は、偶像をすてたかどで、死刑に処せられた。この二人の、信仰告白の勇気を見て、回心したマキシモも、二人とともに殉教した。(230年ころ、ローマで)

4月17日 教皇殉教者、聖アニチェト
 アニチェト教皇はシリア人であった。聖ピオ一世の後を継ぎ、教皇の位についた。在位は、154-165年。数々の異端とたたかった。また聖ポリカルポはローマに来て復活の祝日の日決定の裁断を教皇に求めた。信仰のため血を流さなかったが、キリストのために苦しんだので、殉教者として崇められている。

4月21日 教皇博士、証聖者、聖アンセルモ
 聖アンセルモは、イタリアのアオスタに生まれ(1033年頃)、フランス、ノルマンディのベックのベネディクト会大修道院にはいった。
 のちに、同所の大修道院長となり、1093年には、イギリスのカンタベリー大司教となり、政府に対して、教会の権利を守って立ち、二回国外に追放されたが、敢然と戦い、終に教会に勝利をもたらした。1109年4月21日帰天した。
 その深い敬虔と学識とのために、1720年教会博士にあげられた。。

4月22日 教皇殉教者、聖ソテル、聖カイオ
 教皇ソテル(166-174年在位)は、マルコ・アウレリオ帝の治下殉教した。
教皇カイオ(283-296年在位)は、殉教しなかったが、信仰のためにはげしい拷問をうけたので、そのために殉教者に加えられている。

4月23日 殉教者、聖ジォルジォ
 カパドキア生まれの軍団兵であったジォルジォは、ディオクレツィアノ皇帝の迫害の時(四世紀のはじめ)、他の信者とともに殉教した。紀元800年以来英国の守護聖人であり、また十四救難聖人の一人である。

4月24日 殉教者、シグマリンゲンの聖フィデレ
 聖フィデレは、南ドイツのシグマリンゲンで、1577年生まれた。有名な弁護士として、またその愛と寛大さとのためにも好評をえていたが、生涯を、信仰の擁護とプロテスタント教徒の改宗とのためにささげようとして、1612年カプチン修道会に入った。フィデレとは修道名である(本名はマルコ・ロイ)。
祈りと仕事において、神との絶えざる通交のうちに生活していた。司祭叙品後、プロテスタントの改宗に活動し、スイスのグラウビュンデン州に布教に派遣され、好結果をあげたが、ゼヴィス町においてカルヴィン派の手にかかり、1612年の本日、殉教した。1746年列聖。
4月24日 童貞、聖女マリア・エウフラジア・ペッレティエ
 聖女マリア・エウフラジアは、1796年、フランスのノワモルティエに生まれ、庇護の愛徳女子修道会に入り、のちに、「よき牧者の修道女会」を創立し、キリストへの愛と多くの霊魂への愛とに献身し、愛徳事業に生涯をささげた。1868年4月24日永眠。1940年5月2日、ピオ十二世により列聖された。

4月25日 福音史家聖マルコ
 聖ペトロの弟子であり、一時、聖パウロの伝道旅行にもしたがった聖マルコは、エジプトに行って宣教し、そこの地で、強力な宣教と努力とののち、有名なアレキサンドリアの教会を創立した。第二福音書の著者である。

4月26日 教皇殉教者、聖クレト、聖マルチェリーノ
 聖クレトは、ローマ人で、三代目教皇(79-90年?在位)、ドミツィアノ皇帝のときに殉教した。聖アナクレト(祝日7月13日)と同一人であるらしい。
聖マルチェリーノもやはりローマ人で、296年から304年まで、教皇の座についた人である。ディオクレツィアノ帝の迫害の時殉教。
4月26日 よきすすめの聖母
 ローマ近郊のジェナツァノでは、よきすすめの聖母の奇蹟の聖絵が、五世紀前から大いに信心を集めている。

4月27日 教会博士、証聖者、聖ペトロ・カニジオ
 聖ペトロ・カニジオは、オランダのネイメーゲンに生まれ(1521年)イエズス会に入り(1543年)、ドイツにおけるルーテルの異端に対し、説教と著作をもってたたかいつづけ、「異端者への鉄槌」、あるいはドイツの使徒聖ボニファチオに対し「第二のドイツの使徒」と称揚された。最初の教理問答書の著者であり、ラインランド、オーストリアがカトリックの信仰を持続し得たのは、彼の活動努力の結果である。
 七十六歳をもって、1597年12月21日、スイスのフライブルクで逝去し、1925年5月21日、ピオ十一世によって聖人の位に上げられ、教会博士と宣言された。

4月28日 証聖者、十字架の聖パウロ
 十字架の聖パウロの生涯は、その修道名が示す如く、わが主イエズス・キリストの十字架と受難とへの熱愛という一言につきる。救主の受難と御死去を説教するを目的とする受難修道会を創立した。さらに数年後、同名の修道女会も創立した。
 パウロ・フランチェスコ・ダネイ(本名)は、1694年イタリアのピエモンテ州オヴァダで生まれた。
1775年10月17日、帰天。1867年ピオ九世により列聖された。
4月28日 殉教者、聖ヴィタレ
 兵卒であって、聖ジェルヴァジオと聖プロタジオの父親であった聖ヴィタレは、拷問されていた信徒たちを元気づけたかどで、171年、イタリア・ラヴェンナにおいて殉教した。
4月28日 聖ルドヴィコ・マリア・グリニョン・ド・モンフォール
 この聖人は、フランス・ブルターニュのモンフォールで、1673年1月31日、生まれた。サン・シュルピス神学校に学んで後、ポアティエの病院付司祭となり、1703年、ここに病者を世話する叡智童貞会を創立した。更に後にマリア宣教会も創立した。
親しみある聖母崇敬、小児に対する献身的な愛、完き克己、これが全く超自然に根ざす彼の聖徳の根本特徴である。
十七世紀末期において、第二のヴィンチェンツィオ・フェレリオとうたわれ、聖母マリアと主の御受難とに対する信心のために、特に有名である。彼の使徒的著作のうち、「聖母へのまことの信心」は、最も広く読まれている。1716年4月28日、サン・ロラン・シュール・セーヴル(フランス)で永眠した。

4月29日 殉教者、ヴェロナの聖ペトロ
 この聖人は、1205年頃イタリアのヴェロナで生まれた。両親はカタリ派の異端者であった。ドミニコ会に入り、異端者を回心にみちびく宣教に、特に熱心であった。
異端者たちの手にかかり、1252年4月6日に殺された。信経をとなえつつ帰天したといわれる。翌年(1253年)列聖された。
4月29日 大修院長、聖ロベルト
 ロベルトは1018年シャンパーニュ州(フランス)のトロアの近くで生まれた。十五の時、ベネディクト会に入った。のち、モレームの修道院の院長の職にあったとき、当時の弛緩した修道院生活にあきたらず、厳格な、刷新的生活をもって、修道院理想にまい進するため、修道院を去り、同志とともにシトーにおいて、1108年3月21日、聖ベネディクトの祝日に新修道会を創立した。これは創立地名にちなんで、シトー会と呼ばれている。1110年3月21日永眠。

4月30日 シエナの聖女カタリナ
 シエナの聖女、ドミニコ会の第三会会員聖女カタリナは、1347年イタリア・シエナのベニンカザ家に生まれた。幼少の時からイエズスの示現、脱魂等の特別な神の聖寵をうけた。後年、灰の水曜日から、御昇天の祝日までの間、断食を行って、聖体だけで生きることがあった。
彼女は、シエナでペストがはやったとき、大なる愛徳を示した。また、教皇聖座をアヴィニョンからローマに戻すために、神はこの聖女を起用し給うた。彼女はまた祈りと苦業の生活をつねにしていた。霊感にみちびかれた彼女は、神秘の著書を記し、聖痕をうけていた。
1380年、三十三才をもって、ローマにおいて、永遠の婚宴の席に昇った。1461年列聖。ピオ十二世は1939年6月18日付教皇書簡をもって、アシジの聖フランチスコ、シエナの聖女カタリナをイタリアの第一の守護聖人と定めた。

http://www.d-b.ne.jp/mikami/sancti.htm#6



にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。

2016年03月28日

イスラム国 ISISに誘拐されたトマス神父様のために祈りましょう


Pray-for-FR-Tom.jpg



 皆様、ご存知のように、3月4日に、イエメン(Yemen) のアデン(Aden)で起こったISIS によるカトリック老人施設への襲撃で、マザーテレサの会の修道女4人を含む16人が殺害されました。

「蛇の頭を踏み砕く」という聖書の言葉をからかうためか、シスターたちは銃殺された後、頭を砕かれたのだそうです。





シスターたちの亡くなった施設.jpg



亡くなったシスターの二人.jpg




 その恐ろしい襲撃の際に、シスターたちのためにミサを捧げ、施設でチャプレンを務めていたサレジオ会司祭、トマス・ウズナリル神父様( Fr. Thomas Uzhunnalil )が、ISIS に連れ去られてしまいました。
ネットなどに流れた情報によると、テロリストグループ ISIS は、トマス神父様をしばらく拷問したのち、聖金曜日に磔にして殺す予定でありました。


トマス神父.jpg



 昨日、そのトマス・ウズナリル神父様が亡くなったと、オーストリアの枢機卿様によって確認されたそうです。

 確実な情報と教会の公式発表が待たれるところですが、その間も、どうぞ引き続き、トマス神父様のためにお祈りください。

 また、4人のシスター方と12人の亡くなった方々、そしてISIS によって残酷に殺されたすべての人々のためにも祈りましょう。

亡くなった4人のシスター.jpg




 テロリストの攻撃と死の恐怖にもかかわらず、多くの人々が、内戦やテロで荒廃した中東での犠牲者のために、ボランティア活動を続けています。
 カトリック教会も(亡くなったシスター方のように)危険に直面しながらも、忠実に義務を果たし続けています。
 危険な地域で働く聖職者方、修道者方のためにも、共に祈りましょう。



参考にした元記事はコチラ
Fr. Thomas Uzhunnalil was crucified by ISIS on Good Friday
http://torontocatholicwitness.blogspot.com.au/2016/03/breaking-fr-thomas-uzhunnalil-was.html

http://www.catholic.org/news/international/middle_east/story.php?id=68083

http://blog.godreports.com/2016/03/nun-miraculously-survived-isis-attack-that-killed-16-at-old-age-home/

http://mattersindia.com/2016/03/indian-salesian-priest-crucified-on-good-friday/


にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。










.

 

2016年03月27日

御復活祭2016

 +聖主の御復活祭おめでとうございます。

復活の主日、朝のミサに与ります。

すべての人々の上に、主の御旨が行われますようにお祈りしております。


復活のイエズス.jpg


にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。









2016年03月24日

聖木曜日


聖木曜日です。

沈黙のうちに祈り、孤独なイエズス様と1時間を共に過ごします。

カトリック信者である恵みを心から感謝します。


ゲッセマニの園の祈り.jpg



にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。

2016年03月19日

聖ヨゼフ様の御絵をいくつかご紹介します


3月19日は聖ヨゼフ様の祝日ですね。

今日の御ミサと、ノベナ&聖体降福式にも与ることができました。感謝です。

ヨゼフ様の、きれいな御絵を、いくつかご紹介したいと思います。



聖ヨゼフ1.jpg




聖ヨゼフ4.jpg




聖ヨゼフ3.jpg




聖ヨゼフ2 夢.jpg




聖家族2.jpg




聖ヨゼフ、我らのために祈り給え。アーメン。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。







2016年03月02日

3月の聖伝カレンダー

復活のキリスト.jpg


3月の聖伝カレンダーを作ってみました。

聖伝カレンダー3月2016.docx



今年は、復活祭が3月の最終週に来ます。
聖人の祝日と略伝は以下の通りですが、復活節の大祝日と重なったところは大祝日が優先されます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。



【3月の諸聖人の祝日】

3月4日 教皇殉教者、聖ルチオ一世
 聖コルネリオ教皇の後をつぎ、253年6月25日から254年3月5日まで教皇であった。異端者に対するたたかいのために再度国を追われた聖ルチオは、ガロ皇帝の迫害の時斬首された。(254年)


3月6日 殉教者、聖女ペルペトゥアと聖女フェリチタ
 貴族の出で、母になったばかりのペルペトゥアと、その奴隷女で、妊娠中だったフェリチタとは、信仰のためにとらえられ、裁判官の前で、勇敢にキリストを宣言し、拷問をうけて、カルタゴの円形劇場で、殉教した。(203年頃)


3月7日 教会博士、証聖者、アクィノの聖トマ
 「天使的博士」と称される聖トマは、アクィノ伯の居城(南イタリア)に1226年生まれ、モンテ・カッシーノのベネディクト会修道者から教育をうけた。のちにドミニコ修道会に入り、比類なき明白さと深遠さとをたたえられつつ、神学哲学を教授し、「神学大全」その他の名著を残した。この本は今も神学の最高峰として読まれている。「アクィノの聖トマの光栄は、人類の光栄である。かれは、人類の最も高き天才の一人だからである。かれは公教会の光栄である。かれは、最も正確に、深く、神学を証明しえたからである。更にまた、キリストの光栄である。キリストはこの高遠な、しかも謙遜な、かれの著作を、自ら証認し給うたからである」(ゲランジュ)
聖トマは、第十四回公会議(リオン第二会議)に行く途中、ローマの近くフォッサ・ヌウオヴァのシトー会修道院で、1274年3月7日帰天した。1323年列聖。1567年教会博士に、1880年カトリック諸大学、研究所の守護聖人にあげられた。


3月8日 証聖者、聖ヨハネ・デ・デオ
 聖ヨハネは、1495年ポルトガルで生まれ、病人を看護する修道会を創立した。この修道会は、看護修士会、または神の聖ヨハネ病院修士会という。四十歳のとき、世俗の生活をすて、以後全く神の聖旨のままに生きた所から、ヨハネ・デ・デオ(神のヨハネ)と呼ばれる。ヨハネは自分の生命をすてて、病人のために献身した。1550年、五十五歳をもって、スペイン・グラナダで没した。
1660年列聖。1886年レオ十三世教皇により、病院と病者との守護者と定められた。


3月9日 ローマの聖女、フランチスカ
 ローマの貴族未亡人、聖女フランチスカは、聖ベネディクトの戒律によって生活する献身者の修道女会を創立した。長い結婚生活にあって、キリスト教的な妻の範をしめし、夫が死んでから、さきに自分が創立した修道会に入った。神秘的な賜をうけた彼女は、自分の守護の天使を見ることが出来た。1440年、五十六歳で帰天した。1608年5月29日、パウロ五世により列聖。


3月10日 殉教者、セバステの四十聖人
 この四十人の聖人は、アルメニアのセバステにおいて偶像にいけにえをささげることを拒んだローマ軍団兵である。多くの拷問をうけてのち、凍りついた夜、水の中にしずめられ、遂に足を折られて殉教した。320年頃のことである。


3月12日 教会博士、証聖者、教皇、聖グレゴリオ一世
 ベネディクト会の光栄の一人、聖グレゴリオ一世は、ローマとコスタンティノープルとにおいて、宗教上、政治上の、重要な役割を果たし、のちに衆望により教皇に選ばれた。教会の規律遵守、イギリス改宗への念願、聖書解釈、典礼と聖歌への情熱などにより、永久に歴史に残る貢献をし、604年3月12日没した。
教会の聖歌をグレゴリアンと称するのは、彼の名からとったためである。


3月15日 聖女ルドヴィカ・ド・マリアック
 1934年に列聖されたルドヴィカ・ド・マリアックは1591年8月12日パリに生まれた。夫の没後、聖ヴィンチェンツィオ・ア・パウロの指導のもとに、愛徳の業を行い、かれとともに愛徳女子修道会を創立した。1660年永眠。この会の目的は、人々のあらゆる苦しみの面に手をのばし、かれらを助けいたわることである。


3月17日 証聖者、司教、聖パトリツィオ
 聖パトリツィオは、アイルランドの使徒といわれている。少年時代に、蛮族の奴隷としてとらえられたが、脱走してローマに来た。のちに司祭、司教となり、チェレスティーノ教皇によって、やがて”聖人の島”と呼ばれるはずの、アイルランドに布教におくられた。
461年没し、キリストの福音の熱烈な使徒とうたわれた。3月17日は、アイルランドでは国祭日であり、また守るべき祝日でもある。

3月17日 キリスト信者発見の、童貞聖マリア
 1865年3月17日、新築間もない長崎の大浦天主堂に来た一団の人々が、プティジャン師(パリ外国宣教会)に、聖堂内の聖母マリア像の前で、浦上旧信者の子孫であることを名のり、「サンタ・マリアの御像はどこにありますか」とたずねた。聖母マリアの恵みとしての、この旧信者発見を、本日、日本の教会で祝うのである。


3月18日 教会博士、証聖者、司教、エルザレムの聖チリロ
 聖チリロは、棄教者ユリアノ皇帝のころ、エルザレムの司教座についていた。求道者に道をとく役を行っていたころ、彼のあらわした教理の本は有名である<集祷文>。
アリウス異端派に対するたたかいのために、三度も司教座をおわれ、386年帰天した。1882年教皇レオ十三世は、この祝日を全教会で祝うことを規定し、教会博士にあげた。


3月19日 聖マリアの浄配 証聖者、聖ヨゼフ
 神の御母聖マリアの浄配であり、神の御子イエズスの養父であった聖ヨゼフは、その生存中は、謙遜なかくれた生活をおくったので、教会史においても、ながらく表面にはあらわれなかった。
本日の祝日についての歴史がはじめてあらわれたのは、十世紀のころである。この日は、イエズスとマリアとに見おくられて去った、聖ヨゼフの光栄ある死の祝日である。
 この聖なる死のために、聖ヨゼフは、よき死をむかえる準備をする保護者とされている。十五世紀以来、聖ヨゼフに対する信心は、ますますひろまった。


3月21日 大修院長、聖ベネディクト
 歴史の転換期において、神は偉大な聖人をおくって教会の、人々に対する使命を達成するのを助け給うのである。ローマ帝国の崩壊、蛮族が欧州の天地を席捲している際にも、聖ベネディクト、聖グレゴリオ一世が相次いで起ったのである。西方教会の修道生活の太祖ともいうべき聖ベネディクトは、480年、ウムブリア(イタリア)のノルチアに生まれた。
彼は、神の聖旨にかなうことのみを求め、少年時代にスビアコの洞穴に隠退し、数多くの弟子がその後を追って来るようになったので、年へて、529年、有名なモンテ・カッシーノの修道院を立てた。547年3月21日、モンテ・カッシーノ修道院聖堂内で六十七歳の生涯をとじた。ベネディクト会における公式祝日は7月1日である。
 この修道院は、ベネディクト修道会の、ようらんである。中世に至って、聖ベネディクトの戒律は、修道生活の法典となり、この修道会は、福音宣教と、そしてヨーロッパ文化の中枢となった。


3月24日 大天使、聖ガブリエル
 聖マリアのお告げを祝う前日のこの日、神の御言葉を告げた大天使ガブリエルを祝う。


3月25日 聖マリアのお告げ
 聖マリアは、原罪をまぬがれ、ふさわしく神の御母となるべく準備されていた。そして、神の御母となったことは、マリアの童貞性を汚すことではなかった。むしろ教父たちのいうように、その童貞性は聖別せられたのである。
聖母マリアにおいて、本日、イザイアの予言が成就した。<書簡>マリアの「なれかし」という返事は、神と人間との間の契約を、永久不変のものとした。御託身の神の国には、もう終わりがないのである。<聖福音>


3月27日 教会博士、証聖者、ダマスコの聖ヨハネ
 東方教会が生んだ最後の博士、シリアのダマスコの聖ヨハネは、聖画像破壊の異端者に対する功績のため、またその神学上の著作のために特に有名である。
聖画像への尊敬を守ろうとする熱心のために、レオネ・イザウリコ皇帝から目をつけられ、その右手を切られたが、しかし、のちに奇蹟によって医された。754年帰天、レオ十三世の時、教会博士にあげられた。


3月28日 証聖者、カピストラノの聖ヨハネ
 イタリアの小さな町カピストラノに1386年生まれた。フランシスコ会司祭。同会のシエーナの聖ベルナルディーノと清い友情に結ばれていた。巡回説教家として多くの人を悔悛にみちびき、またイエズスの聖名に対して篤い信心をいだいていた。トルコ帝マホメット二世がコンスタンティノープルをおとしいれた余勢をかって、ベルグラードに進撃した際、教皇カリクスト三世の命により十字軍を説き、ハンガリア人、フンニャディ・ヤーノシュの助けを得て強力なキリスト教軍隊を結集し、トルコ軍をベルグラードに破った(1453年)。このたたかいによって、回教徒は、ヨーロッパ侵入をはばまれたのである。1456年10月23日帰天した。レオ十三世はその祝日を3月28日とし、全教会で祝うことを規定した。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
カトリックブログランキング- よろしければ、めでたしひとつと クリックひとつ お願いします。









.
タグクラウド