2016年09月25日

「秋田の聖母の日」2016巡礼


今年も、9月14/15日の「秋田の聖母の日の祈りの集い」に、行ってまいりました。
日本の教会内での変化もあり色々な心配を抱きながら。

(ノロくて亀の報告ですが、UPさせていただきます。)


参加者は、去年よりやや少ないように見受けられましたが、聖堂は両方の側廊までほぼいっぱいの人でした。

1日目は、マリア様側の側廊の最前列左端に座りました。
人々の頭越しですが、菊地司教様のお姿が見えました。

式が始まる少し前、サーっという音がして窓の外を見ると、雨が日に映えて光りながら降っていました。
すぐに雨は止みましたが、あちこちに溜まった雫が輝いて、美しいマリア様のお涙のようだと思いました。


司教様、会長様の挨拶の後、まず聖体降福式がありました。
ラテン語のタントゥムエルゴなどの聖歌が美しく流れる中、司教様も神父様がたもサッと跪かれ、会場いっぱいの人々も皆跪いて、ご聖体のうちにまことにまします聖主キリストを礼拝いたしました。
10分間の沈黙の念祷の後、ご聖体を掲げての祝福があり、皆で賛美を歌いました。
素晴らしい始まりでした。
日本では、ミサの間に跪けなくなった分、聖体降福式がもっと頻繁に行われるようになったら良いなと思いました。

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そして、今年は「いつくしみの特別聖年」だからということで、ロザリオの代わりに「御いつくしみのチャプレット」というのを唱えました。

菊地司教様の御講話は、教皇様の難しく長い回勅「ラウダート・シ」をわかりやすく説明して下さる意義のあるものでしたが、それでも私には難しかったのか、数日間の旅行の疲れが出たのか、集中できずあまり頭に入りませんでした。すみません。
でも、一生懸命に菊地司教様のお顔を眺めていました。教会のためにお働きになる司教様に祝福がありますようにと思いながら。

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それから聖堂の外に出て、子羊の園での「十字架の道行き」は、各留の後のスタバトマーテルの歌声もよく響き、皆で大移動をしながら若い神父様の先唱で回りました。
今年は、ヨゼフ様のような方が、神父様のマイクを担いでおられて良かったなと思いました。

屋外で「十字架の道行き」ができる機会は滅多にないですが、やはりよく黙想できるように感じます。風を顔に感じ、地面や草が濡れているのを見ると、あの昔、イエズス様が歩かれた時はどんなだったか、埃っぽい道、大勢の人々の罵り、血の匂い。。。などが思われて、胸が締め付けられるようでした。
キリストを罵るのではなく、キリストの御受難を感謝する多くの人々と共に祈れる恵みを感謝しました。

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聖堂に戻ってミサが始まりました。
私の列は、5人のうち私を含め4人が外国からの参加のようで、ベールをかぶっていました。
聖変化の時も、同じ4人は(うち一人は子供)跪いていました。
ただ他の方々は、ほとんど立ったまま、あるいは座ったままの日本式だったようですが、よくわかりません。(あまり振り返ってばかりいるわけにもいかないので。)

聖体拝領はいろいろでしたが、司祭方が御聖体を授けて下さっていたので良かったと思いました。
聖歌は地元の教会の方々が練習されたのか、それとも日本の方々のレベルが高いのか、綺麗なハーモニーが聖堂いっぱいに響いていて美しかったです。

akitaseibo1603.jpg




ミサが終了して、1日目が終わりました。


帰り道で一緒になった方とお話ししていたら、その方は、なんとカナダからいらっしゃったとのことでした。
オーストラリアから来る私も我ながらすごいと思っていましたが、上手がいました。

そのカナダの方のお友達(京都の方)と、そのお友達の可愛いお嬢さんも、皆、初めて秋田に来たそうで驚きました。
なぜ驚いたかというと、「秋田の祈りの集いは、以前何度も来たことのあるお年寄りばかりではないかな」という印象があったから、「初めて来た」という方々もいるのだ、と。
「ご出現の事実」は、時を超えて恵みを与え続けるもので、「聖地は古びない」と、あらためて思いました。
そういえば、今年は少し若い方が増えたような気がしました。

。。。。。。

2日目は、朝、バス停で昨日の3人組にお会いして一緒に行きました。
巡礼なので、聖地の麓のバス停から聖堂まで歩いて登れて良かったです。
お天気もよく、さわやかな日でした。

2日目は、ロザリオと御ミサでした。
近くの席に外国人の夫婦とその若い息子さんがいて、ミサの聖変化の時など、やはり跪いていました。
私も跪きました。
(この「ミサの間中、跪き無し」というのは日本だけのことです。)


菊地司教様のミサ中のお説教は秀逸でした。
「あっ」と思ったところを要約すると、
悲しみの聖母の汚れなき御心が剣で貫かれたこと、それを予言したシメオンの言葉「あなたの心刺し貫かれるでしょう」とは、その時にイエズスキリストの聖心も苦しみと悲しみで貫かれている、ということ、だから「あなたの心」と言われた、と。
聖母マリアは、イエズスキリストの精神的な苦しみも共にされたのでした。

共贖者なる聖母マリアがドグマ(教義)となる日が来ますように、と改めて願いました。

。。。。。


秋田の聖母の日が、毎年恒例になり、ずっと続くと良いな、と思います。
来年は、ファチマの聖母出現の100周年です。

私たちは何も変わることなく日々を過ごしているように思っていますが、人類は、社会的にも霊的にも、ますます大きな危機へと進んでいるのではないでしょうか。
菊地司教様がお説教でおっしゃったように、「世相は限りなく物欲優先、宗教に対する完全な無関心、そればかりでなく弱者は抹殺すべき、という思想を公言する者さえも」でてきました。
私たちは、ますます聖母マリアに寄りすがり、祈りを捧げて、大きな危機的状況から救い出していただかなくてはなりません。

ファチマで聖母マリア様は、将来の大災害を警告され、「無くなってしまう国もあるでしょう」とおっしゃいました。
その予言の実現してしまう時が近いのではないか、と考える人々もいるようです。そうかもしれません。

でも、小さな群れですが、この「秋田の聖母の日の集い」が続いていく限り、ロザリオを唱える人々がいる限り、日本という国は消滅せず、残るでしょうと信頼の気持ちが湧いてくるように思われました。

祈りと信頼と感謝の2日間でした。


写真は菊地司教様のブログ、司教の日記の「秋田の聖母の日」の記事より転載させていただきました。
http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2016/09/post-aa33.html



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posted by テレジア at 19:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 巡礼地としての秋田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。
マリア様とか典礼とか色々調べてるうちにたどり着きました。
秋田の聖母マリア様の事は学生時代から存じ上げておりましたが、未だに巡礼に訪れた事がありません。現在のご様子が紹介されていて有り難いです。
是非一度訪れたいと思っています。
私も数日前からブログを始めてみました。稚拙ですがお時間ありましたら是非遊びに来てください。
ジュゼッペ

Posted by ジュゼッペ at 2016年10月01日 12:15
ジュゼッペさん、初めまして。

秋田の聖母マリア様は、今もお恵みを皆さんに配ろうとして待っておられるように感じます。
来年また5月ごろ巡礼に参加しますので、よかったらどうぞおいでください。

素敵なブログを始められたのですね。時々、寄らせていただきたいと思います。

コメントありがとうございました。
Posted by テレジア マルガリタ at 2016年10月01日 19:20
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