2016年04月23日

第二バチカン公会議の驚愕すべき内幕


第二バチカン公会議@.jpg

Foto: Lothar Wolleh(写真引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Second_Vatican_Council_by_Lothar_Wolleh_005.jpg)



 第二バチカン公会議の内幕が良く分かる、興味深い記述がありましたので引用します。

 それにしても、「救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する。」などというカトリック高位聖職者とは、本当に善意で、ただ迷い間違っているだけなのだろうか? と、疑問に思いませんか。
 神にすべてを捧げ、何年も神学を勉強したはずの方々が? 普通に考えて、そんなことありえませんよね。

 このしばらく後、教皇パウロ6世は
「教会内に悪魔の煙が侵入してきた」
と言って物議を醸しています。


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(引用ココから。。。)

「教会の忠実なしもべ ウゴ・ラッタンツィ神父」

〔3章 教皇首位権のために戦った人〕

 18年間も、こうして模範的な主任司祭の任務を果たし続けたウゴ・ラッタンツィ神父に目をかけたものがいました。それはローマの教会関係者たちです。
 あれほどの天才を地方に埋れさせるのは、もったいないと、1953年、彼をローマに呼び寄せました。新しく任命された職務は、ローマラテラン大学神学部の部長です。
 そして、まもなく、教皇ヨハネ23世によって、第二ヴァティカン公会議が開かれると、彼は、教皇立神学委員会のメンバーとして選ばれることになりました。

 ラッタンツィ神父の仕事は、教会憲章の作成に協力することです。その頃、公会議では、教皇の首位権と、司教たちの権利について、大変な議論がありました。

 こうして準備されたのが、憲章の下ごしらえともいうべき、一つの案です。これは、大勢の司教たちの要求によって出来たものでしたが、ラッタンツィ神父は、それを見ると、みるみる蒼白になり眉をひそめました。彼は、非常に憂えていました、『この案がそのまま通ると、聖ペトロと、その後継ぎであるローマの司教、教皇様の首位権が危ない』と。

 なぜなら、そこには、第一次ヴァティカン公会議で信仰箇条として宣言されていた この首位権と、教皇の不可謬権を取り消したほうがいい、という意見が、強く打ち出されていたからです。
 なかでも、北部ヨーロッパのエキスパートたちにこの声があがりました。彼らは、プロテスタントの要求に劣等感を持っていたので、この説を強く宣伝しました。そのため、公会議に参加した少なからぬ司教たちが、これに賛成する傾きを見せはじめたのです。

 これをほっておいたら、いったいどうなるのでしょう?
 そうなれば、もはや教皇様は、司教たちの「スピーカー」でしかないことになります。それどころか、信仰の大切な教義も、歴史的な時代の要求が変化するにつれて、不変的なその特長を失うことになるのです。事実、この説から出された結論は、次のようになっていたのです。

 “救い主キリストは、信仰がでっちあげた神話でしかない。したがって、キリスト教の道徳上の教義も、時代によって変化する”。

 そして、この説の行きつく先として、
 “ 最近のマルクス主義の思想も、キリスト教の思想に劣らない真理として認めるべきである” という結論まで、すでに提出されていたのです。

 また、こうも言われていました。すなわち、
“ 福音書に記されているイエズスの幼年時代の物語は、単なる作り話であり、歴史的な根拠が認められない” と。

 この説は、形こそ変わっていますが、今でもなお残っています。とにかくあの当時、有名な司教でさえ、この立場を支持していたのです。

 大変な危険をはらんだこの案に気づいたウゴ・ラッタンツィ神父は、自分の委員会仲間とともに、正しい立場を守ることにしました。



 彼を中心としたこの仲間たちは、どんな方法でそれを実行したのでしょう?

 提出すべき 3000部もの文書を印刷しました。そのタイトルには、「新しい神学教義の誤謬をあばく注意書き」と書いてあります。これを書いたのは、もちろんラッタンツィ神父その人です。こうして、この文書は1963年の6月14日、第二バチカン公会議に参加するすべての教父たちに配られました。
 
 あとで、正式に教会憲章が教皇パウロ6世によって発布された時、まず、この文書が、”前書き”(ノータ・プレーヴィア)として読まれました。
 こうして、危なかった憲章の正しい意味が確かなものとなったのです。

 公会議の記録によりますと、この文書が読まれると、司教たちの大部分が拍手喝采して賛成しました。

 エキスパートとして、この時、教義神学委員会の席に連なっていたラッタンツィ神父の気持ちは、どんなだったでしょう? その喜びは、察するに余りあると思います。
 公会議の慣わしで、彼の名が特別に発表されなかったとしても、正しい信仰を守るために、これほど親しく協力してきたことを、イエズスとマリアに、心で感謝していたに違いありません。

 公会議の前後も、その進行中も、ラッタンツィ神父は、正しい信仰を守るための記事をいろいろと書きました。 
 その記事は、主として、教皇立大学の雑誌、あるいは、単行本としていろいろの出版社から出ています。
 その中のあるもの、特に教皇の首位権と聖書に関するものは、スペイン語にも、フランス語にも、翻訳されています。その翻訳を別にしても、彼の著は全部で50点にものぼっています。

(中略)。。。


  教会憲章の作成に協力できたことだけではありません。その案の危険な箇所を指摘することに成功したのです。しかもその労を教皇パウロ6世は認め、大きくねぎらわれたのです。これは、何と言っても、大きな慰めとなる思い出となっていました。
。。。教皇パウロ6世は、ウゴ・ラッタンツィ神父のために祈りと、祝福を送り、彼のことを、「教会の忠実なしもべ」と称えました。これこそ、ウゴ・ラッタンツィ神父最大の特徴と言わねばなりません!

 
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「教会の忠実なしもべ ウゴ・ラッタンツィ神父」(デルコル神父企画)37〜44ページより引用

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