2013年04月11日

ロザリオの祈りの黙想 (苦しみの玄義1)

ロザリオの祈りの黙想の続きです。
想いはあっても、なぜか なかなか言葉にならず、ずいぶん間があいてしまいました。。。

喜びの玄義はコチラです。
http://akitadiary.seesaa.net/article/256494798.html?1365643389

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苦しみの玄義

【第一玄義】 この一連を献げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて罪を痛悔する恵みをこいねがわん。



1。罪の認識

イエズス様は、ゲッセマニの園で、これから自分が贖うべき全人類の罪を見、すべて詳細まで認識して、御自分の身に負われました。
真っ白く清らかな 聖なる神の子羊は、人間に代わって断罪され死刑を受けるために、まず人間の罪の芥に浸されなければなりませんでした。

キリスト教の言う「罪」とは、心の中の醜い想いを含みます。
心の奥底にある罪への傾きは、傲慢、貪欲、邪淫、嫉妬、貪食、憤怒、怠惰、カトリックでは、7つの罪源と申します。

洗礼の後、神の新しい命の光に照らされて、霊魂は自身の内心のいたらなさが、だんだんとよく分かるようになってきます。
今まで気づかなかった 心の中の 微かな醜い想いは、大きく膨らみ、なにか悪い行為となって表れる前に、すでに罪なのです。

罪の認識が深まるとともに、深い痛悔の気持ちが起こるようになります。

聖母の御取り次ぎを願いつつ、良い良心の究明をして、良い告白の秘跡に与り、
キリストの贖いの御血の功徳によって、霊魂は ますます清められていきます。

(つづく)


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