2017年10月19日

まっぷたつに壊れた聖母像 ー 適材適所ということを考える


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 先日ご紹介した、ちょっと謂れのある、うちの教会の聖母像です。
このルルドの聖母マリア様、実は一度、この高い棚の上から落ちて壊れたことがあるのです。

 前任のM司祭が主任だった頃、ある年の復活徹夜祭の時に事故は起こりました。
 ミサの途中で、すべての御像から紫の覆い布をはずすじゃないですか。引っ張れば、するっと取れるように結んであるはずなんですけど、この御像のだけ何故かするっと行かなくて御像がグラグラしてるのに、侍者長の子がさらにグイッと引っ張ったから、上からドカッと派手に落ちました。
 何人かが思わず立ち上がるほど音も大きかったけど、損傷もひどかった。

 縦割りに大きくヒビが入ったので、勢いで下から上までまっぷたつになりそうでした。
不思議とお顔が無事だったのが救いでしたが、ヒビが広がったら全体が崩れてしまいそうでした。
 が、信徒の一人が上手に治してくださいました。服の部分は塗り直しもしました。

 綺麗なマリア様の御像はなんとか修繕できたから良かったけれども、避けられた事故だったように思われました。

 侍者長は知的障害者でした。
同じ一つのことなら繰り返せば覚えるし、できるようになります。
でも、少しでも違うことが突発的に起これば全く対応できない。
枝の主日の時なども、他の侍者が何度も祭壇と香部屋を行ったり来たりして苦労していました。
いつもと違うことは準備できなかったからです。

 かなり長い期間、この子が毎週日曜のメインのミサで、侍者長をやっていました。大祝日のミサも。
 当然、他の侍者の男の子たちは不満に思っていました。

「まぁまぁ、あの子は知的障害者だから、親切にしてやんなよ」という大人もいましたが、これは「親切」とは違うと思います。

 人はそれぞれ見合った「分際」というものがあり、あまりそれを超えた所に自分を置くこと、置こうとすることは、甘え、あるいは「傲慢」ではないのだろうか、とか、
上の立場の人、まとめる役割の人が、それを是正しないのは、一種の「怠り」であろうか、とか、
聖母像を眺めながら、いろいろなことが頭をよぎりました。


 どんなコミュニティでも、人間関係の揉め事はありますが、特に教会のコミュニティーは「親切」「善意」を建前にするので、甘やかし、あるいは野放し、になりやすいかもしれません。

 あまり知識も経験もない人が教える立場になったり、人望が無い人がしきり役をやったり、実務能力のない人が実行委員長になったり、歌の下手な人が聖歌隊のリードをやったり、計算できない人がバザーの会計になったり。。。
周りが見れば、明らかに「ちゃんとできないでしょ」と思う人でも、本人はできるつもり、上手いつもりだったりします。
(あるある系の話をしているだけで、あなたの教会のことではありませんよ。(^^))
 あの侍者の子のお母さんも、「うちの子は普通になんでもできます」といつも言っていました。


 「適材適所」という事がうまく為されていないコミュニティは内輪揉めが増えるし、やる気をなくす人も出てくるので、決して成長できません。
 これは主に、上に立つ人々、指導する立場の人々の責任と思います。彼らにも好みがあり、実質より感情が先になることもあります。
 これはどうしてわかるかというと、任された役割と、その人を選んだ理由がそぐわないからです。(例えば、侍者長を選ぶのに、理由が、ミサ侍者が上手にできるから、とか、年長で慣れているから、とかではなく、知的障害者だから、というのは理由がそぐわないのです。また、大きなバザーの会計係を選ぶのに、理由が、バザーを纏めた経験があるから、とか、会社で経理をやっているから、ではなく、いつも掃除をしてくれるから、では、そぐわないのです。)
 コミュニティのメンバーは、代替え案を提案したり、上手に役割を熟る人が奉仕を申し出たり、話し合いの場を設けたり、無駄だと思っても努力を続けるのは、でしゃばりではなく本当の善意です。エネルギーがいりますが。


 特に、会計、経理関係は大切です。
 昨日の書簡の朗読で、
「私たちは、福音のために諸教会で譽れを受けている兄弟(聖ルカ)を彼と一緒に送る。その上、主の光栄のために管理され、私たちの志を表すためにしている慈善の分配について、彼は私たちの旅の侶(とも)となるように諸教会から選ばれた人である。これによって、私たちはあずかっている多額の献金について人からの非難をすべて避けたい。なぜなら、私たちは主の御前ばかりでなく、人間の前にも名誉が保たれるように心がけているからである。」(コリント人への第2の手紙8章8〜21)
という部分がありました。

 医者であり、知識人であった聖ルカなら信頼される、という一般への配慮があったのでしょう。
 この手の問題は、使徒の時代でも、いつの時代でも同じですね。
 昭和の頃の中小企業などでは、「経理関係の責任ある立場は、裕福な家庭の人に限ること」などとも言われていました。
 会計、経理関係で、良い人材が配されていないと、監査が行き届かず、大問題になることもあります。

 お金のことはシビアですし、問題が起こったら遺恨が残ります。
これについては、あまりに長くなりそうなので、機会があったら、また書きたいと思います。

 どんなグループでも、たとえ真の神の教会であっても、人間の集まるところには、いろいろ問題は起こります。
でも、熱心な祈りと共に、忍耐と善意を持って、他の方々の善意にも信頼して、日々努力を続けたいと思います。


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2017年10月11日

ブログトラブルと予防策




seesaaブログが、しばらくトラブルになっていました。

アクセスできず、メールでお知らせいただいたり、ご心配いただいて、ありがとうございました。

数日、全ての記事ばかりでなく、管理ページにもアクセスできない状態で、かなり大きなトラブルだったようで、ツイッターなどでいろいろな情報が流れていました。

何かの理由で、記事やブログ自体が、突然、消えてしまうこともあるので、「秋田日記2」として、バックアップを取ってあったのですが、ちょっとサボって、2015年の8月までだったんですね。ちょっと焦りましたが、再開したので、ホッとしたところです。

バックアップも、しっかりアップデートしました。

カトリックブログも、いろいろ素敵なものが増えて嬉しいことです。
楽しく読ませていただいています。

みなさん、もうなさっているとは思いますが、もしまだでしたら、他社のブログにエクスポートなどしてバックアップを取っておくことをおススめします。

やはり、日記のようなものなので、すべて失くしてしまうと本人としては地味にショックを受けると思います。 


拙ブログ再開しますので、また、よろしくお願い致します。


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2017年10月04日

幼きイエズスの聖テレジアの祝日に


昨日(10月3日)は、幼きイエズスの聖テレジアの祝日(旧典礼暦)でした。

御ミサとロザリオ、マイナー・ベネディクションに、行ってまいりました。

マイナー・ベネディクションとは、聖櫃の扉を開いてチボリウムのまま顕示する聖体降福式のことです。
祝福もチボリウムを掲げてされますが、他の式次第は同じです。


先日から始めた聖テレジアへの九日間のノベナ(感謝の意向)も、昨日、ちょうど終わりました。

ノベナの唱え方と効果のほどを知りたい方は、コチラの記事をどうぞ。
幼きイエズスの聖テレジアへのノベナの薦め
http://akitadiary.seesaa.net/article/453715787.html


ノベナの九日間は終わりましたが、あまりにもお世話になったので、もう少し続けようと思います。

ちょうど、フランス滞在中の知人のアグネスさんが、この3日4日で、聖テレジアの生地リジューに巡礼に行く、と聞いたので、お礼のお祈りもいろいろお願いしてしまいました。

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私の部屋のベッドサイドテーブルにあるテレジア様の御絵です。
ちょっと珍しいノビス時代の写真です。

手前に手作りのチャプレットを置いています。
私のチャプレットは、24回の栄唱を7、7、7、3と分けてあります。

知らなかったのですが「聖テレジアのチャプレット」は市販のものもあるそうです。
コメント欄で教えてくださった方に感謝です。

聖テレジアのチャプレット.jpg

多分これでしょう。綺麗ですね〜。

霊名が同じ「小さきテレジア」の、多くの姉妹の皆さんのためにもお祈りいたします。

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2017年09月27日

うちの教会のルルドのマリア様


今日も、トリエント・ミサに行ってきました。

うちの教会は、水曜日は午前十時からのミサなので、行きやすいのです。
十人くらい来ていたかな、と思います。

こちらは春めいてきて、小さな教会の前庭のバラが綺麗に咲いています。

入口のすぐ横に、ルルドのマリア様がいらっしゃいます。

写真は、ちょっとピンボケですが、雰囲気だけでもお伝えしますね。



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2017年09月12日

聖マリアの御名の祝日に


今日は「聖マリアの御名」の祝日です。

朝8時のミサに行ってきました。


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うちの小さな教会の外観です。


ジョリモント教会内.JPG
中はこんな感じです。ミサの後、片づけ中ですが。


今日の祝日の説明をミサ典書より引用したいと思います。

引用文をタイプしている時、「祝日」が、㊗️ とか 🎌 に 変換されて、おもわず笑ってしまいました。

早く 日本でも、いろいろな聖母の祝日やクリスマスが、🎌 の日になると良いですね。

。。。。。。

(引用ココから)


9月12日 聖マリアの御名 一級祝日 白

 ユダヤの習慣に従って、聖母の両親は、聖母誕生後八日目にマリアと命名した。
それで、イエズスの御名の祝日が、御降誕の祝日後に来るように、聖母の御名の祝日も、その御誕生の祝日の後に来るのである。

 この祝日は、スペイン、クエンカ司教区に起源を発し、すでに1513年聖庁から認可が与えられていた。

 17世紀西欧をおびやかしたトルコ軍がオーストリアに進撃し、首都ウィーンを二ヶ月余にわたって包囲したとき、キリスト教国の軍隊は、聖母の御名を呼びつつ交戦、大勝利を得た(1683年9月12日)。
 この勝利を記念し聖母に感謝するため、インノチェンツィオ十一世教皇は、9月8日直後の主日に、一級祝日をもって全教会で祝うよう規定した。ピオ十世教皇は、1911年、祝日の日を9月12日と定めた。

 マリアという名は、シリア語では「婦人」の意味、他の解釈では「苦い海」、中世ごろの解釈では「海の星」である。聖ベルナルドによると、マリアは、ヤコブから出た輝く星であり、その光は全世界にかがやき、その熱は心を強め、悪を退け、信じる人々の道を照らす不朽の星である。

。。。。。。



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2017年09月09日

聖母マリアのお誕生日にミサに行きました

9月8日は、私たちの愛する聖母マリアさまの御誕生の祝日でしたね。

うちの教会では、午前8時と夕方6時の歌ミサと二度、御ミサがありました。

ミサ典書より引用します。

。。。。。

典礼において聖人誕生の日とは、死去の日(来世に新たに生まれた日*管理人注)のことであるが、原罪なくして生れた聖母の場合は、死の日ではなく、誕生の日である。

 聖マリアは、創造の朝の、そのすがすがしさに似て美しく、

 正義の太陽を告げる暁のようである。

 永遠より予定せられ、ダヴィド王家に生まれた聖マリアは、

 天と地を結ぶ橋である。

。。。。。。。


聖マリアの両親.jpg


 聖マリアの誕生日は、御両親の聖ヨアキムと聖アンナの喜びの祝日でもあります。

 画像を検索していて気がつきましたが、聖母マリアと御両親の絵で、聖母マリアが赤ちゃんのものは、イコン風のものがほとんどです。
 
 東方教会では、この聖なる家族への信心が大きかったのでしょうか?


この良き祝日をすべてのカトリックの方々とお祝いしたいと思いました。


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2017年08月15日

聖母マリアの被昇天の祝日2017


被昇天のマリア.jpg





今日は、私たちの良き御母マリアの被昇天祭ですね。
お喜び申し上げます。

被昇天の聖母のお姿は、私たちも霊魂も身体も共に、いつの日にか天国へ行くという希望の輝きです。

今日はこれから、夕方のミサに行きます。
世界中の聖母の子供たちと、心を合わせてお祈りしております。



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