2018年07月04日

文語と口語の洗礼式の文


実は、昨年の11月26日(王たるキリストの祝日)に、私が父に緊急洗礼を授けていました。

その前日には、父が、「洗礼を受けます」と、言いましたので、準備をしました。
父は具合が悪く、在宅酸素療法を続けていて、いつ何かあっても覚悟ができているように、と医師に言われておりましたし、私が次に実家を訪問するのは翌年5月の予定でしたから、その前に もしものことがあってはいけない、と思ったのです。

「我、父と子と聖霊との御名によって汝を洗う」と、文語で覚えていましたが、
絶対に間違えないようにと、言葉を検索して再確認しました。
でも、父のパソコンは年代物で、肝心な時にうまくいきません。その日のうちに出発しなければならない私は焦りました。自分のブログも出せず、出たのは、カトリック協議会の口語の文でした。

それで、「ヨゼフ、私は父と子と聖霊との御名によって、あなたに洗礼を授けます。」と言いながら、3回聖水を流して、洗礼を授けました。
その前に、私と母とで、使徒信教、主祷文、天使祝詞、栄唱を一度ずつ唱えて、父は一つ一つに「アーメン」と答えました。

私は、とても緊張していたのです。また、最後まで、文語にしようか、口語にしようか迷ったのもあります。それで、洗礼を授ける言葉の「私は」、と「あなたに」を、忘れたかもしれないのです。

日本語は省略の言語です。なので、話し言葉では意味が通じるんですね。「愛してる」とか。
でも、秘跡の形相として、主語も目的語も無しは、どうでしょうか?

きっと、お優しい天主様は、私の意図を汲んで有効な秘跡にして下さったでしょう。
でも心配でした。
それで、3月に父の具合がとても悪くなったときに、小野田神父様にお願いして、条件付きの洗礼を授けていただきました。

条件付きの洗礼(あるいは堅信)とは、もし霊的に最初のものが有効であればそれで良い、もし有効になっていなかった場合は、あとのものが秘跡として有効になる、ということです。

いずれにしても、神父様に、良い洗礼式をしていただき、安心しましたし、多くの祈りも捧げていただき、本当に良かったと思いました。
私は、大人の洗礼式が、あんなに長くかかることは覚えていませんでした。


それにしても、こんなに大事なことには、日頃から良く準備ができていないといけない、そしてやはり、文語で、「我、聖父と聖子と聖霊との御名によって汝を洗う」(われ、ちちとことせいれいとのみなによってなんじをあらう)と、しっかり覚えていなければ、と思いました。
文語だと、うっかり間違えて言葉を抜かす、ということは、まず無いんですね。ひとくくりのようになっていますから。

全ては主の御摂理のままに。
感謝のうちに。


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2018年06月27日

父の永遠の安息を願い祈っております

父の最後の頃のことを、思い出しております。

父は、今年の3月に、トマス小野田神父様から、洗礼を受けました。

聖伝の大人の洗礼は、入会式、払魔式など含み、小一時間ほどかかります。
父は、じっと神父様のラテン語のお祈りを聞いているようでした。
長くかかるので、疲れて、「もういい!」などと言い出すのではないかと心配しましたが、洗礼式が終わると、父は「神父様もたいへんですな」と、逆に労っていたので少し驚きました。

そして、「これからカトリックとしてどうすればいいのですか?」というようなことをお聞きしていました。
神父様は、「マリア様にお願いして下さい。マリア様、助けてください。マリア様、守ってください、と毎日、おっしゃって下さい」と、答えておられました。
それを聞いていた私は、その時は「なんだか、子供にものを言うような感じだな」と、思っていました。
でも、その後、数カ月で逝ってしまう父には、それが精一杯で、一番良い言葉を教えていただいたのだと後になって分かりました。
今は、父のために、私が毎日その祈りを唱えております。

6月10日に、父が亡くなったと連絡が来て、私はすぐに日本の実家に帰り、施設の1階にある霊安室に置かれていた父の遺体と対面しました。きれいな顔をしていました。
そして葬儀まで数日を、祈りながら亡き父の部屋で過ごしました。

その頃、
「神様は、本当に良いお方だ。
それを、私の大きな勲章としてくださったんだよ。」
という父の声を心に聞きました。

「神様は本当に良いお方だ」と、いう部分は、いかにもしみじみとした言いっぷりで、おそらく父は、裁き(私審判)の場でそれを目の当たりにして、本当によく理解したのだろうと思いました。

葬儀が終わって直後の日曜のミサは聖心のミサで、昇階誦は詩篇24,8−9でした。
「主は正しく良い御者にてまします。
故に主は、直(すぐ)なる道から外れた人々に、救いの法を示し給う。
主は柔和な人々を正義によって導き、へりくだる人々に主の道を教え給う。」

それを読んで、主が私たちを救って下さったことこそが、主の深い憐れみによるもので、主が本当に良いお方であることを表す最大の業なのだと悟りました。
良き主が、父も救って下さっただろうと思いました。主には人々を救いたい御望みしか無いのです。
主の裁きの時に、私たちの罪については最大限の情状酌量を加えて下さるであろうこと、そして私たちの僅かばかりの良い行いについては最大限に評価して下さるのだということも理解しました。私たちの行う善業は取るに足らないものなのですが、お優しい主はそれをとても喜んで下さり、たくさん報いて下さるのです。

そして、父の言う「それ」というのは、私が修道生活を志し観想修道会に入った時に、父がまったく反対しなかったこと、聖主は、そのことで自分の一人っ子を捧げた父として報いて下さったのだと悟りました。
私は、結局はその修道会を去らなければならなかったのですが、それでも、当初、私が一生行ってしまうと思いながら、私や孫との将来もあきらめて、喜んで遠方の修道会に行かせてくれた父の優しい気持ちを、良き主は汲んで下さったのです。
その時、父がまだ未信者だったことを思えば、本当にすごいことだったと思います。何度か出張で近くに来た時は、訪ねてくれました。
思い出してみれば、私が6歳の時、母と一緒に洗礼を授かってから、私たちが教会に行くことに、父は一度も反対しませんでした。

「預言者を受け入れるものは、預言者の報いを受ける」という聖書の言葉がありますが、子供を主への奉仕に捧げる全ての両親には、大きな報いがあるでしょうと思います。両親も本人も、将来のことについては、本当にお優しい主の御摂理にお委せすることができますように、と祈ります。多くの司祭、修道者の召命がありますようにと祈ります。
そして、私の父の永遠の安息も祈っております。

父は3月に具合が悪くなり、一度持ち直したので、私はオーストラリアに戻り、4月7日に長女の結婚式をすませて、5月に日本に帰り、しばらく一緒に過ごすことができました。
結婚式のきれいな写真も見せることができ、、父も「よかったね」と、とても喜んでくれました。
家族皆が幸せな時、幸せな気持ちで旅立って行けて良かったと思っております。

トマス小野田神父様も、御多忙の中、遠方からお越し下さり、葬儀ミサを捧げて下さいました。
私の長男も、オーストラリアから飛んできて、侍者をしてくれました。
多くの方々が参列して下さり、とても良い葬儀になりました。

すべてについて感謝しております。
皆様のお祈り、メッセージ、コメントにも、心から感謝しております。
本当にありがとうございました。

私事ではありますが、御心配下さった皆様に今の私の気持ちを分かち合いたく、書かせていただきました。
感謝と祈りの内に。
テレジア マルガリタ





posted by テレジア at 06:17| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

お祈りをお願いします。

  

イエズス様の聖心の月ですね。

昨日6月10日の夜、8時ごろ、父が逝きました。

父の洗礼名はヨゼフです。

みなさん、どうぞ、お祈りくださいませ。



主よ、永遠の安息を彼に与え給え。
聖母マリア、我らのために祈り給え。
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え。











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posted by テレジア at 01:00| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月05日

御復活後の水曜の福音

遅ればせながら、御復活祭おめでとうございます。

もう、御復活後の水曜ですね。

めちゃくちゃ忙しい中、今日も御ミサに行けて感謝です。

今日の福音は、とても心に響くものがありました。
聖ペトロ様の心中を思うと、なんとも言えない気持ちになります。

。。。。。。。。。。

今日の聖福音(ヨハネによる聖福音の続誦 21ノ1−14)

そのころ、イエズスはティベリアデの海辺で、弟子たちに再びあらわれ給うた。そのあらわれは、次のとおりである。
 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマ、ガリレアのカナのナタナエル、ゼベデオの子ら、そして他の弟子二人が一緒にいた。シモン・ペトロが「私は漁に行く」と言うと、彼らも「私達も一緒に行く」と言った。出て、舟に乗ったが、その夜は何も獲れなかった。
夜明けごろ、イエズスが海岸に立ち給うたが、弟子たちは、それがイエズスであると知らなかった。 イエズスが、「子らよ、食べるための魚があるか」といい給うと、彼らは「ありません」と答えた。 「舟の右の方に網をおろせ、そうすると、とれるだろう」とおおせられた。それで網をおろすと、魚は多くて、網を引き上げることも出来なかった。
イエズスの愛し給うた弟子は、ペトロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは、「主だ」と聞いて、裸だったので、上衣を着て海に飛び入った。陸からわずか五十間ばかりしか離れていなかったので、他の弟子らは、魚の網を引きながら舟できた。
陸にあがると、炭火があって、その上に魚があり、また、パンがあるのも見た。 イエズスは、「今とった魚を持ってきなさい」とおおせられた。シモン・ペトロは舟に行って、網を陸へ引き上げた。百五十三びきの大きな魚でいっぱいだった。それなのに、網は破れなかった。イエズスは、「来て、食べよ」といい給うた。弟子たちは、彼が主であると知ったので、「あなたは誰ですか」とあえて尋ねる者はなかった。 イエズスは近づいて、パンをとり、彼らに与え、魚もまたそうし給うた。 イエズスが死者の中からよみがえってのち、三たび、弟子たちにあらわれ給うた次第は、以上のごとくであった。

。。。。。。。。。。。。




 今日の福音の箇所は、デジャブというか、聖ペトロ様にとって、いつかのあの日と同じ光景。
一晩中、漁をしても何も獲れなかった時、網を下ろしてごらん、という御言葉に従って網を下ろした時の思いがけぬ大漁、網が裂けないのが不思議なほどのたくさんの魚。


 三度も主を否んだ惨めさに打ちひしがれていたであろう聖ペトロ様に現れて、また同じ奇跡をなさった聖主イエズス。

「おまえは 今よりのち、人をすなどるであろう」との、あの日の御言葉が思い出されます。



 弱い自分、ダメな自分、それでも。。。主の漁師、人々の牧者になるのだろうか。。。

この後、主イエズスは、三度、聖ペトロ様に尋ねます。
「私を愛するか?」

 私たちは、皆、弱い。弱くても、ダメダメでも、主の牧者となるために求められるたった一つの条件は、「主を愛していること」なのかもしれません。


 私たちの初代の教皇様は、決して完璧な人ではありませんでした。
でも、私は、なんとも一生懸命な聖ペトロ様が、とても好きです。

「主だ」と言われて、もう無我夢中で舟から飛び降りてバチャバチャと水を蹴立てて走っていく聖ペトロ様。主のそばに行っても何を言っていいかわからない、思いが大きすぎて言葉にならないで立ち尽くしている様子が目に浮かびます。

 主を否んだ後、生涯、涙が二筋、頬を伝っていた、という言い伝えもあります。

それ程の痛悔を持ちたいものだと思います。
愛と信頼とともに。

。。。。。。。。

【関連記事】
聖ペトロの召命(今日の福音より)
http://akitadiary.seesaa.net/article/451437426.html?1522832728



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2018年02月21日

ご聖体の内にまことに在すイエズス様を表す奇跡


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聖体降福式が、今月は東京と大阪でも行われたようですね.
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/3c724dc17a64869d3e6a1c003a9beb75?fm=rss

多くの方々が、心を込めて祈り、礼拝に参加なさったそうで素晴らしいことです。
こういった祈りは、必ず聖主をお慰めすると思います。


ところで、シンガポールのSSPXの聖堂でも、時々、聖体礼拝が行われています。
今月の初金曜日の前晩から、聖体の徹夜礼拝が行われている時に、美しい奇跡がありました。
イエズス様が、ご聖体の内にまことにましすことを示されたのだろうと思います。
知人がメールでビデオとメッセージを送ってくれました。




シンガポールの知人からのメール:

 「これ、すごくないですか?
 この事は、まず1月の初金曜日の午前1時20分、私たちが教皇様とローマのために祈っている時に起こりました。
 その時は、私たちは、天井の電球のせいだと思って、気にしなかったんです。
 そして、2月の初金曜日にも、私たちが、ローマと教皇様のためにロザリオを祈っていると、また、1時20分に光り輝いたんです。
 この時には、私たちは皆、天井の電球のせいじゃなく、光は御聖体(御聖櫃)から放たれていると気がついたんです。
 これこそ、ご聖体における聖主の実在と聖体礼拝の重要性を表すものでしょう。」

「 Isn’t it amazing....FYI it happen in jan first Friday at 1.20 am when we prayed for the pope and Rome n we thot it was the bulb on the ceiling so we ignore it. Then on Feb first Friday again when we prayed the rosary for Rome n the pope n it again light up at 1.20 am. This time round we realise it wasn’t the bulb on the ceiling but light was coming out from the tabanacle. This only shows the importance of adoration and the presence of the Lord.」

。。。。。。


美しく光り、瞬いていますね。
影がどこにもできていないのが不思議です。
優しいイエズス様が、「私はここにいますよー」と仰っているかのようですね。

私たちの肉身の目に、奇跡が見えても、見えなくても、イエズス様の実在自体が奇跡です。
清い心で主を礼拝する人々は、皆、霊的に大きな恵みを受けていると思います。

ご聖体の内にまことにまします聖主イエズス様に、できる限りの賛美をお捧げしましょう!



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2018年02月15日

四旬節になりました


昨日は「灰の水曜日」。ミサに与り、額に灰を受けてきました。
四旬節が始まりましたね。

主の受難を黙想し、節制し、自分なりに克己の精神で生活できますように、と願います。

教会が勧める、四旬節の務めは、祈り、犠牲、施しです。
知人が分かりやすい表を送ってくれました。


photo-11.JPG

訳文:
四旬節が始まります。知っておくべきこと

灰の水曜日は、2月14日(バレンタインデー)

四旬節は、40日間(日曜日を除く)

四旬節の3つの柱は、祈り、断食、施し、です。

灰の水曜日と聖金曜日は、大斎(一食普通に、二食は軽く)と小斎(肉や肉汁なし)をします。

四旬節のすべての金曜日は、小斎(肉や肉汁なし)をします。



犠牲の基本は、食事の節制と習いました。
四旬節の間は好物を断つように、子供達に勧める聖伝派カトリックの家庭は多いです。
皆、「君は、何をギブアップするの?」などと聞いたりします。一番多いのは甘いもの、ですね。チョコレートとか、アイスクリームとか。
テレビを見ない、というのも多いですね。

昔、四旬節にはタバコを犠牲にする、という神父様がいらして、四旬節の間はムチャクチャ機嫌が悪くなったとかで、信者は皆、大変だったそうです。まあ、みんなで我慢するのも良し、というか。。。

皆さんは、どんな四旬節を過ごされる予定ですか?


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2018年02月11日

脳につけるマイクロチップの絶大な効果と驚愕の結末


ヨハネの黙示録 
彼のたくらみで、偉大な者、小さな者、貧しい者、富む者、自由民、奴隷のすべては、右の手と額にしるしをつけさせられた。
獣の名、あるいはその名の数をしるされている者の他は、誰も売買することが出来ぬようにするためである。
知恵はここに必要である。知恵のある者は、獣の数字を数えよ。
それは人間の数字であって666である。
(ヨハネの黙示録13章16〜18)



Screen Shot 2018-02-05 at 7.06.05 PM.png

Screen Shot 2018-02-05 at 7.06.43 PM.png

 

前記事で説明した「獣のしるし」だろうと言われている FRIDマイクロチップの人間への実装は、すでに始まっています。


 下の動画は、米国ウィスコンシン州の会社が、社員の約半数の希望者の手にマイクロチップを埋め込んだ日の様子で、「チッピング・パーティー」と称して、賑やかに宣伝しています。

 Tシャツには、「I GOT CHIPPED!」と書かれていて、「チップつけたよー!」みたいな感じですか。



社員にマイクロチップを勧める企業(米国ウィスコンシン州)
US: Wisconsin company offers optional microchips for employees



今のところは、「希望者のみ」ということですが、断るのはだんだん難しくなるでしょう。チップをつけていない人が少数派になるほど、使えないヤツだ、とか面倒なヤツだ、とか阻害されるようになるだろうからです。

300ドル(約3万円)もするチップの費用は会社持ちですし、このケースは、先端技術の会社のむしろエリートたちでしょう。


 が、生活保護者とか、身障者も、国や自治体の給付金やサポートを受けるために、マイクロチップを受けなければならなくなる、という米国の話も読みました。不正受給を防ぐために、ということですが、そうなってくると、困窮する人たちはチップを受けざるをえません。


 また、一般には、手をかざす動作に慣れさせるためか、指輪がまず普及しそうです。我が家にも「クレジットカードを指輪型に変えませんか?」とのお誘いが来ています。高機能で、防水で、29ドル(約2500円)です。
 指輪を使うのも、埋め込んだマイクロチップを使うのも、手の動作としては、ほぼ同じですから巧いアイデアだと思います。
 
 失くしたり、盗まれたりする人が出て、やっぱりマイクロチップでないと、という流れになりそうですね。


役に立つスマートリング
Token’s smart ring is so helpful, it would make Tolkien jealous


https://www.digitaltrends.com/wearables/token-smart-ring-for-payments-passwords/



。。。。。。。。。



 ところで、黙示録の一節には「彼のたくらみで手と額にしるしを付けさせられた」とあるので、「では額の方は?」と、思われた方もあるでしょう。
 額の「獣の印」とは、おそらく脳につけるマイクロチップのことで、これについても準備が進んでいます。



脳にコンピューター・チップ/フューチャー・スコープ
Computer Chips in Your Brain | Futurescape





 これも上の動画のように、良いものとして紹介され、すでにプロパガンダが始まっています。

* 落ち着きのない子供、ぼんやりした子供も、しっかりとしたハキハキ話せる賢い子供になる。

* わずか数週間で新しい言語が話せるようになる。

* 記憶の容量が飛躍的に大きくなる。

などなど。(下の動画、1:02:07 ~ 1:03:33)


これは幾分かは事実で、良い側面はあります。
しかし、脳につけるマイクロチップは、外から行動や思考をコントロールされるという非常に危険な側面もあります。







 脳につけたマイクロチップ(エレクトロと呼ばれていた)でコントロールすることは、ずいぶん以前(1960年頃)から、動物で実験されていました。
 上の動画の 58:50:00 あたりから、闘牛で有名なスペインで、獰猛な雄牛の脳にマイクロチップをつけた実験の様子です。 
 赤いマントで煽ると雄牛が猛り狂って突進していきますが、外から脳にシグナルを受けたとたんに止まり、うろうろとしています。猛り狂う感覚が失われるのでしょうか。
 このような実験で、雄牛の筋肉や反射(的行動)を遠隔操作できることが証明されたようです。
 その次の猿の実験は、さらに進んで、特殊な磁場を作ることによって、チップなしでも脳をコントロールすることができる、というものです。


 (余談になりますが、集団ストーカーという社会現象があり、組織的ストーカーたちは、ターゲットになった人の脳に対してイタズラをすると言われています。脳内にシグナルを送られて、頭の中に絶え間無く声がするようになってしまいます。このテクノロジーの一種の人体実験です。*注1)



 動画の 59:20~ 59:33 で、ホセ・デルガド博士という人が、
「(脳のコントロールには)素晴らしい可能性がある、外から脳の働きを調節できる、脳内にメッセージを送ることもできる。」と言っています。

さらに、59:42 ~ 59:51では、
「脳のあらゆる機能、感情(と理性)、理論構築(相互作用)、人格(の形成)などを修正、調節できる」とも言っています。

 最後の方 (1:00:30 ~1:00:55) で繰り返されているのは、
「もし、動物の脳にエレクトロ(マイクロチップ)を埋め込むことが可能ならば、人間の脳にもできるんじゃないか?」という言葉です。

。。。。。。。。。。。。。


  すでに、チェス(将棋)や囲碁などでは、人間の最高峰である名人級の人たちが、人工知能にかなわなくなっています。人工知能は、一人の人間が百万年かかっても習いきれない量のあらゆる定石や過去のプロ棋士の対局を閲覧して習得し、勝負に生かすことができるからです。
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22407340Y7A011C1TI1000/


 脳のマイクロチップで、直接コンピューターとデータのやり取りができるようになると、マイクロチップを付けて脳のキャパシティを増した人々と、自然のままの人々との能力の落差が大きくなるでしょう。数十カ国語を話せるのが当たり前の人々と、一つの言語しか話せない人々という風に。
 お金のある人々は、むしろ喜んで、脳にマイクロチップをつけるようになるかもしれません。

 上から2番目の動画(脳にコンピューター・チップ/フューチャー・スコープ)の一番最後(2:50〜)に話しているJack Uldrichという人は、「まず財力のある人たちが脳のマイクロチップを付けるようになり、超人的な能力を使って世界の権力を一手に納めるようなことになる危険がある」と懸念しています。


 しかし、いくら超人的な能力を手に入れても、脳にマイクロチップをつけたら、さらに上の権力を持つ人々に隷属することになるのは間違いありません。
 それで、従順で能力の高い人々が、ある指図に従って、社会全体を一つの方向に向かわせるようになるだろうと思います。
 それは究極的には、命令が来たら、すべての人々が平伏して「獣」を礼拝する、ということでしょう。


地上に住む人々で、屠られた子羊の命の書に世の初めからその名を記されなかった人々は皆、彼を礼拝するであろう。
耳ある者は聞け。捕らわれる者は捕われ、剣で死ぬ者は剣で殺される。
こうして聖徒たちの忍耐と信仰が現れるのである。(ヨハネの黙示録13:8〜10)


 まだ、時間はかかるかもしれませんが、いずれは、

「獣の像に命を与えて口をきかせ、獣の像を礼拝せぬ人々を皆殺しにすることを許された」(ヨハネの黙示録13:15)

という時代も来るでしょう。



 「獣の印」について、黙示録には「知恵はここに必要である。知恵のあるものは獣の数字を数えよ。」と、命令形で書かれています。

 聖書に聞き従う、ということは、神の意に添うことなので、こういった命題についてあまり興味のない方々も、少し考えてみることも良いと思います。
 上の言葉は、「あなたの知恵を使い、獣の数字の意味を認識せよ。」という意味に受け取れると思います。

 また、聖主イエズスも、
「蛇のように聡く、鳩のように素直であれ。」(マテオ10:16)
と、おっしゃいました。

素直な心で祈ることが一番大事ですが、聡く知恵を使って悪を避けることも必要なのだと思います。


 社会のトップにいる人々に比べれば、本当に愚かな弱い私たちですが、万が一にも正しい信仰を捨て獣を礼拝することのないように、それよりは世に死ぬことを選べるように、聖母マリア様のご加護を願いたいと思います。
 心から信頼して共に祈りましょう。



。。。。。。。。



 注1* 
 集団ストーカーという社会現象が(日本でも)あります。ターゲットにされると、いろいろな他人が入れ替わり立ち替わりストーカーして嫌がらせをしてくるそうです。
 そればかりでなく、1960年代頃から、おそらくこのテクノロジーを使った実験をされている人々が出始めました。朝から晩まで頭の中に声が聞こえるようになるそうです。他人に話すと、統合失調症と間違われるので、理解できない人に話してはいけません。
 これについては、かなり増えてきた被害者たちが協力して活動したり、ネットでアドバイスしたりしていますので、興味ある方、または同じような被害にあっている方は調べてみることをお勧めします。いくらか軽減する手段もあるようです。
 一部のカトリックの神学生、聖職者、修道者も、ターゲットにされているかと思います。

 



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