2016年02月06日

カトリック信者は「茹でガエル」になるか?


 有名な茹でガエルの法則というのがあります。

 要するに、

「水の温度を、急激にではなく、少しずつゆっくり上げていけば、水の中にいるカエルは死ぬまで気づかない」

と、いうものです。
茹でガエル現象/法則
http://www.imacoco.net/index.php/navi/人生(たび)の栞/栞-1枚目〜/ゆでカエル-の実験/



カエルの画像.jpg




 少しずつ変わってしまったカトリック教会の御ミサ。

 久しぶりに訪れた人にとっては、「ここは本当にカトリック教会なのか」と、ショックを受けるほどの変わりよう。

でも、ず〜っといる信者たちは、何もおかしいと思わない。

 不思議ですね。

 久しぶりに教会を訪れた方の、素直な視点で書かれた、興味深い記事を見かけたので、転載させていただきます。

..............................

【カトリック教会に今何が起こっているのか】

http://miche.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bb1f.html

クリスマスイブの夜に、何年かぶりに(宮津以来)、降誕祭のミサを受けるために、カトリック神戸中央教会へ行ってきました。

しかし、そこで、さまざまな違和感を感じて、頭の中が「???」状態。ここは本当にカトリック教会なのか。わたしの知ってるカトリック教会のミサとはだいぶ違う感じがした。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

まず第一に、キリスト像が、あのINRIでおなじみの、磔の十字架じゃない。
ステンドグラスにはキリストが受難を受けて磔にされ、昇天に至るまでのストーリーが描かれているものの、像が違うのは違和感を感じた。

次に、祭壇らしきものがない。あるいは祭壇とそれ以外の場所との区別が曖昧。
よく言えば敷居が低いのですが、それって、信仰という点においていいことなんでしょうか。キリストの受難を軽視することになるのでは。

わたしが名古屋の東山教会(降誕祭には布池教会)に通っていた子供の頃なんて、祭壇は聖域に等しく、ぜったいに足なんて踏み入れられる場所じゃなかった。親がクリスチャンというだけで、自分に信仰があったわけではないけれど、なんて言うか、あっちとこっちの線引きみたいなものは、ちゃんと自分の中でありましたよね。そういうのが、神戸中央教会では、曖昧になっているような気がした。

さらに、参列者の椅子に、肘をつく机と、膝をつく台がなかった。すなわち、ひざまずいて祈りを捧げるポーズが取れないわけなのです。
祈りたくても祈れない作りの教会。一体ここは、どこなんだろう…。


そして、なんと言っても最大の違和感は、ベールをかぶっている人がいなかったこと。
わたしが教会に通っていたのは中学1年までなので、もうずいぶん前ですが、今のカトリックの信者ってそうなんでしょうか。ちょっと考えられないのですが。

わたしは幼児洗礼だけで、大人になってからちゃんと洗礼を受けていないので、ベールもかぶらないし、聖体拝領のパンも受け取りません。だけど聖体拝領を受ける信者の方は必ずベールをかぶらなくてはいけないのでは?

それから、聖体拝領のときに神父が鳴らすベル、あれは聖別の意味があると思うんだけど、その音にも違和感を感じた。ぜんぜん空間に響いてなかった。澄み切った空間に響くベルの音、その後に続く静寂こそが、ミサの真骨頂だと思うんです。だけどそれがちゃんと守られていない。あれじゃあ聖別にならないのでは…。聖別されないパンはもはや聖体でもなんでもないですよ。

パイプオルガンの音も、先日、下見に行ったときに聴いた音より、よりずっと響きが悪かった。なんででしょうね?人が多かったから?

全体的に、グダグダ?って感じ。子供が野放しにされていたのでますますグダグダ感UP。わたしが名古屋の東山教会や布池教会に通っていた頃のような、ぴーんと張り詰めた空気がなかった。あの空気感が好きで、またミサに行きたいと思ったのに!

教会独特の厳かな香りがなかったな。カトリック神戸中央教会は阪神大震災で崩壊して、今の教会は新しく建て直されたものらしいですが、そのときになんかすり替わってる可能性がある。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

もうひとつびっくりしたのは、ミサの最中に募金箱が回ってくるんだけど(これは普通。どこでもそう)、その募金箱が、よれよれの紙袋だった。予算削るにもほどがある。思わず目が点になってしまいました。

寄付を募るわけだから、そんなに豪華なものであるわけはないのだけど、普通は、婦人会の方が手作りで作ったような、もっと暖かみのあるものなんだよね。無味乾燥な紙袋はあまりにひどすぎると思った。用さえ成せればそれでいいみたいな。

あと、天使祝詞(めでたし聖寵充ち満てるマリア〜)の詠唱がなかったんだけど、降誕祭のときって、そうだったっけ?キリストの誕生日にマリアを無視するのって、おかしくないか?

ちょっと調べてみたところ、聖母マリアを無視・軽視するのは、どうやらプロテスタントの特徴みたいです。カトリック神戸中央教会は、カトリック教会の皮を被った何かになってますね。

地域的なものもあるのかな、たぶん神戸ってあんまりカトリックの勢力が強くない地域なんだろうな。名古屋はカトリックが強い。宮津も。

神戸の「神」って、どの神を指しているのだろう。アマテラスかな?戸は岩戸の戸?しかし、神道の神と競合しますかね、カトリックは。

宮津のカトリック教会は和洋折衷で、その点、うまく融合されています。畳敷きの小さい教会で、人口も少ないために、アットホームな感じで、肩肘張った感じではないんだけど、それでも教会という厳かな雰囲気はあるんだよね。歴史的建造物でもあるし。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

数年ぶりに行った降誕祭のミサであまりにショックを受けてしまったので、来年は神戸中央教会ではなく、夙川教会へ行こうかなと思ってます。写真見る限り、伝統的な教会みたいだし。なんとなく 宮津の教会と似てる。

パイプオルガンは阪神大震災で倒壊してしまったそうだけど、宮津だってパイプオルガンではなく、小さなリードオルガンしかありません。それでも、大切に守られてきているなにかが、いまだ息づいているのを感じる。

決して予算や規模とかの問題ではないと思う。やっぱ、大切なのは、歴史と伝統なのではないでしょうか。

主祷文(天にまします我らの父よ〜)も10年ぐらい前から?口語訳になってるし、すごく違和感がある。これはどこの教会もそうだそうです。数年前に行った宮津のミサでもすでに口語訳だった。

こうやって歴史と伝統はちょっとずつ破壊されていくものなのね。

子供の頃は主祷文(文語訳)をパイプオルガンの音色に乗せて、歌の歌詞っぽく詠唱してた。懐かしいな、またあれが聴きたいなぁ。

(ブログ「あめのみくりや」より転載させていただきました。*太字強調は管理人による)


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posted by テレジア at 01:47| Comment(4) | TrackBack(0) | カトリック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
十アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

♪M・I!♪テレジア・マルガリタさん (*^^)v♪


>つまり、教会のはっきりした規定に背くような、わがまま勝手な典礼
>は、本当の典礼ではなく、「典礼の偽造」にすぎないから、「ほとんどの
>場合、激しい反動を呼び起こすことになる」といわれています。
>日本でも、外国でも、信徒が わがまま勝手な典礼に対して 不満を
>表す(ことが許される*)理由は、そこにあります。


 日本では、赤穂では、全く反動が無く(T_T) 或、信者さんは、今の教会で良い、と(−−〆)
 今の所、大阪も、大した反動が無い様で、一部の本当に少数の素晴らしい神父様、良い信者さんが、ヒッソリと、聖伝を!♪お護りになられて居られる様で、、


 カレンダー♪凄いですね、テレジアさんのパソコンの手腕!♪何となく開けたんだけど、2枚目にどうしていったら良いのやら(>_<)

 大丈夫です、紙の日本語の、日本の聖殉教者様方のカレンダーと英語のを買っていますので(*^^)v


>シメオンの言葉の4行目、
>「その救いは万民のために備えられたもの、」
>この重要な一行を忘れて抜かしますかね。。。?
>それとも、日本聖書協会『聖書 新共同訳』では、もともとこの部分は
>省かれているんでしょうか??

凄いですね!良く気が付きましたね!♪
そうなんだ!何とねぇ、、有り得ないね!聖書を改竄する!!悪魔的ですね(−−〆)


蛙が笑った(^O^)/

本当にね、恐ろしいですよねぇ、あの方、聖ピオ十世会にいらっしゃったら良いですのにね♪


本当に!♪本当に!♪素晴らしい記事をたくさん!♪有難うございます!<m(__)m>(^O^)/


全能の天主で在られます!♪本当に御優しいイエズス・キリスト様!!!♪♪♪
汚れ無き御心の聖母マリア様!!♪♪♪
最強で在られます!♪聖会の保護者で在られます聖ヨゼフ様!!♪♪

どうぞ、大切な!♪大切な!♪姉妹テレジア・マルガリタさん♪ご家族様と!♪
ご両親様も!♪御護り下さいませ!!

デオ・グラチアス!!!♪♪♪(^O^)/
Posted by M・I♪マリア・ツツミツ at 2016年02月08日 11:31



M・I!♪マリア・ツツミツさま、

いつも元気の出るコメント、ありがとうございます。

 日本で、ほとんど反応がないのは、いくつか理由があると思います。
言葉の壁があるので情報量が圧倒的に少ないこと、従順な国民性、キリスト者のピラミッドの底辺が狭いことなど。


 カレンダー! ♪(*^^)v♪
テンプレの写真を変えて、祝日を書き込んだだけですよー。
手腕なんてないです。
2月1日に間に合わせたくて、焦ってしまいホントは未完なんです。
来月からは、日本固有の聖人とか、聖伝のミサの予定なども入れたいです。
2枚目は、枠がはみ出ただけで、何もないです。


新共同訳の聖書が見たいんですが、持ってないんで確認できないんですね。


そうですね。聖ピオ十世会にいらっしゃたら良いですのにね。
久しぶりに教会を訪れた方には、こういう風に見えるんだなあ、と思いました。

1月に東京で洗礼を受けられたKさんも、同じようなことをおっしゃってました。
昔、教会に行っていたんだそうです。久しぶりに教会に来てみたら変わってしまっていて。。。「普通に言ったら、こっちがカトリック教会じゃないですか」と、東京のミサの方に。

お祈り感謝です。
デオ・グラチアス!♪(^O^)/
Posted by テレジア at 2016年02月08日 11:59


テレジアさん、こんにちは。

この記事のカトリック神戸中央教会、少し興味があったので自分で検索しました。
なるほど、私が以前行ってた教会と内部が似たようなつくりです。ほぼ円形なんですよね。
で・・・驚いたのが祭壇(テーブル)を移動して、そこでクラッシックコンサートをしている画像です。
祭壇をどかしてコンサート!
祭壇って床にガッチリ固定されて動かせないものだとばかり思っていました。
こんな教会もあるんですね。
現代の教会の祭壇・・・私には正直言って、テーブルにしか見えません。
教会に行ってた頃は、「これは祭壇。祭壇なんだ」と無理に言いきかせていました。
神父様は祭壇と言われるけど、無理があると思います。

Posted by taro at 2017年09月08日 21:26


taroさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

私は、このカトリック神戸中央教会には行ったことがないのですが、聖堂内でのコンサートはいろいろな教会であるようですね。
「祭壇をどかしてコンサート!」というのは、さすがに初めて聞きましたが。。。

そうですね。まるでテーブルですよね。
「祭壇」という聖なる重厚さを感じさせないものが増えました。

いろいろと残念なことです。
Posted by テレジア マルガリタ at 2017年09月09日 01:54
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