2016年03月05日

SSPXの聖伝ミサをお薦めいたします


聖ピオ十世会のトリエントミサにいらっしゃるように、心からお薦めいたします。
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/b3ce87a2cc12a4e4f064a6a8c6352067


有効な良い御ミサに与り、霊的な糧を受けて恵みに満たされることは、今、私たちにとって本当に必要なことです。


フランシスコ教皇様は、いつくしみの聖年に際して、聖ピオ十世会に「告解(ゆるしの秘跡)のための裁治権」を与えてくださいました。

「。。。最後に、聖ピオ十世会の司祭が司牧する教会に、さまざまな理由により参加することを選んでいる信者の皆さんのことを考えます。いつくしみの特別聖年は誰も除外しません。彼らはよい信仰を持ち、秘跡を執行していますが、司牧的な観点から見て不安定な状況にあると、さまざまな地域の司教がわたしに報告してくれました。わたしはこの会の司祭や上長との十全な交わりを回復するための解決策が、近い将来、見いだされると信じています。一方、それらの信者の善に応える必要があることに促され、わたしは、特別な配慮として、いつくしみの特別聖年の間に聖ピオ十世会の司祭からゆるしの秘跡を受けた信者の罪のゆるしを、有効かつ合法なものとすることを認めます。」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0263.htm


ベネディクト16世教皇様は、以前から、
「教会法からみれば、それは非合法な叙階であるけれども、無効ではない。たとえ非合法な状況においてであっても、教会にとっては “本物”の司祭である、」(「信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話」44ページより引用)とおっしゃって、叙階の有効性とその司祭方の捧げるミサの有効性については、認められていました。が、事情通の人々の間では、裁治権問題で「告解と婚姻の秘跡の有効性」が最も議論の対象になっていました。
 それで、この部分をはっきり認めるために裁治権を与えるということは、事実上、すべての活動に承認を与えるに等しいと思います。


 いつくしみの特別聖年の間、どうぞ 安心して 告解の秘跡と 御ミサに 与りにいらしてください。


 特に3月6、7日(東京会場)での御ミサには、スイスから、SSPX総長第二補佐のネリー神父様がいらっしゃいます。

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

3月 6日(主)四旬節第4主日(1級)バラ色(或いは紫)
       午前09時  ミサ聖祭 (小野田神父)
       午前10時  ロザリオ及び告解
       午前10時半 ミサ聖祭 (ネリー神父様)
       午後02時半 霊的講話 (ネリー神父様)
       午後04時  主日の第二晩課 (グレゴリオ聖歌による)


3月 7日(月)四旬節の平日(3級)紫
       午前6時30分 ミサ聖祭
       午前7時    ミサ聖祭



 以前、ネリー神父様とお話した時に、
「何故、あらためて、バチカンとの『合意』が必要なのですか?」と聞きましたら、
「それは、皆のためにね。聖ピオ十世会(SSPX)が良いと感じていても、バチカンが反対していると思って、心配で来れない人たちが沢山いるでしょう。その人たちが安心して来て秘跡に与れるように、皆の救いのためにね。」と、おっしゃいました。


ネリー神父様.jpg


ネリー神父様は、物静かな雰囲気の方ですが、本当に人々の霊魂の救いのために心を砕いておられるのだ、と感じました。

日本の貧しいミサ会場にも、遠くからいらして下さる神父樣方に感謝ですね。
一度、カトリック教会の伝統的な御ミサに触れてみることをお薦めいたします。


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posted by テレジア at 13:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 聖ピオ十世会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トリエントミサだけが有効ではないと思います。

主は、聖体の中にいらっしゃり、私達をおまちになっておられます。

私の近くに、ひざまずかないで聖体を拝領することは、不敬にあたるからと地元のミサに行かない方がいらっしゃいます。

主を愛するものが、聖体を受けないなんてことがありましょうか?

これは、信頼の不足であり、主が悲しまれることだとおもうのです。

私もトリエントミサに与ってみたい、けれども時間の都合、お金の問題などで本州にいくことができません。

聖体拝領の形も大切です。

しかしながら、主を愛する心がなければすべては無駄です。

主はすべてをご存知ですから、ひざまづくことや今のミサが不完全だったとしても、それを犠牲として捧げよ、とおっしゃいます。

なので、トリエントミサが有効なミサだと言いつつも、今の教会で捧げられているミサも大切だと宣伝して頂きたく思います。
Posted by 使徒ヨハネ at 2016年03月10日 07:25









使徒ヨハネ様、コメントありがとうございます。

使徒ヨハネさんの、イエズス様への愛と信心に、主が報いてくださいますように。

創造主なる神様の御前に、ひざまずき礼拝するのは、被造物である人間として当然の義務です。
礼拝の姿勢を、聖体拝領の時だけでなく、ミサのすべてにおいて、事実上禁止してしまった日本のカトリック教会は、教会という名前と建物は残っていても、もはやその命である信仰を失っています。

ご聖体のうちにイエズスさまは長い間、待っておられました。
でも、永遠に待ち続けてくださるわけではありません。

状況は変化しています。
私は、日本の教会は、一線を超えてしまったと考えます。
礼拝の意向の全く見られないところには、神であるイエズスキリストは現存なさらないと、思います。

善意の神の民、司祭や信徒が、正義の抵抗を試みないならば、教会は死んでしまうでしょう。
わずかですが、ひざまずきを継続している教会もあります。
そのような教会に行かれるか、主任神父様にひざまずきを許可して下さるよう、お願いしてくださいませ。
Posted by テレジア at 2016年03月11日 11:56
Ad Jesum per Mariam
テレジア・マルガリタ 様

初めてコメントさせていただきます。
テレジア・マルガリタ様の愛と誠実さにあふれるブログ記事を少し以前より拝見させていただいております、カトリック信徒の者でございます。
かねてより、たいへん重要かつ有意義で、愛と祈りに満ちた記事のアップをありがとうございます。
特に、‘ 御聖体の前では跪くという伝統ある表敬の習慣を守り続けねばならない’ や、 ‘「教書INAESTIMABILE DONUM」日本での対応は? ’ 等の記事内容のアップには、感謝しております。
非常に重要な内容の記事で、参考になりましたし、個人的にとても勇気づけられました。
どうもありがとうございます。

テレジア・マルガリタ様、このブログ記事によって、発見がありましたり、勇気づけられたり、考えさせられたりする方々は多いと思います。
どうぞ、これからも引き続き、素晴らしい記事のアップをよろしくお願い申し上げます。


ところで、先に入っていますこの記事へのコメント(使徒ヨハネ様のコメント)も拝見し、その内容にも共感して、今回の初コメントを書かせていただきます。
私自身は、‘ 跪く ’ という身体的行為は、人間の自然な ‘ 神への祈りと表敬 ’ を表しているもの、との認識を持っております。
神の御前において、人間が跪き、ひれ伏して祈る、というのは、最も自然な表現のひとつであり、当然のことではないか、と思っております。
古今東西、神聖なるものの御前に、跪いたり額ずかないことがありましょうか。
基本的な祈りの姿勢ではないでしょうか。
ですから、昨今の日本のカトリック教会内での跪きを取り除こうとする動きには、かなりの不自然さと違和感を覚えております。
(膝が痛かったり、お体の不自由な方の場合には、これをしなければならない、という意味ではありません。神様はその方のできるかぎりの姿勢を大事に思ってくださり、魂の声をわかってくださっている、と確信しています。)
また、跪きのことのみならず、最近の祈りの文言などについても、いろいろと思うところはございます。
日本の教会典礼の短い期間での度重なる変更事項に関して、納得がいかず、苦しみを感じることも多々ございます。


ただ、カトリック教会において、その信徒は、それでもバチカンの教皇様のお許しを得ていることに従っていることが、悪魔にもたぶらかされずにいる最も安全な道ではないか、と感じております。
悪魔のやり方は、想像以上に巧妙なことがあるからです。気づいて、わかって行動しているつもりで、いつのまにかつけ込んでくることはざらにあると思います。
誰もがその危険にさらされています。

もちろん、もしかしたら、バチカンや各国の教会の判断にも間違いが生じる危険もあるかとは思います。
けれども、神のご計画は、すべてにおいて正しく、必ず危険のある場合には、なんらかの救いの恵みをももたらしてくださってきたのが、教会の歩んできた歴史からもわかるのではないでしょうか。
なにか問題があるときには必ず聖人が現れたり、人々の祈りによる意識変化からも時代が動いていきます。
つまり、必ず、正される時には正されていく、という確信と希望が常にある、という意味です。

悪魔の働きは時に凶暴でずる賢いですが、バチカンの許可されたものをかいくぐる力は決してありません。


SSPXの聖伝ミサも、バチカンが認可されている部分において参加するのはかまわないと思います。
しかしながら今現在、日本でバチカンから認可されている通常の御ミサも、主は受け入れてくださっている、と私は信じています。
主の愛は、途方もなく大きいと感じます。
その上、訂正されねばならないことがある場合には、どんなことがあっても、必ず導いてくださり、訂正されることと確信致します。
日本の典礼で、直すべきところがある場合には、必ず主のお導きが入り、教会として従っていくであろうと信じています。
今の典礼も、一応バチカンは認可してくださっていますので、信徒として従順に参加することは問題ないと思います。

ゆえに、日本の教会での通常の御ミサに参加することも、テレジア・マルガリタ様、どうか合わせて勧めていただければ、と希望しております。
ご聖体を愛を持って受けることの恵みと光栄は、他のなにものをも凌駕する賜物だからです。
(最も尊いものだからこそ、人間側の受ける姿勢の大切さは、本当に言うまでもないことなのですが。
 それでも、ご聖体から人間を遠ざけ、忘れさせようとする悪魔の試みに、負けてはいけないと思うのです。ご承知の通り、悪魔にとって、ご聖体は最高レベルに輝かしく恐ろしい存在です。かつ、悪魔は受けることができる人間に、心底、羨望の眼差しを向けています。)


日本での、特に西暦2000年以降からのカトリック教会内の変化は、確かに危険区域に入ってしまっている、という危機感は私にもございます。
テレジア・マルガリタ様のご心配は、もっともである、と大いに共感しております。

そうして、テレジア・マルガリタ様が次のブログ記事に載せておられる通り、アメリカではすでにトリエントミサの実施率が急激に増えている、という現実は、力強い希望がある、と感じずにはいられません。
そうです!主はまさに、より良いものへと正し、導いていらっしゃる、と感じます。
きっと、今 世界は、そしてカトリック教会内は混乱しているように見えますが、より良い素晴らしい方向に向かっていっていると信じ、希望し、祈り続けたいと思います。


分裂や不満や猜疑心は、悪魔の格好のエサとなります。
対して、主の愛への信頼と祈りは、なににもまして強力なものです。

御父なる神の愛と知恵は、すべてを超えて正しく采配されている、と信頼しています。
先のコメントの方(使徒ヨハネ様)のように、今は苦しみを感じる部分もお捧げしながら、愛と希望と信頼をもって、今の御ミサごとの尊い御聖体を与らせていただきたい、と思います。


貴女様のブログを拝見できました恵みにとても感謝しております。
貴女様の勇気と実行力に、敬意を表します。
また、貴女様のご判断を、決して妨げる意図はございません。
末筆ながら、テレジア・マルガリタ様のご健康とご活躍とお幸せを心よりお祈り申し上げております。
どうぞ、祝福に満ちた良い復活祭をお迎えくださいませ。

Posted by 小さき菫の祈り at 2016年03月11日 17:12



小さき菫の祈り 様、

丁寧なコメントありがとうございます。
コメント、というよりも、心のこもったお手紙のように受け取らせていただきました。

カトリック信徒の多くの方々が、教会内でのさまざまな不自然な変更や、納得できないことの強制に、不安あるいは危機感を持っていると思います。
どうしてよいか分からず、ただガマンをなさっている方々もあり、いろいろな形で迫害されて、教会に行けなくなってしまった方々もあるようです。

小さき菫の祈り様のおっしゃる通り、過去の教会の危機にも、神様はいつも必ず助けを送ってくださいました。
ただ、そのような助けによって危機から救われた人々もいると同時に、その助けを無視したり、反対したりして、道を誤った人々もいたのです。つまり、分裂の時に、真の教会から離れてしまった人々がいたのです。
ですから、私たちは、よく祈り、主と聖母におすがりして、善悪を見極めることがとても大事なのですが、そのためには最低限の正しい情報が必要不可欠だと思うのです。

日本は、言葉の壁もあり、キリスト者の数が少ないこともあり、情報が限られています。また、操作もされていると思います。

ここでは、私の想いを書いておりますが、どなたにも強制するつもりはなく、また批判そのものが目的ではありません。より良い善のために、知られるべきでありながら、広まっていない情報、握りつぶされている情報を、少しお伝えできればと思っています。

拙ブログを読んでくださって、感謝いたします。
また、ご親切なお言葉にも感謝します。
教会の母なるマリア様の子供として、祈りで支えあいましょうね。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by テレジアマルガリタ at 2016年03月13日 00:53
私は未信者ですが、主日のミサに何回か出席しています。
一番後ろの席で一人で聖変化のときに跪いていました。
ある日、女性信者が来て、「あなただけ跪いてると洗礼を受けさせてもらえませんよ!」と言われました。
すごく悲しかったです。
それでも跪いてると今度は神父様から注意されました
仕方なく立ってみたのですが、・・・
やはり精神的にキツイです。
立ったまま、御聖体をみることができず、ずっとうつむいていました。
私は、やはり最初に「姿勢ありき」だと思いました
礼拝の本来の姿勢が崩れると、やはり気持ちも崩れるのではないでしょうか
まわりを見渡して、「皆、どう思ってるのかな」
と考えたりします。
信者のなかには、聖歌も歌わず尊大に「休め」の姿勢で立っている人もいました。
私はこのまま立ち続けるのは無理です。
Posted by taro at 2017年04月16日 23:22
taroさん、辛い状況ですね。

でも、taroさんは間違っていません。
人として神様の御前に跪きたいと思うのは当然のことなのです。
未信者であっても、特にカトリックに惹かれた方ならば。

確かに、礼拝の心は「姿勢」に表れます。
「主のみ前にすべてのものが膝をかがめ」という聖句もあります。

跪いたら洗礼を受けられない教会には、行かないほうがよろしいです。
「信徒の総意です」として跪き許可を続行している教会もあるそうです。また、半数ぐらいの信徒が抵抗して跪き続けている教会もあるそうです。少ないですが。

旧約聖書では、多くの聖なる預言者たちが、「聖なる真の神」にだけしか跪かず、異教の神とか支配者の前に跪かなかったために死刑にされそうになったりしています。
なぜ、今カトリック教会では、そのような迫害を信徒たちに対してしているのか、理解に苦しみます。

時間的に、距離的に、経済的に可能ならば、どうぞ、聖ピオ十世会のミサにお越しくださいませ。
洗礼準備のために、正しいカトリック要理の勉強もできます。

5月の東京ミサと、秋田巡礼のミサには、私も参加する予定です。よろしかったらご案内いたしますので、サイドバー右上のメールアドレスからご連絡ください。
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年04月17日 01:54
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