2018年04月05日

御復活後の水曜の福音

遅ればせながら、御復活祭おめでとうございます。

もう、御復活後の水曜ですね。

めちゃくちゃ忙しい中、今日も御ミサに行けて感謝です。

今日の福音は、とても心に響くものがありました。
聖ペトロ様の心中を思うと、なんとも言えない気持ちになります。

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今日の聖福音(ヨハネによる聖福音の続誦 21ノ1−14)

そのころ、イエズスはティベリアデの海辺で、弟子たちに再びあらわれ給うた。そのあらわれは、次のとおりである。
 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマ、ガリレアのカナのナタナエル、ゼベデオの子ら、そして他の弟子二人が一緒にいた。シモン・ペトロが「私は漁に行く」と言うと、彼らも「私達も一緒に行く」と言った。出て、舟に乗ったが、その夜は何も獲れなかった。
夜明けごろ、イエズスが海岸に立ち給うたが、弟子たちは、それがイエズスであると知らなかった。 イエズスが、「子らよ、食べるための魚があるか」といい給うと、彼らは「ありません」と答えた。 「舟の右の方に網をおろせ、そうすると、とれるだろう」とおおせられた。それで網をおろすと、魚は多くて、網を引き上げることも出来なかった。
イエズスの愛し給うた弟子は、ペトロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは、「主だ」と聞いて、裸だったので、上衣を着て海に飛び入った。陸からわずか五十間ばかりしか離れていなかったので、他の弟子らは、魚の網を引きながら舟できた。
陸にあがると、炭火があって、その上に魚があり、また、パンがあるのも見た。 イエズスは、「今とった魚を持ってきなさい」とおおせられた。シモン・ペトロは舟に行って、網を陸へ引き上げた。百五十三びきの大きな魚でいっぱいだった。それなのに、網は破れなかった。イエズスは、「来て、食べよ」といい給うた。弟子たちは、彼が主であると知ったので、「あなたは誰ですか」とあえて尋ねる者はなかった。 イエズスは近づいて、パンをとり、彼らに与え、魚もまたそうし給うた。 イエズスが死者の中からよみがえってのち、三たび、弟子たちにあらわれ給うた次第は、以上のごとくであった。

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 今日の福音の箇所は、デジャブというか、聖ペトロ様にとって、いつかのあの日と同じ光景。
一晩中、漁をしても何も獲れなかった時、網を下ろしてごらん、という御言葉に従って網を下ろした時の思いがけぬ大漁、網が裂けないのが不思議なほどのたくさんの魚。


 三度も主を否んだ惨めさに打ちひしがれていたであろう聖ペトロ様に現れて、また同じ奇跡をなさった聖主イエズス。

「おまえは 今よりのち、人をすなどるであろう」との、あの日の御言葉が思い出されます。



 弱い自分、ダメな自分、それでも。。。主の漁師、人々の牧者になるのだろうか。。。

この後、主イエズスは、三度、聖ペトロ様に尋ねます。
「私を愛するか?」

 私たちは、皆、弱い。弱くても、ダメダメでも、主の牧者となるために求められるたった一つの条件は、「主を愛していること」なのかもしれません。


 私たちの初代の教皇様は、決して完璧な人ではありませんでした。
でも、私は、なんとも一生懸命な聖ペトロ様が、とても好きです。

「主だ」と言われて、もう無我夢中で舟から飛び降りてバチャバチャと水を蹴立てて走っていく聖ペトロ様。主のそばに行っても何を言っていいかわからない、思いが大きすぎて言葉にならないで立ち尽くしている様子が目に浮かびます。

 主を否んだ後、生涯、涙が二筋、頬を伝っていた、という言い伝えもあります。

それ程の痛悔を持ちたいものだと思います。
愛と信頼とともに。

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聖ペトロの召命(今日の福音より)
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posted by テレジア at 00:59| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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