2013年03月30日

十字架の下に立つ「婦人」は私たちの母となられた


 安田神父様の名著「十字架の神秘」より、引用します。

受難節のために最良の黙想の糧になると思います。


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 < イエズスは、母とそのそばにいる愛する弟子を見て、母に「婦人よ、ごらんなさい。あなたの子です」と言われた。 >
(ヨハネ19.26)

 
 釘づけにされていたイエズスは、手や足、全身が火炎に包まれているかのような激痛のさなかにあって、母とかたわらに立っている弟子を眺めて言われた、そのもの静かな言葉には驚きを感じる。

 それは人間のものではなく、神の言葉であった。

「婦人よ」と呼びかけるが、かつて神が人祖アダムとエバを楽園から追放されたとき、蛇に対して、新しい婦人を出現させて、蛇の頭を踏みくだかせることを宣言した「婦人よ」という言葉に思いあたる。
 また、イエズスが公生活の初めに、カナの婚宴の場において、最初の奇跡をおこなうにつれて、自分の母なるマリアの願いを受けいれて、「婦人よ」と呼びかけた。

 今、十字架のもとに立っている母を眺めて、「婦人よ」と聖書で三たび呼んでいることに重要な意義がある。

 つづいて、「ごらんなさい」と言って彼の愛する弟子を指名して、「これはあなたの子である」と言った。
彼が十字架の上に流した血を、真っ先に十字架の下に立っているヨハネにまず注いで、彼を救いにあずからせ、彼女の子としたのである。

 十字架の彼の血が流されて、罪が洗われなければ、誰も神の子となってキリストの兄弟に結ばれて、聖母の子に生まれ代わることはできない。
 この神秘である霊的真理を、イエズスは十字架の上からみごとに遺言として与えたのである。これはまことに意義深い信仰の奥義である。




 キリスト信者は、イエズスの十字架の血の神秘に生かされてこそ彼の母を自分の母としていただけるものである。

 彼(イエズス)の血が(作用する)、神の計画の神秘の働きによって、(私たちが)マリアの子となる恵みをいただくのであって、それは自然の働きではない。

 イエズスの人となりは、母マリアの胎内に、聖霊の働きによって自然の肉体をもった人間として宿ったのである。

 罪人であるわたしたちは、神の御子の血によって罪から贖われ、清められたのちに、聖霊によって、聖母の霊的子となることを示している。

 これこそ隠された十字架の神秘である。


 この神秘の奥義は、自然の知恵では悟ることなく、神だけが知っているので、神にはなにものも隠されていない。


 いったん罪に陥った人間がゆるされて救われることは、サタンにとっては、この上もないねたましいことであり、恐ろしいことのように思われる。

 この神秘を通して、救い主の母、マリアが わたしたちの霊的な母となるのであって、サタンはその神秘に恐怖を感じている。

 創世記の言葉によれば、神の御子はその母と子らによって、サタンの頭を世界の終わりに一緒に踏みくだき、キリストの神秘体が完全に勝利をおさめるのである。



 神の言葉に従って わたしたちが、聖母を霊における母として信仰のうちにいただくということは、どれほど素晴しいことであろうか。

 聖母のみ心に自分をささげることは、この「婦人」に愛されることであり、それと同時に天の御父が聖母と共にいらっしゃる愛のうちに包まれることになる。

 そうでなければ、神の国、天国は約束されていないのである。



十字架の神秘 安田貞治著 緑地社発行
202〜204ページより引用

(カッコ内は管理人による補足語です)



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