2017年09月02日

ルルド、ファチマ、秋田の聖母出現が重要であること


 どんな御出現でも、奇跡などの現象そのものよりも、何のために天主様はその恵みを送られたのか、という「ミッション」つまり「目的」が、一番大事です。

 安田神父様は、天主様から来る真正の奇跡について、

「(b)それが神にふさわしい何らかの合目的なものでなければならない。
 人間のこの世的な虚栄や好奇心をはぐくむようなものであってはならない。

 c)そのような不思議なわざが、究極において神ご自身の栄光に結びつき、関連していなければならない。
 それはこの世的な人間の商取引きのようなものに結びつくものであってはならない。 。。。」

と、述べられています。
 *(「奇跡と涙」緑地社120ページより引用)


 安田神父様は、「いろいろな聖母出現の中でも、ルルド、ファチマ、秋田は特に重要なものである」と、おっしゃっていました。

 なぜなら、改心を促す、とか、未来を予言する、という目的だけでなく、カトリック教会の教義を表象するという深い意義のあるものだから、ということです。


 安田神父さまの本から、その説明を少し引用してみます。

。。。。。。。。
(引用ココから)


 ルルドの聖母出現は、教皇ピオ9世による ”聖マリアの無原罪のおん孕り(やどり)”のドグマの宣言の真正性を確認するためのものだったといわれる。

 童貞マリアは原罪の汚れなく、聖霊によって救い主の母となった、との信仰箇条が 1854年12月8日に公に認められた その四年後、ルルドにおいて 聖母は16回目のご出現の時「わたしは汚れなき孕りです」と、みずからこの教義の真正性を確認するごとく、ベルナデッタに告げられたのであった。



 ファチマのご出現は、”聖母の被昇天”の真理を確認するものといわれる。
 教皇ピオ12世は、1950年の聖年の11月1日に、”聖母被昇天の教義”を宣言された。ピオ12世は ファチマの”太陽の奇跡”を個人的に バチカンの庭で見る恩恵を受けたことを、側近に洩らされたことから、その聖母崇敬と”被昇天”のドグマの宣言も そのことに関連あるように取り沙汰されている。


 秋田の聖母像の涙の奇跡は、天使の口から、聖書の権威に拠って説明された。
 創世記(*3章15節)の聖句は、世の終わりに至るまでの聖母とサタンの戦いを啓示する。これは聖母ひとりの戦いではなく、全キリスト信者とともに、キリストの神秘体と、一致しての対決である。とすれば、”涙の聖母”が”メッセージ”の中で、罪の償いと改心を呼びかけられるのも当然なこととうなずけるのである。



ルルドでは、聖母の無原罪のお孕りが確認された。
ファチマでは、聖母の被昇天が確認された。
前者は聖母のご生涯のはじまり、後者はその終わりを輝かしく示すものである。

秋田において聖母は、両者の中間をみたす御生涯を通じての使命に、われわれの注意を惹き、心からの協力をうながされるごとくである。
(聖母マリア像の涙/安田貞治著 エンデルレ書店発行 340〜341より引用)

。。。。。。


「私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵対をおく。
女のすえは、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、女のかかとを噛むであろう。」

(創世記3章15節)



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posted by テレジア at 00:31| Comment(6) | 巡礼地としての秋田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ルルドもファティマもヨーロッパのキリスト教国で、出現を受けた4人は全員子供。秋田は信者がほとんどいない日本で、成人へのご出現、しかも数年に亘り続きました。ルルドとファティマの子供4人のうち3人は列聖されました。地元や母国の関心が強かったことの表れです。それに対し日本は?秋田のシスター笹川さんはご存命ですから、列聖に向けての運動があるはずはありませんが、亡くなってから列福・列聖に向けての機運が高まるかどうか分かりません。聖職者はじめ信者の間でも秋田への関心はあまりないようですから。それに、未だに超能力者説がはびこっているようではね。
Posted by ジーン福岡 at 2017年09月02日 12:13



ジーン福岡様、

 コメントありがとうございます。
 奇跡という大きな恵みを頂いた時の、地元や母国の聖職者、修道者、信徒たちの関心と信心が、本当に大事と思います。

 この「超能力説」は、E神父様という方が、聖母神学の大家で某エリート修道会の外国人司祭だったことから、日本のほぼすべての司教、司祭が、無条件で受け入れてしまったような感じがします。
 日本の信徒たちの素直な信仰心が阻害されてしまったように思われて、残念でなりません。一度広まってしまった印象、というのは拭い去るのは至難の技です。

 毎年の、「秋田の聖母の日」が大事にされること、多くの方々が心を合わせて共に祈りることで、少しずつでもマリア様に感謝をお捧げできるといいな、と思います。

Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月02日 14:03



「E神父様という方が、聖母神学の大家で某エリート修道会の外国人司祭だったことから、日本のほぼすべての司教、司祭が、無条件で受け入れてしまったような感じがします」。

どこの修道会のどの神父様だったのか知りませんが、その神父様の見立てを日本の司教、司祭が無条件で受け入れてしまった、というのは戦後の日本の教会がかかえる欠陥の代表例と言っていいのかもしれません。戦争前に日本の各教区の教区長は外国人の神父様から日本人の神父様に変えられていきました。教区長になった日本人の神父様はおそらく準備不足だったと思います。そして戦争が終わり、欧米から多数の神父様が来日しましたが、その神父様たちと日本の教区長さんたちの関係はどうだったのでしょう。日本の教区長さんたちは外国から来た神父様たちに引け目を感じていたのではないかと思います。かつての上司の弟子たちなのですから。そのことを来日した神父様たちも見抜いていて、表面的には司教と司祭でも、実際には師匠の弟子(日本の教区長)と師匠の後継者(外国人の神父様)といった力関係が働いていたのではと推察します。秋田のことでも、司教たる私が判断を下すまで、いかなる司祭も秋田に関して発言してはならない、と早い時点で司教様がおっしゃっていれば、超能力説が出回ることはなかったと思います。そうできなかったのは、司教ではあってもエリート修道会の外国人神父には太刀打ちできなかったのでしょうかね。超能力説を吹聴したエリート修道会の神父様も事前に伊藤司教様にお伺いを立てることはしていないようですし。企業の場合ですが、A事業部の事業部長に何の断りもなく、B事業部の係長がA事業部の問題に首を突っ込んであれこれ公に発言したら、大問題になります。このようなことが秋田で起こったのですね。
Posted by ジーン福岡 at 2017年09月02日 23:40

ジーン福岡さま、

コメント、ありがとうございます。

 1970年代頃は、まだ、日本人が全体的に白人に対して、なんとなく劣等感を持っていましたよね。
 日本の教会の問題も、仰しゃるとおりでしょう。

 また、それとは別に、当時の事情としては、伊藤司教様は、聖体奉仕会の創立者であり、シスター笹川もよくご存知であったので、身贔屓になってはいけないと思われて、第三者的立場の東京大司教が委員長の第一次調査委員会に委されたようです。

 白柳大司教様が委員長でしたが、実質 E神父に丸投げだったというか、聖母神学の大家だったので安心して任せておいた、ということらしいです。
 調査委員の中で、実際に秋田に来たのも、シスター笹川と話をしたのも、E神父だけだそうです。

 否定的な結論で、司教様方は、「思いがけない結果になって困った」と思われたかもしれません。
 伊藤司教様の謙虚な姿勢が、逆に仇となった形だと思います。

 その後、白柳大司教様(のちに枢機卿様)は、しばらく秋田に関しては沈黙されていましたが、晩年には秋田に巡礼に行く方に、お祈りを頼んでいたりしたそうです。

 ご出現の公認まで、ずいぶん遠回りになってしまいましたが、それもまた神様の御摂理のうちだと思います。

 
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月04日 01:18




そうでしたか。いろいろと教えていただき、ありがとうございます。

東京教区で使われている御聖体が少し甘いと感じたとき、白柳誠一枢機卿様に質問の手紙を出したら、調査した上で問題ないと万年筆の自筆で返信をいただいたことがあります。お名前の通り誠実な方でした。

いま生きている人の眼にはおかしなことと見えることでも、全てが完成した後には、そうだったのか、と納得できるのでしょう。

「神のはからいは限りなく、生涯私はその中に生きる
」。この答唱詩編、句もメロディーもいいですね。私も、このように生き、死ぬことができたらいいと思っています。
Posted by ジーン福岡 at 2017年09月05日 00:08


ジーン福岡さま、

コメントありがとうございます。

>いま生きている人の眼にはおかしなことと見えることでも、
>全てが完成した後には、そうだったのか、と納得できるのでしょう。

本当に、その通りだと思います。神様のはからいは、私たち人間の考えを超えているのでしょう。

第一次調査委員会の結論の後は、伊藤司教さま以外は、日本のほとんどの司教様方も「秋田は超能力だから大反対」になりました。

特に残念だと思うのは、超能力説を信じて反対した方々の多くが、それが論破されて、バチカンが認めてくださった後も、無視しているように見えることです。プライドが許さないのかなぁ、と思ったりしますが、真意はわかりません。日本へのお恵みを感謝しないと天主様とマリア様に申し訳ないと思いますが。

白柳大司教様も、最初は、よくおわかりにならなかったのだろうと思います。よくある様に、多くのxx委員会、とか、**巡礼団とかの「長」を’務めていらっしゃいましたが、実務は別の人ですから。
何れにしてもご自分が委員長であった調査委員会ですし、E神父様を信頼していらしたので、その決定を最初は受け入れたと思います。ただ、しばらくして、変だと気がついたのではないでしょうか。謙虚な方は幸いですね。
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月05日 11:27
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