2017年09月07日

私が「聖ピオ十世会」の教会に行く理由


piusX.jpg
教義/信仰の純粋保持に尽くされた聖ピオ十世教皇様



今週の日曜日9月3日は、聖ピオ十世教皇様の祝日でした。

ちょうど、オーストラリアでは、父の日にも当たっていたので、家族で主日のミサに与り、イタリアンランチに行きました。

私たちは、聖ピオ十世会の聖堂のトリエントミサに行っています。
美しいミサです。
ミサの前に、家族 皆、告解をして聖体拝領いたしました。

純粋なカトリック信仰をブレなく保っている唯一の教会グループだと思います。
平和です。幸いです。感謝しております。
子供達が成人しても、教会にとどまり、告解をし、日曜のミサに与れることは御恵みの印だと思います。


改革後のノブスオルドに行っている間は、辛かったです。
1968年頃、私が小学校四年生くらいの時に、教会の中で改革が起こり始めました。
ミサは変わりました。とても短くなりました。
慣れ親しんできた歌いやすい美しい聖歌は歌われなくなりました。
それまでは、聖体拝領は拝領台に跪いて受けていたのに、できなくなりました。
跪けば、司祭から叱られるようになりました。
シスター方が率先して立って手で聖体拝領して指導して、従わない人は変な人のように言われました。
聖櫃が神にふさわしい聖堂中央から端の方に寄せられました。
十字架像は取り払われました。
ロザリオは個人の信心だから自宅でするように、と言われて、教会内ではしないことになりました。
ベールは被らない、教会内では絶対に跪かない、という風になりました。
告解がしたくても、神父様から個人告解は必要ない、と言われるようになりました。
いつも静寂だった聖堂内は、皆が談笑したり子供がおやつを食べたりして、ざわざわする場所になりました。


外国に引っ越しましたが、普通のカトリック教会は日本よりももっとすごかった。
上のようなことに加えて、聖歌は強いリズムの世俗風で、毎週日曜はバンド伴奏で歌っていました。聖歌隊の人は、マイク片手に歌いながら、もう一方の手でご聖体を受け取っていました。
特別な祝日には、ミサの祭壇の周りで青年たちのダンスがありました。
大晦日には、聖堂内でカウントダウンがあり、皆で拍手喝采していました。
ミサの説教はその日の福音からの話ではなく、世俗的なジョークが話されていました。
私は専心して祈れなくなっていきました。
内省したいと思い黙想会に行けば、司祭の代わりに異語を話すという女性が自分語りをしていました。
もう、どうして良いやら分かりませんでした。


でも、ノブスオルドが極端な反面、外国には、カトリック教会の美しい伝統を守るグループの聖堂もありました。
最初は半信半疑で行きました。皆様と同じように、彼らがカルトであるとか、異端とか、聞かされていたからです。
それでも行き始めることができたのは、主人が強い意向を持ってくれたおかげです。

。。。。。。。

行ってみたら、そこには以前と同じ美しい教会がありました。
静寂が守られていました。
聖体拝領台も、座席の跪き台も、そのままでした。
皆ベールをかぶり、跪いて、主を礼拝していました。

子供の頃によく歌った懐かしいラテン語の聖歌が歌われていました。
天使ミサもそのままでした。
普通のカトリック聖歌も英語で同じメロディーの歌が歌われていました。
聖体降福式で、ご聖体に在すイエズス様を礼拝することができるのは、本当にありがたいことでした。

素晴らしい神父様がいらっしゃいました。
いつもスータンを着ておられました。
ミサの前には告解を聞いて下さいました。
聖なる、霊的糧となる、お説教をして下さいました。
信徒皆のために、いつも優しく気遣ってくださる方でした。
「司祭はもう一人のキリスト」という言葉を思い出させるような聖なる雰囲気のある方でした。

カルト、などという言葉がどこから出てくるのか私にはわかりません。
カトリック教会を根底から変えてしまいたい人々の悪意ではないかと思うほどです。


今はこの教会に行けて、とても幸いです。
現教皇様が、聖ピオ十世会にご理解を示してくださっていて良かったと思います。対話が続いているかぎり、希望があります。


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posted by テレジア at 14:33| Comment(5) | カトリック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は、ピオ10世会のミサにいったこともありません。
また、ピオ10世会を認めているわけではありませんが、この記事をみてなるほどと思いました。
本州の信者は、かなり辛い思いをされているのだと感じました。
北海道はまだ、寛容な司祭が多いんですね。
Posted by 使徒ヨハネ at 2017年09月08日 10:28

使徒ヨハネさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

教会の様子は、日本でも教区によってかなり違うようですね。
ある口で聖体拝領したい信者さんが、所属の教会では叱られるので、近隣の教会の司祭にお願いに行ったが、「申し合わせだから」と言って全部の神父様に断られた、というお話も聞きました。その方は、がんで亡くなる前に、一度だけ、手で受けたそうです。

もちろん私も、全部網羅しているわけではありませんが、いろいろなお話を聞きます。
比較的寛大な小教区もあるようです。

北海道は、熱心な意識の高い信者さんが多いのでしょうか?
寛容な神父様方も多いのでしょうか? 
もし、そうだとしたら、多分、今時 かなり、ありがたいことなんだと思います。
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月08日 13:05
返信ありがとうございました。
いろいろ思いつつも、トリエントミサに与ったことのない私は、トリエントミサに与ってみたいと思っているんですよ。
そうすれば、何か感じるかもしれません。
でも、現行ミサが悪いとはやはりおもえないのです。
私達、北海道の人間は、やはり、距離的にも、金銭的にも、会社が休めるかなど、障害があります。私は、病気をかかえ、病院に通う事も多く、予定を組んだりするのが大変です。
ひとつの聖体が信者に分けられるごとく、私達が拝領したイエズス様は信者全てに恵みを注がれると思うのです。
ただ、多いか少ないかは受けとる私達の受け取りかたの違いだと思うのです。

秋田日記さまが外国にいかれてなお、教会に対して幻滅を覚え、ピオ10世会の主宰する教会に退避したことは、当然の結果なのかもしれません。

あとは、秋田日記様がイエズス様とマリア様をどれだけ愛するのかだけだと思っています。
イエズス様もマリア様もすべてわかっています。
私と同様、聖母の出現に頼る必要はありません。
私達は、すでにイエズス・マリアを愛しているのですから。

申し遅れました。私、最も小さい霊魂の会の使徒ヨハネ版を立ち上げました使徒ヨハネと言います。
もしや、会員になっていただいたMMさんですか?

今回の記事は、胸のうちがわかって大変よかったと思います。

私がおもうに、大阪の教会は酷いらしいです。
元凶はM永司教だと、大抵の人は調べるなかで感じていますが。

今は、カトリック教会は棄教の時代に入って来たような気がします。

だからこそ、現代のマリアの騎士たちが、マリアの弟子たちが戦っているのだと思います。
いろいろなことを書きまして、申し訳ありませんでした。


Posted by 使徒ヨハネ at 2017年09月08日 21:35
MMさんではなくTMさんでした。
Posted by 使徒ヨハネ at 2017年09月08日 21:38


使徒ヨハネさん、こんばんは。

純粋な信仰をお持ちの使徒ヨハネさんは、トリエントミサに与かる機会があれば、きっと感じるところがあるだろうと思います。

北海道で、トリエントミサがあるといいですね。
本来、どの神父様でもカトリック司祭ならトリエントミサを捧げても良いんですから。

外国に引っ越して、何カ国かに住みましたけど、外国の方が教会によっての差が大きいような気がします。
聖堂内でダンスをしている教会があるかと思えば、別のところでは、美しいトリエントミサをしている小教区があったりします。
全く教区の教会か、修道会系かでも、少し違うように思います。


はい。「最も小さい霊魂の会」に参加させていただいたテレジア・マルガリタです。
私は、シスターコンソラータが、もう大好きなんですよ。
こんなに美しい霊魂があるのか、と感動します。
本当に小さきテレジア様と同じ路線なんですが、さらに分かりやすいと思います。
私は、小さな犠牲というのをどう数えたらいいのかわからないんです。でも、「イエズス、マリア愛しています。どうぞ霊魂を救ってください」と祈る、一つでも多く祈る、ってとてもわかりやすいじゃないですか。専心を逸らさないようにすること、心を神様の方に向けるようにすること、をできるだけ努力したいです。

カトリック教会は棄教の時代に入ってきた、というのは本当にそう思います。
いずれ、大分裂があるだろうと思っています。

コメントありがとうございました。
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月09日 02:31
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